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スタッフからのお知らせK会本郷教室

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★夏期講習のお知らせ①★

2024年6月18日 更新

みなさんこんにちは。K会事務局です!

夏期講習の申し込みが始まり一週間が経ちました。
受け付け初日から、たくさんの方にお申込をいただき大変嬉しく思っております!
現時点で締切講座はございません。各講座の詳細は下記HPよりご覧いただけます。
https://www.kawai-juku.ac.jp/summer/kkai/

さて、K会と言えば、「数学オリンピック」を真っ先に思い浮かべて下さる方も多いのではないでしょうか。
今年の1月に行われた第34回日本数学オリンピックの予選通過者は137名
そのうちK会生および、K会の講習等を受けて下さった方は15名

予選通過者の約1割の生徒がK会の講座を受講しています!

「今まで問題を解くことに重点を置いてきて、必要な知識や取り組み方を意識したことがなかったので勉強になりました。」(桜蔭・高1)
「実際に数オリに参加して解けなかった問題も、新たなテクニックによって見方が変わった(開成・高1)」

上記は夏期講習「数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方」を受講して下さった方の声です。
メダリストの講師から、直接ノウハウのレクチャーを受ける機会はなかなかありません。

次こそは!と予選突破&代表入りを目指す皆さん!!

K会で数オリ講座を受講してみませんか?
対面授業:7月30日(火)~8月2日(金)17:30-20:40
録画受講:8月13日(火)~9月17日(火)

お申込・お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)

━【「音楽から見る数学9」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━

2024年6月12日 更新

━【「音楽から見る数学9」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★

― 音と色2―

こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
前回は可視光とその色について述べました。軽くおさらいしましょう。

まず、光には波長という概念があり、人間の眼が感じることのできる光(=可視光)は、ある範囲(約380〜780nm)の波長のものだけです。そして、波長の違いは「色」となって現れます(波長が長い方から赤→橙→黄→緑→青→藍→青紫)。可視光に各波長の成分がどの程度含まれているか(分光分布)は無数(前回は「無限次元」と表現しました)の可能性があります。しかし、網膜にある光を感じ取る細胞(視細胞)の性質から、人間が感じ取ることができる光は3種類の色の強さだけです(「無限次元」と対比させるならば「3次元」ということになります)。そのため、色を表現する際には、光の三原色や色の三原色、明度・彩度・色相のように、ちょうど3つのパラメータが必要になります。前回はこのような内容を学びました。さて、今回はこのことを音に置き換えると、どのようなことが言えるのか考えてみましょう。

音も光と同様に波動の一種であり、波長は周波数の逆数に比例する量です。波長の長短は音程の低高に相当します(波長が長い方が音程の低い方に対応します)。人間の眼が感じることのできる光に波長の範囲という制約があるように、人間の耳が感じることのできる音にも周波数の範囲の制約があります。その範囲は一般に約20〜20000Hzと言われています(Hzはヘルツと読む周波数の単位で、1Hzが1秒間に1回振動する波の周波数を表します)。

では、人間の耳は眼と同様に無数にある波長・周波数の中から、3種類の限られた波長・周波数の音の強弱しか感じ取れないのでしょうか。そうではないですね。むしろ、人間の耳は、各周波数の成分の強さの分布を、そのままに感知できると言ってよいでしょう。音楽を聴くときをイメージして下さい。皆さんはたくさんの音程が合わさった音楽を聴き、ちゃんとそれぞれの音程・音色を把握することができているはずです!

一方で、耳は右と左の2箇所でしか音を感じ取ることができません。それに対して、眼は網膜上にある多数の視細胞により、光が入ってくる方向ごとに可視光に含まれる3種類の波長の光の強さを感じ取れます。これは、目と耳の入力を感じ取る細胞の性能と個数とのトレードオフと言ってもよいかもしれませんね。

さて、ここからは音と光の類似に基づく面白い概念を少し紹介します。

皆さんはテレビのアナログ放送をご存じでしょうか?2012年までテレビはアナログ放送が一般的でした。放送していない深夜などに画面をつけると、「砂嵐」とも呼ばれるモノクロの画面と共に「ザーッ」という耳障りなノイズが聞こえたものです。例えるなら滝の落ちる音に近いでしょうか。このノイズはすべての周波数成分が同じくらい含まれていることから、「ホワイトノイズ」と呼ばれます。それは、すべての周波数成分が同じくらい含まれているからです。これは光の波長と色の関係から類推し名付けられたもので、すべての波長成分がまんべんなく含まれる光は白い光として感じられることが関係しています。

同様に、「ピンクノイズ」というものもあります。これは、周波数の低い成分ほど多く含まれているノイズで、光で同様の分布をとるものはピンク色に見えます(波長の長い光=赤と低い音が対応します)。その他「ブルーノイズ」「レッドノイズ」などの単語もあります。

これらは光からの類推でつけられた音に関する用語でしたが、逆に音からの類推でつけられた色に関する用語は何かあるでしょうか?可視光の範囲(約380〜780nm)と可聴域(約20〜20000Hz)とは、どこが似ていてどこが異なるでしょうか?いろいろと考えてみると面白い発見があるかもしれません!

★夏期講習の申込が始まりました★

2024年6月11日 更新

みなさんこんにちは。K会事務局です!

本日6/11(火)13:00から夏期講習の受付がはじまります!
設置講座は数学・英語・情報・物理・化学・生物・地理・地学・言語学の全20講座!
詳しくは下記URLよりご確認ください。
https://www.kawai-juku.ac.jp/summer/kkai/

K会の夏期講習は、会員の方以外もお申込みいただけます。
毎年、受講いただいている生徒さんの半数以上がK会生以外の生徒さんです。
初めてK会の講座を受講するという生徒さんもたくさんいますので

「面白そう」 「学んでみたい」 「挑戦したい」

という気持ちがあれば、ぜひご受講ください!

科学オリンピック講座をはじめ、生物学や、地質学、古生物学など、
学校では学ぶことのできない魅力的な講座をたくさんご用意してみなさんのお申し込みをお待ちしております!!


【お問い合わせ】K会事事務局
☎03-3813-4581 日・月除く 13:00~19:00

━【「現代数学の視座と眺望2」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━

2024年5月8日 更新

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━【現代数学の視座と眺望№2(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★


「創造する現代数学」

読者の皆さん、こんにちは。K会数学科元講師の立原礼也と申します。

最初にひとつ。今回の記事はかなり長くなってしまいましたが、読み飛ばせる部分もあり、その部分はそのように書いておきました。また、数式を読み飛ばしてもある程度は雰囲気がわかるように努めました。どうか気楽にお付き合いください。

では、前回の振り返りから始めましょう。前回は、高校2年生の数学に出てくる、虚数=imaginary number=「空想の数」をも許容した複素数の体系を説明しました。そして、それが一見すると怪しげなものでありながら、現代数学で不可欠の役割を果たしてもいることを述べました。更に、このような「怪しげな空想的対象が大変有用である」という状況は複素数に限ったものではなく、むしろ現代数学においては日常茶飯事である、ということも述べました。

そこで今回は、厳密さを大切にするはずの数学者が、そんな怪しげな空想的対象を自信満々に扱っている、その裏側にあるカラクリを説明したいと思います。

さて、そもそも実数に対してはまず言われない「本当にそんな数が存在するのか」という疑問が、虚数に対して生じるのは何故でしょう。実数と虚数の「存在性」の違いの感覚は、何に由来するのでしょうか?この記事では、「その感覚の由来は、実在感の有無にある」と答えてみたいと思います。つまり、実数が存在する感じがするのは、それが実在する感じがするから。そして、虚数が存在しない感じがするのは、それが実在しない感じがするからです。無意味な同義反復のように見えてしまうでしょうか?でも、実際そうなのです。ちょっとお付き合いください。

実際、我々はそのようにして「数」というものを習ってきたのです。例えば、3個のリンゴ、3個の飴玉、といった実在的な例を用いることで、小学校1年生で3という数を習いました。個数を考えるだけでは整数しか出てきませんが、「量」(=体積、重さ、長さ、等)の計測値を考えると、色々な実数が実在的対象を表すものとして生じます。面積が2平方メートルの正方形の土地があれば、その1辺の長さがルート2メートル、という具合です。マイナスの数(負の数)やゼロの実在感に関しては、本当はもう少し微妙な問題で、議論の余地があります。しかし、いずれにせよ、学校ではやはり実在に深く関連したそれらを文脈で習うのだ、そうして我々は実在との関連の中でそれらの数の「存在」を飲み込んできたのだ、ということは言えると思います。「-3万円の貯金とは、3万円の借金のことである」「-2km西に進むとは、2km東に進むことである」といった説明が代表的でしょう。これらに比べると虚数は、現実世界の何と対応しているかの説明もなく、唐突に「2乗すると-1になる数を新しく考える」等と言って習うので、これでは実在する感じは全くしません。虚数=imaginary numberという命名は、まさに、この実在感の欠落を反映しているようです。

実数とは対照的に、いかにも実在しないように思える虚数。では、厳密性をとても大切にしているはずの数学者たちは、どのようにして、実在しないはずの虚数を含んだ複素数の体系(や、更には、もっと不思議な数学的対象)を「存在」させているのでしょうか?結論を述べてしまいましょう。現代数学は、「存在性=実在感」という方向性の認識を(少なくとも建前上は)全く放棄してしまって、その代わりに、「存在性=シミュレート可能性」とでもいうべき、全く新しい「存在」の考え方を採用しているのです。

以下に、この「シミュレート」を複素数で実演してみましょう。ただし、決して嘘はつきませんが、細かい補足・注意は色々と省略してしまうことをご容赦ください。

まず、少し思い出してみますと、複素数a+biは、データとしては、実数aと実数bを指定する(つまり、実数2つの組(a,b)を指定する)ことで決まるはずのものでした。現代数学では、その事実を逆手にとって悪用します。現代の数学者はなんと、「実数2つの組(a,b)のことをa+biと書く」と堂々と宣言してしまい、これを複素数と呼んでしまうのです。例えば、実数2つの組(3,2)のことを3+2iと書く、逆に言うと、複素数5+(-9)iの正体は実数2つの組(5,-9)に過ぎない、ということになります。あくまでも記法を定めているだけですから、その唐突な記号にびっくりするという面はあるかも知れませんが、論理的には何も問題はありません。加えて、(0,1)=0+1iのことはiと書く、等の妥当な略記法も別途定めます。

これで複素数を用意できてしまいましたが、大事なのは加法や乗法等の計算の仕組みです。しかしこれも、「こうあるべき」というのは我々は知っているのですから(前回記事の補足後半をご参照ください)、それを規約として人工的に定めてしまいましょう。つまり、(ややこしい数式に興味の向かない方は、この一文は読み飛ばして頂きたいのですが)複素数z=a+bi(その正体は、実数2つの組(a,b))と、複素数w=c+di(その正体は、実数2つの組(c,d))に対して、和z+wとは複素数(a+c)+(b+d)i(その正体は、実数2つの組(a+c, b+d))のことであると規約し、積zwとは、複素数(ac-bd)+(ad+bc)i(その正体は、実数2つの組(ac-bd, ad+bc))のことであると規約してしまう、ということです。これも、つまり、ただそういうルールだと宣言しているだけですから、唐突ではあっても、論理的には何も怪しいところはありません。

(読み飛ばしてもよい細かい補足:より正確には、数学者の頭の中は「順番が逆」です。実際には先にR^2(ただしRは本当は「黒板太字」というフォント)と書かれる、「実数2つの組を全部集めてできる集合」に着目し、上述の演算をこの集合上に定義します。そしてその後で、「集合R^2を、この演算ルールを規約して扱っているときには、その要素(a,b)をa+biと書き複素数と称する」と宣言する、というのが、数学者の思考の順番になります。まずは集合と演算ルールを用意して、それを併せることで「複素数」といった解釈がつく、というのは、現代数学の大事な考え方です。)

(もうひとつ補足:引き算や割り算は、足し算や掛け算の「逆演算」(=つまり、逆算)として定義します。)

ともかく上のように規約すると、複素数の正体は実数2つの組に過ぎないのですから、実数の「存在」を疑わない人であれば誰でも、その「存在」について一切の怪しさを感じることなく複素数を扱うことができます。更に、例えば重要な等式であるi^2=-1(つまり、その本当の意味は、0+1i、すなわち組(0,1)を、上述のルールに基づいて2個掛け算したものが、-1+0i、すなわち組(-1,0)であること)なども、慣れ親しんだ実数の単純計算を使って正当化できます。

こうして数学者は、「一見怪しいけれども、ぜひ数学に使いたい」と所望する、虚数をも巻き込んだ複素数の体系を、(実在はさておき)人工的にシミュレートすることに成功し、めでたく普段の数学に使えるようになります。そして、普段の本音としては、(0,1)=0+1i=iのことを「2乗すると-1(つまり-1+0i)になる数だ」と思って扱うのです。もしも誰かから「2乗すると-1になる数iとは何事だ、そんなものは存在しないじゃないか」と文句を言われても、堂々としていて構いません。「いや、私は、実数2つの組(0,1)の話をしているだけですよ。何か問題がありますか?実数2つの組(0,1)が存在しないのですか?」等と言って、しらを切ればよろしい。「しらを切る」とは言っても、本音と建前を使い分けているという側面こそありますが、嘘をついているのではありませんから、自信満々なのです。

これと同じようにして、(ただし、場合によってはもっと複雑な技術を使うことで)4次元以上の空間や、無限桁の整数(のなす数体系)といった、また別の色々な空想的対象も、(実在はさておき)人工的にシミュレートすることができます。そして、人工的にシミュレートすることさえできれば、自信満々に数学的対象として扱えるようになります。これが現代数学の基本的な考え方、「存在性=シミュレート可能性」なのです。

現実世界に対応するものがなくても、自分で作って存在させているわけですから、つまり、数学者は数学的対象の「創造主」となることができる、と言ってもよいかもしれません。この自由さは、中高で習う数学には現れない、現代数学の独特な魅力であると言えるでしょう。

一方で、実在感とは関係なく「創造」したはずの数学的対象を扱っているうちに、後からその対象に関する新しい不思議な実在的な感覚が生じてくる、ということも、筆者は(そしてきっと、多くの数学関係者が)経験しています。この観点から考えますと、現代数学における「存在性=シミュレート可能性」の原理は、日常的な実在の世界から飛び出して、人間の潜在的な認知能力、「新しい実在」を引き出すための、「橋渡し」の役割を果たしてくれているのかもしれません。

(補足1.)創造性と厳密性
既に述べた通り、現代数学では「存在性=実在感」という方向性の考え方を放棄して、「存在性=シミュレート可能性」という考え方にシフトすることで、自由な創造性を獲得しているのでした。しかし、実在を放棄したがゆえに生じる注意点もあります。

例えば実数xと実数yに対しては、加法の交換法則x+y=y+xは、「加法の意味」、つまり対応する現実世界での操作からもほぼ当たり前なことであり、ある意味では、ほとんど天与の真理なのでした。対照的に、複素数の加法は数学者が創造した人工物に関するものですから、対応する現実世界での操作などは(少なくとも直ちには)なく、複素数zと複素数wについては、加法の交換法則z+w=w+zは当たり前とは言い難い命題です(簡単に証明できますが)。人工的な数体系だからこそ、色々と注意深く気にしなくてはまずいことも出てくる わけなのです。(「色々と注意深く気にしなくてはまずい」ことの例証として、「複素数より更に拡張した四元数の体系では乗法の交換法則が成り立たない」ことが挙げられます。)

今回の冒頭に、「厳密さを大切にするはずの数学者が、怪しげな空想的対象を扱っている」と述べました。しかし事実はむしろ、一見怪しげな空想的対象も(うまくシミュレートすることさえできれば)いくらでも扱えるからこそ、実際にそれらを扱うときは細心の注意を払った厳密さが必要になるのだ、という側面が大きいと言えるでしょう

なお、大多数の人にとっては、現代数学の議論を正しく厳密に遂行するには特殊な訓練が必要なのも事実であり、現代数学の魅力に本格的に触れる上では、これがハードルになってしまうかもしれません。この点、K会の現代数学講座では、中高生の方々に、(単に現代数学の内容を授業で解説するのみならず、)自習用の良質な訓練材料をもご提供しています。

(補足2.)参考文献『リーマンの数学と思想』

今回は、中高で習う数学vs大学の数学科で習う数学、という対立軸で、数学的対象の存在に対する考え方の違いについて解説しました。このようなことは、より歴史的な観点(つまり、より歴史的な、「古典的な数学vs現代数学」のような対立軸)から、加藤文元著『リーマンの数学と思想』(共立出版)において、「19世紀数学の存在論的革命」という名目で論じられています。

今回の記事の内容のうち、「初等的な具体例として、複素数のなす数体系を使う」という点や「シミュレート可能性」という言い回しは筆者が自分で考えた(と記憶している)ものです。一方、記事のより本質的なテーマに深く関連する、この「革命」について明示的に認識したのは、2017年の夏に同著(の前半部)を読んだときか、あるいは、それより少し前に同氏のTwitter(現X)で関連する議論を読んだ時だったと思います。その意味で、今回の記事の「参考文献」として、同著を挙げておきたいと思います。

(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1. 今回は、複素数の体系を現代的な「存在性=シミュレート可能性」の観点から正当化することについて述べました。しかし、古典的な「存在性=実在感」の観点から複素数の体系を正当化することは、本当に全く不可能なのでしょうか?実は(どこまでを「実在」と思うかにも依存しますのでちょっと微妙なところですが、筆者の個人的な感覚としては)そんなことはなく、十分に工夫すれば、「存在性=実在感」の観点からも、複素数(やその計算)を「怪しさ」なく導入できます。どうすればよいか、調べたり、自分で考えたりしてみてください。

(ヒント)行列を用いた複素数の定義がヒントになり得ますが、それをヒントにするために、線型代数学の基本をよく理解している必要があるかもしれません。

2. 「それ自身は0ではないが、2乗すると0になる数」を新しく考え、それを実数の世界に付け加えて拡張して、新しい数体系を作ることができます。

今回述べた複素数の例を真似して、実際にこの数体系を作ってみてください。この数体系と複素数の数体系の間には、どのような定性的な違いがあるでしょうか?

余談ですが、この「それ自身は0ではないが、2乗すると0になる数」は、ニュートンやライプニッツの微積分学に端を欲する無限小概念の、代数学的な実現と考えることができます。そしてその観点から、このような「新しい数体系」の作り方は、環の理論のある一側面において重要な役割を果たします。

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━【講師コラム特別号:「AIと共に暮らす」 】━

2024年4月18日 更新

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━【講師コラム特別号:「AIと共に暮らす」】━
★エンジニアとして働く筆者(元K会情報科学講師)から、これからの情報社会を担っていく中高生へのみなさんへのメッセージ★

絵を書いたり、翻訳したり、ここ数年でコンピュータのできることが飛躍的に増えました。もちろん、ここに至るまでにはコンピュータの性能改善や基礎研究の積み重ねがたくさんあったのですが、利用者から見ると急に「賢く」なったように見えますよね。あまりのスピードで賢くなっていくものですから、AIのせいで多くの仕事が失われるんじゃないか、もう勉強なんてしなくてもいいんじゃないか...そんな声も聞こえてきます。つい最近も、数学オリンピックの問題を解くAIができたということで話題になりました。本当に仕事がなくなるのか、勉強しなくていいのか。これらにはっきりとした正解はありませんが、今回はこのことについて考えてみましょう。

いまでは当たり前の自動車ですが、発明されたときは社会が大きく変わったことでしょう。馬車の仕事はどんどん減ってしまったはずです。同じように、AIが登場して無くなる仕事も実際にあるかもしれません。では、馬車の仕事が無くなったから経済が停滞してしまったのでしょうか?車には運転手が必要ですし、車を作る仕事も新しく生まれます。仕事を一時は失った騎手の人も、新しい仕事につくチャンスがあります。新しい技術が生まれると、新しい仕事が必ず生じます。

では、AIが進歩するとできる新しい仕事は何なのでしょうか。私の周りを見る限りは「AIをうまく仕事に組み込む」仕事が注目されています。今までやってきた仕事を、どうやってAIにやらせるのかということです。えっ、AIは何でもできるんじゃないの?いいえ、実はまだまだなんです。もちろん、すべてが何でもできるAIの研究もされていますが、まだほど遠いと言わざるを得ません。今必要とされているのは、例えば今まで機械設計をしていた人たち、経理をしていた人たち、製造をしていた人たちなど、AIとは程遠かった分野にいかにAIを組み込んで、より効率を上げるかということなのです。

では、こういう「AIをうまく仕事に組み込む」仕事をできるようになるにはどうすればよいのでしょうか?安心して下さい、今まで通り勉強を続ければよいのです。うまく仕事にAIを組み込むためには、まず組み込みたい仕事のことを良く知っていなければいけません。これを専門用語では「ドメイン知識」と呼びます。エンジニアになりたい人はエンジニアを目指せばいいし、先生になりたい人は先生を目指せばいいし、そのまま安心して勉強をサボらず続けるのが大事です。その仕事のドメインを自分で持っていることが大事。この記事を最後まで読むとわかりますが、もしやりたい仕事が思いつかなくても、ちゃんと勉強するのが大事。「AIがなんでもやってくれるから」とあぐらをかいてサボっていると、それこそ自分の仕事が無くなってしまうことでしょう。AIにすべてを任せるのではなく、AIをひとつの道具として仕事で使う姿勢でいることが、大切なのです。AIだけ、プログラミングだけ、情報科学だけやっていればいい、そんなことはありません。わたしの専門も物理ですし、AIはあくまで道具としてたくさん使っています。

一例として、翻訳の話をします。わたしは昔から言語が好きで、英語以外にもロシア語をメインに様々な言語を学んできました。異なる国の人とお話するのは楽しいし、映画や小説の翻訳がどうなっているのかを考えるのがとても好きです。昨年、出張中に翻訳者の方たちといろいろな場所で出会って、翻訳の仕事とAIについて教えてもらいました。最近は翻訳者もAI翻訳ツールを使います。とても便利で、大変効率が良くなったといいます。でも、翻訳者の仕事はなくならない。それは、ことばを理解するということは背景の文化の理解も必要とするからです。

例えばある通訳者によると、ドイツでドイツ語と日本語の通訳をする際にこんな問題があったそうです: ある日、出張中の日本人ビジネスマンたちが現地のドイツ人たちと集まったときに、「最近は忙しすぎて妻と会っていない」「子供が顔を忘れちゃっているかもしれない」等と話したそうで、通訳者はそれをそのままドイツ語に訳したそうです。これは、現在のAIならたいへん上手に翻訳できます。でも、それを聞いたドイツ人たちは大変怪訝な顔になりました。そこで通訳者、つまり文化を知っている人の出番です。ドイツでは、基本的にみんな定時で帰り、仕事よりも家族を大事にします。わたしもしばらく滞在したことがありますが、17時をすぎるとちらほら川辺に出てきてゆったりとした時間を過ごしていたように思います。ドイツではそういう文化ですから、仕事が忙しすぎて家族をないがしろにしてしまう日本人の姿勢が理解できず、何か家庭に深刻な問題があるのではないかと思ってしまったのです。通訳者はすかさずこういった背景を伝えたことで、場の緊張がほぐれました。こういうのは、AIにはまだまだできないのです。ここでは、国ごとの仕事の姿勢の違いが「ドメイン知識」だったわけですね。どんな文章も、翻訳するとたくさんの情報が失われています。気になった方は翻訳者のエッセイを読んでみると良いでしょう。そして英語がある程度できるようになったら、字幕付きの映画をぜひ見てみて下さい。字幕と音声でこめられた意味が違うのはよくあることです。そして違った意味を与えつつも不自然にならないようにするところに(特に映画ではテンポも大事です)、翻訳者の腕が試されます。ダジャレなんかが入ってきたら、もう大変です。

データとしての文章を翻訳するのはAIでもできますが、それを現実感のある「意味」として捉えるのは、常にわたしたちです。意味が頭に現れるのはわたしたちの脳の生物学的な働きですから、これはどうやってもAIでは代えられません。そう、データはAIが扱いますが、それをどう判断するのかは、つねに私達の仕事なのです。翻訳に限らず、AIが出したものというのは、正しくないかもしれない。むしろ、一見それっぽく正しそうだけど、実は間違っている文章を作るのは、今のAIが非常に得意なことです。偽物のニュース画像や動画が流行ってニュースで問題になっています。。正しさのゴールキーパーは、私達がしなければなりません。

そして、別にこれはAIに限った話ではありません。みなさんはこれから、いろいろな場面で決断が必要になります。これから受験を控えるみなさんにとっては学校の選択もそうです。大学受験であれば学部はどこにするのか。そして大人になったら、大きな値段の買い物をしたり、どんな会社で働いたり、誰と結婚したり。実際に選択をして、何が起こったとしても、それはその選択をした人の責任になります。そして、そこからより良い状況に持っていくのもまた、本人の責任と意思で行うのです。大人になると、周囲の人は責任を取ってくれません。周りの意見やデータを整理して、正しいものを見極める。これを責任を持って行うには、何より本人が勉強するしかないのです。間違った意見を敢えて伝えてきた悪い人に責任を問うのも、本人の責任。そしてありがたいことに、社会ではピンチになったときに国が手助けする制度(社会保障)が充実していますが、こうして制度をちゃんと見つけて使うのも本人の責任です。もちろん、こうした判断を行うためにAIを道具として活用することができます。うまくAIを使えば効率よく決断できるようになりますが、それでも最後の一押しは、みなさんが勉強してきた経験に基づいて決めることになります。

ここまで読んで、みなさんが自信を持ってAIとともに暮らしてゆく自信を持ってくれれば、わたしはとても嬉しいです。AIで仕事がなくなる、勉強しなくていい、そういった意見にも、ちゃんと自分の頭で考えられるタネが身についていますように。どうぞ不安に思わず、AIを十分に道具として活かして(もちろん理解したうえで距離を取るのもアリですよ)、みなさんの将来に役立ててくださいね。もちろん、この記事に書いてあることも一個人の意見であることをお忘れなく。そしてわたしは、みなさんがたくさんAIを使ったとしても地球のエネルギーが足りなくならないように、頑張って新しいコンピュータの仕組みを考えています。

(翻訳の難しさと面白さに関するオススメの本: 奈倉 有里『ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ』)

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★春期講習のお知らせ★

2024年3月10日 更新

みなさんこんにちは。K会事務局です!

早速ですが、みなさん、春休みのご予定はもうお決まりですか?
K会の講習の受講理由の一つに「時間があったから新しいことに挑戦しようと思った」というお声があります。
ハイレベルな内容を扱うK会ですが、実は予備知識不要としている入門講座も多く、気軽にご受講いただけます!
講座のラインナップはこちらから

◆予備知識が必要ない講座
・数学講座入門~新中1生対象~
・数学講座入門~新中2・新中3生対象~
・情報科学講座入門~新中1生対象~ ←プログラミングの基礎を学びます
・位相幾何学入門(長さ・大きさなどの関係を無視し、その図形の不変な性質を見つけたり、そのような変形のもとでどれほど異なる図形があるかを研究する幾何学)
・Processingによる初めてのプログラミング
・動物発生学・解剖学入門(生物)
・概説・地理の世界
・地学を概観する
・言語学オリンピックで入門する基礎言語理論

これらの他に「物理チャレンジへの一歩」「化学グランプリに挑戦してみよう」といった科学オリンピック対策講座もご用意しています。
物理チャレンジや化学グランプリは4月から参加申し込みがスタートしますから、初めて挑戦を考えている方にはピッタリの講座です!

少しまとまった時間の取れる春休みは、新しいことにチャレンジするのにピッタリです。
進級・進学というこのタイミングにぜひK会で新しい学問に挑戦してみましょう!!

★お申込・お問合せ★
K会事務局:03-3813-4581
日・月を除く13:00~19:00の間でお電話を受け付けております。

━【「音楽から見る数学8」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━

2024年3月7日 更新

━【「音楽から見る数学8」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★

― 音と色1 ―

こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
今回は一旦音楽の話を離れて、音波と同じく波動の現象である光についてつらつらと書いてみたいと思います。

ご存じの方も多いと思いますが、光は電磁波の一種であり、電磁波の中で人間の眼が感じることのできる波長の範囲は約380〜780nmです。この範囲(可視範囲)にある電磁波を可視光、あるいは単に光と呼びます。普段眼に入ってくる光には様々な波長の成分が含まれており(複合光と呼びます)、例えば太陽光は可視範囲の波長の光がほぼ均等に集まってできています。光を波長ごとに分け、各波長の成分がどの程度含まれているかをグラフなどで表したものを分光分布といいます。インターネットで検索すれば様々な光の分光分布が見つかると思います。

さて、分光分布と色の関係について考えてみましょう。まず、単一波長の光の色は、780nm付近が赤で、380nmに近づくにつれて、赤→橙→黄→緑→青→藍→青紫のように見えます。次に、複合光について考えるために、私たちの眼が光をどのように感じ取っているかについて少し見てみましょう。私たちの眼の中で、光を感じ取って神経信号へ変換しているのは、網膜に存在する視細胞と呼ばれる細胞たちです。視細胞は錐体細胞と杆体細胞に分類されますが、色に関わるのは錐体細胞の方です。錐体細胞にはS錐体、M錐体、L錐体の3種類があり、それぞれ主に青い光、緑の光、赤い光の強弱を感じ取ります。ちなみに、それぞれ波長が短い、中くらい、長いということでShort、Middle、Longの頭文字となっています。つまり、複合光には様々な波長の成分が含まれていますが、私たちの眼はそのうち3つの「波長」の強度しか感じ取れない、ということになります。(各錐体細胞は完全に特定の波長の光の強さだけを感じ取るわけではないため、「波長」とカギ括弧をつけました。)可視光全体はパラメータが無数にある(無限次元)が、私たちが感じる「色」はパラメータが3つしかない(3次元)といった方がわかりやすいでしょうか。また、別の見方をすると、分光分布が異なっていても私たちの眼には同じ色に見えるような光の組が無数に存在することも分かります。

ここで、人間が色を表す方法をいくつか見てみましょう。コンピュータで画像などを扱われる方はRGBという概念をご存じかと思います。これは、光の三原色である赤、緑、青の3色の光の合成として様々な色を表す方法です。一方、印刷業界などではCMYKという表現方法がよく用いられます。Cはシアン、Mはマゼンタ、Yはイエローで、Kは黒だと思ってよいです。詳細は省略しますが、Kは理論上は不要で、CMYの3色(これらは色の3原色と呼ばれます)で様々な色を表すことができます。また、色の三属性はご存じでしょうか。色相・彩度・明度のことで、彩度は鮮やかさ、明度は明るさで、色相は「赤み」「青み」といった色みの性質のことです。そして、これらの三属性に沿った色の表現方法が世の中には複数存在します(PCCS、マンセル表色系など)。そのほかにも、オストワルト表色系、Lab表色系など、色を表す方法は多数考案されています。

これらの色の表し方は基本的にどれも、3つのパラメータを指定することで得られますが、これも、私たちの眼が色を感じ取るとき、3つの座標軸で捉えていることと関係しているといえるでしょう。また、色立体という概念があり、これは特定の表色系に対応する座標のもとで、空間上の各点に色を配置したものです。画像検索してみると面白いかもしれません。

また、光の感じ方は動物によっても異なるようです。たとえば、犬が見る世界はモノクロだと言われてきました。その場合、明度の1次元しかないということになるかと思います(実際には青と黄色を区別でき、2次元であるようです)。逆に4種類以上の波長を見分ける視細胞を持った動物はいるのでしょうか。どのように見えるのか、気になりますね。

さて、光の色の話は、波長の類推から音の話にもつなげることができますが、これは次回以降で述べてみたいと思います。

━【「現代数学の視座と眺望1」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━

2024年2月2日 更新

━【「現代数学の視座と眺望」(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★


「空想」が拓く現代数学

 読者の皆さん、こんにちは。K会数学科元講師の立原 礼也と申します。大学卒業と同時に東京を離れ、現在は京都大学の大学院博士課程で数学を専攻しています。こちらのコラムに興味をもってくださり、まことにありがとうございます。

 このコラムでは、現代数学(=大雑把に言うと、大学の数学科や、K会の現代数学講座で学べる数学)の、中高で習う数学とはちょっと違った、新しい考え方、新しい魅力をお伝えしたいと思っています。中高で習う数学が得意な方・好きな方はもちろんのこと、そうでない方にも、この「新しい考え方」「新しい魅力」を通じて現代数学に興味をもっていただければ幸いです。数式を使うところはありますが、細かい数式は読み飛ばしても、雰囲気がある程度伝わるように心がけようと思います。

 さて、現代数学の解説を書く上で幸運なのは、中高の数学(あるいはK会数学講座の1・2年目)で習う内容の中にも、「空想の数」とも呼ばれる、きわめて現代数学らしい概念が見出せることです。これを足掛かりに現代数学の考え方をご紹介することは、筆者にとってはとても自然な方向性のように思われます。そこで今回はこの「空想の数」について解説し、次回以降に向けた準備とすることにいたしましょう。

 早速参りましょう。まず、「空想の数」とは対照的な存在である、中学校までに習う実数(数直線上にある「普通の数」)について思い出してみますと、「2乗する(同じものを2回掛ける)と、必ず0以上になる」という基本性質があるのでした。例えば、3^2(3の2乗)は3×3、つまり9でこれは当然0以上ですが、(-3)^2=(-3)×(-3)も9となり、やはり0以上です。2乗すると必ず0以上になるのですから、2乗すると-1になる数を実数の範囲に見つけることはできません。つまり、i^2=i×iを計算して-1となるような数iは、実数の範囲で見つけることは決してできません。そこで数学者たちは、この2乗すると-1になる実数ではない数i(虚数単位)を強引にも新しく考え、これを数の世界の仲間に迎え入れてしまいました。こうして実数の世界よりも拡張された数の世界が、高校2年生の数学(K会数学講座では1年目の1学期)で習う複素数の世界で、複素数は実数a,bを使ってa+biと表されます(biの部分はb×iの掛け算記号を省略したものと考えてください)。例えば、3+2iや、5+(-9)i、といったものが複素数の具体例であって、3+2iは、3という実数に、iの2倍を足して得られる数だ、といったふうに考えます。虚数単位i自身も0+1iとして複素数であり、また、実数aもa+0iと考えて複素数になります。例えば実数5は複素数5+0iだ、といったことです。複素数の計算については、最後に「補足」としてまとめておきますので、複雑な数式が嫌でない方はご覧頂ければと思います。

 実数ではない複素数は「虚数」という名前で呼ばれます。実数ではない、というのは、虚数単位iを使わないと表せない、という意味になります。2乗すると-1になる謎の数iを使わないと表せない数ですから、「虚数」、英語で言うとimaginary number、すなわち「空想の数」という、揶揄するような命名にも頷けます。虚数=「空想の数」はいかにも不思議で、怪しい感じがする対象ですから、「本当にそんな数が存在するのか?」などと疑問をもつのも、きわめて正常な感覚でしょう。

 しかし、事実、虚数も含めた複素数の範囲で物事を考えることは、まことに有用であり、もはや数学にとって不可欠といっても過言ではないのです。例えば、K会夏期講習で例年開講される「整数論」講座では、整数を深く理解するのにも、複素数範囲で考えるのが重要になることを学べます。また、その講座の内容と直ちに関係するわけではありませんが(でももちろん繋がっています)、整数論の最重要未解決問題であるリーマン予想も、複素数の関数であるリーマンゼータ関数に関するものです。更に、そんな難しい話は抜きにしても、比較的初等的な数学でも複素数が大変有用になることは、ある程度ハイレベルな高校数学の演習問題を解いてみたり、また、例えば、K会の講師3名も翻訳に携わった『数学オリンピック幾何への挑戦』(日本評論社)などを読んでみたりしても納得できると思います。(ちなみに、筆者は同著の執筆や翻訳の関係者ではありませんが、一読者として大変良い本だと思いましたのでここに挙げてみました。)

 繰り返しますが、複素数の織り成す数体系は、素朴な感覚で捉えようとするといかにも不思議で怪しい感じがするにも関わらず、事実、捨て難く有用です。「空想の数」とは揶揄するような言い回しですが、その空想の力こそが、数学という学問を強力に推し進めてくれるのです。

 そして、このような「一見、素朴に考えると不思議で怪しい空想的対象が、実は、数学の進歩にとって捨て難く有用である」という状況は、複素数に限った話ではなく、現代数学では日常茶飯事となります。例えば、数学者は、4次元以上、更には無限次元の空間を考えることもしばしばありますし、一口に無限次元の空間と言っても色々な種類があります。数の世界も、左に無限桁続く整数の世界や、1+1が0になる世界など、複素数とはまた別の方向に拡がる、様々な空想的体系を考えます。

 では、水も漏らさぬ厳密さを大切にするはずのプロの数学者たちは、一体どのようなカラクリで、複素数や、もっと不思議な対象を、自信満々に扱っているのでしょうか?実はこの問いへの解答の中には、現代数学の中心にある根本的で重要な考え方を見出すことができます。次回はこの点について、引き続き複素数を例にとって解説することにしましょう。


(補足)複素数の計算
基本的には虚数単位iを文字のように思って、中学で習う文字式の計算の要領で計算し、必要に応じてi^2=i×i=-1に気を付ければよいです。掛け算では「展開」(=分配法則の繰り返し適用)の計算をします。計算例は以下の通りです。

(3+2i)+(5+(-9)i)=8+(-7)i

(3+2i)×(5+(-9)i)
₌3×(5+(-9)i)+2i×(5+(-9)i)
₌15+(-27)i+10i+(-18)i^2
₌15+(-27)i+10i+(-18)×(-1)
₌33+(-17)i

文字を使って一般的に書くと、a,b,c,dを実数として
(a+bi)+(c+di)=(a+c)+(b+d)i、
(a+bi)×(c+di)=(ac-bd)+(ad+bc)i

となります。引き算(足し算の「逆算」)や、0でない複素数による割り算(掛け算の「逆算」)も可能であることが確かめられます。

(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1. 複素数の導入にいたるまでの、そもそもの前提のひとつとして、「負(マイナス)の数も、2乗すると、正(プラス)の数になる」という事実がありました。では、そもそもなぜ、負の数の2乗は正の数になるのでしたでしょうか。これについて、調べたり、考えたりしてみてください。

2. 次回扱う予定の内容は、言うなれば、「2乗して-1になる数なんて、そんなもの、存在しないじゃないか」といった方向性の意見に対して、現代の数学者はどのように立ち向かうのか?というものです。そこで、まずは(数学者はさておき)読者のあなた自身であれば、上のような意見にどう立ち向かうのか?(または、上のような意見に、立ち向かわず、賛成するのか?)を考えてみてください。

複素数が難しければ、負(マイナス)の数について考えてみてもよいかもしれません。「-1なんて、存在しない」という主張に対してであれば、どう立ち向かうでしょうか?(または、賛成しますか?)

あるいは、マイナスも取ってしまって、(小学校1年生の算数からから慣れ親しんできた)1という数であればどうでしょうか?

1と、-1と、「2乗して-1になる数」で、その「存在」の確かさ度合いは、どのように、そしてどの程度、異なっているでしょうか?

3. 複素数を使わなくても説明できる定理だけれども、証明の過程では複素数を使いたくなるものは色々あると思います。そんな定理を探したり、自分で作ったりしてみてください。

筆者が作った例:
辺の長さの比が3:4:5である直角三角形の、直角ではない頂点の角度は、度数法で無理数度である(つまり、弧度法で円周率の有理数倍ではない)。

━【「言語学をのぞいてみよう その36」(K会英語科講師:浅岡健志朗) 】━

2024年1月11日 更新

━【「言語学をのぞいてみよう その36」(K会英語科講師:浅岡健志朗) 】━
★このコラムでは、東京大学大学院にて言語学を研究している筆者(K会の英語科講師)が、英語・言語学・外国語学習・比較文化などの話題をお伝えしていきます。★


慣習はどのように生まれるか?

 東京のエスカレーターでは、立つ人は左側に立ち、歩く人は右側を歩きます。これは法律や条例によって決められたことではありません。むしろ公的には、エスカレーターは誰しも歩かずに立ち止まって利用することが推奨されています。「立つ人は左側、歩く人は右側」というのは、人々の間の暗黙の合意であり、いつの間にか生まれた慣習であると言えるでしょう。しかし、誰かが決めたわけでもないだろうに、このような慣習が生まれるのはなぜなのでしょうか。また、地域によっては「立つ人は右側、歩く人は左側」という、東京とは逆の慣習が成立している場合もあります。東京もこうなっても良かったはずですが、どうしてこうはならなかったのでしょうか。
 これらの疑問に答えるにあたって、少し遠回りをして、次のような例を考えてみましょう。あなたが友人に電話を掛けて話をしている途中で、突然、通話が切れてしまいました。再び電話を繋げて会話を続けたい場合、どうするのが良いでしょうか。あなたには選択肢が二つあります。自分から掛け直すか、相手(友人)が掛け直してくれるのを待つかです。通話を再開できるならどちらでも構いません。一方、友人の方にも同様に二つの選択肢があります。自分から掛け直すか、相手(私)が掛け直してくれるのを待つか。つまり、合計で四つの場合が考えられます。

(A) あなた:掛け直す 友人:掛け直す
(B) あなた:待つ 友人:待つ
(C) あなた:掛け直す 友人:待つ
(D) あなた:待つ 友人:掛け直す

 (A)のように二人が同時に掛け直してしまうと電話が繋がりませんから、避けなければなりません。また、二人が同時に相手の電話を待つ(B)も避けたいところです。双方が相手の電話を待っていては、いつまでたっても通話は再開できません。通話が再開できるのは、あなたが掛け直して友人が待つ場合と、あなたが待って友人が掛け直す場合、つまり(C)か(D)の二通りです。望み通り通話を再開するためには、それぞれ相手と異なる選択をすることが合理的になります。

 エスカレーターのどちら側に立つかという問題は、この問題とよく似ています。ただし、エスカレーターにおいては、他の人と同じ選択をすることが合理的になります。誰しも、立って利用するのであれ歩いて利用するのであれ、他人を邪魔したり他人に邪魔されることなく、快適にエスカレーターを利用したいと考えていることでしょう。このために避けるべきは、左側に立つ人と右側に立つ人が混在している状況です。この状況では、歩く人はうまく歩くことができませんし、立つ人にとっても、後ろに歩きたい人がつかえていたら落ち着いて立っていられません。それゆえ目指すべきは、「立つ人はみな左側、歩く人はみな右側」という状況か、あるいは「立つ人はみな右側、歩く人はみな左側」という状況のいずれかです。皆がそれぞれ、他の人と同じ選択をすることが合理的になるわけです。

 ただし、ここで注意してもらいたいのは、合理性というものはあくまで目的に依存するものであるという点です。目的が異なれば、そのためにどのような行為をすることが合理的になるかも変わります。例えば、「エスカレーターに負荷をかけないようにする」という目的や、「エスカレーターを安全に利用する」という目的のためには、皆が立ち止まってエスカレーターを利用することが合理的になるでしょう。しかしここで問題にしているのは、「現に立つ人と歩く人がいる状況において各々ができるだけ快適にエスカレーターを利用する」という目的にとって何が合理的になるかということです。この目的のためには、「皆が一様に左側に立つ」か、あるいは「皆が一様に右側に立つ」ことが合理的になるということです。

 それゆえ、左側に立っている人がいるのを見れば、自分も左側に立つことでしょう。そして、その人が左側に立つところを見て、他の人がそれにならい、さらにそれを見た別の人がそれにならい……ということが繰り返されれば、左側に立つ人が次第に増えていきます。そして、左側に立つ人が増えれば増えるほど、それにならって左側に立つことを選択する人はさらに増えていき、最終的には皆が左側に立つことを選択するようになります。比喩的に、このように言うこともできるでしょう。山道を歩くあなたの前に「左側に立つ」という獣道と「右側に立つ」という獣道の分岐があります。どちらの獣道も通りやすさに差はありません。あなたは、たまたま「左側に立つ」という獣道を選びます。するとあなたが通ったことによって、その獣道が踏み固められ、少し歩きやすくなる。そのため次にここを通る人は、「右側に立つ」という道よりも、「左側に立つ」という道を選びたくなります。「左側に立つ」という道を選択する人が増えるほど、この道はよく踏み固められた大きな道になっていく。しまいには、誰しも「左側に立つ」という道を選ぶようになり、「右側に立つ」という道は廃れてしまうことでしょう。こうして、「左側に立つ」という慣習が成立します。

 以上から、東京のエスカレーターで「右側に立つ」という慣習ではなく「左側に立つ」という慣習が成立したことには、大いに偶然が関わっていることがわかります。東京でエスカレーターが普及し始めた頃、もしたまたま右側に立つ人が多ければ、東京でも「右側に立つ」という慣習が成立していたことでしょう。なぜなら、その場合には他の人にならって右側に立つことが(上で述べた目的にとって)合理的になるからです。

 考えてみると、私たちが日頃行っていることの多くは、慣習によるものだと考えることができます。例えば、相手に同意していることを示すときに、私達は頭を縦に振るように動かす(つまり、うなずく)ことをしますが、同意を伝える手段は別にこれでなくても構わないはずです。例えば、首を横に振るような動作でも良かったはずです。しかし、他の人が首を縦に振ることで同意を表しているなら、自分も同じようにしなければ誤解が生じてしまいます。コミュニーケーションを成立させるという目的のためには、各々が他の人と同じことをすることが合理的になるということです。皆が首を横に振ることで同意を表しているなら、コミュニーケーションを成立させるために自分も同じように首を横に振って同意を表すことになるわけです。現に、そのように同意を表現する文化は存在します。

 私たちが用いる言葉も同様です。日本語の話者たちは、neko という音を用いてあの哺乳動物を表しますが、この意味を表す音が neko でなければならなかったわけではありません。ご存知のように、例えば英語話者の間では kæt という音を用いてあの動物を表します。あの動物を表す音は neko である必要も kæt である必要もありませんが、周りの人と同じ音を使わなければコミュニーケーションが成立しませんから、他の人が neko と言っているなら自分も neko と言うことが合理的になるし、他の人がkætと言っているなら自分も kæt と言うことが合理的になるのです。

 慣習はある意味で偶然的なものです。しかし、単なる偶然ではありません。そこには、人間の合理的な選択が関わっているからです。東京で誰かがはじめにエスカレーターの左側に立ったのは、偶然であったことでしょう。しかし、この振る舞いが定着したのは「現に立つ人と歩く人がいる状況においてできるだけ快適にエスカレーターを利用する」という目的のために人々が合理的な行為を選択した結果です。誰かがはじめに neko という音を用いてあの動物を表したのは、偶然であったことでしょう。しかし、この振る舞いが定着したのは「コミュニーケーションを成立させる」という目的のために人々が合理的な行為を選択した結果です。偶然に生まれた振る舞いが、人々の合理的な選択によって定着し共有されていくこと。これが、慣習が生まれるということだと言えるでしょう。

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