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スタッフからのお知らせK会本郷教室

35件の新着情報があります。 1-10件を表示

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★冬期セミナーのご案内★

2025年11月15日 更新

中高生とその保護者の方を対象とした冬期セミナーのお知らせです!

『広がる言語解読の世界―言語学オリンピックに挑戦―』
11月30日(日)10:00~12:00
講演者:小林 剛士
講演案内はこちらから

みなさんは言語を解読したことがありますか?
世界では6000~8000の言語が話されていると言われています。みなさんの知らない未知の言語がたくさんあるのです。
たとえばワルピリ語をご存じでしょうか。オーストラリアの先住民族の言語の一つで、約2000~3000人の人々がこの言語を使用しています。
言語を解読すると聞くと難しく感じるかもしれませんが、決して中高生のみなさんにできないことはありません!

試しにワルピリ語を解読してみましょう!
以下にワルピリ語の文とその日本語訳があります。
●Kurdu ka wangkami.(子どもが話す。)
●Kurdungku ka marlu yampimi.(子どもがカンガルーを放っておく。)
●Kirda kula wangkaja.(父が話さなかった。)
●Karnta kulaka parnkami.(女が走らない。)
●Kirdangku kurdu yampija.(父が子どもを放っておいた。)

1.「子ども」を意味する語を答えてください。
2.以下を日本語に訳してください。
 Marlu parnkaja.
3. 以下をワルピリ語に訳してください。
 カンガルーが子どもを放っておかない。

出典:パズルで解く世界の言語
解答はこちらから

いかがでしたか?
日本言語学オリンピックは中高生の方だけでなく、保護者の方もオープン参加ができる珍しい大会です!
少しでも言語解読の世界に興味をもってくださった方は、お友達同士、親子でぜひ気軽に本セミナーにお越しください。
イベント詳細・お申し込みはこちらから


お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
※お申し込みはWebから

━【現代数学の視座と眺望№8(K会元数学科講師:立原礼也) 】━

2025年11月12日 更新

━【現代数学の視座と眺望№8 (K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★


抽象数学の道のり

読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。

第6回から第7回にかけては、本連載の趣旨から少し外れて、数学の抽象性と、そこから生じる難しさ、それに対してどう向き合うべきかについての提案、といったテーマを議論しました。現代数学においては、この抽象化が更に激しいものとなって学習者のハードルとなってしまったりもするわけで、だから前回のような記事を書いてみたのですが、もちろん数学者もむやみやたらに抽象化をしているわけではなく、計り知れない大きな恩恵があるからこそ抽象化の道を進むのです。この「恩恵」については、本連載においても、例えば第5回の、整数論における虚数の活躍を論じた回などで紹介しています。
(そもそも虚数という概念自体もある種の抽象化の上に成り立つものですし、また、そういった文脈の整数論では「環論」という抽象理論が必要になることもその文脈で触れました。)あるいは第3回で紹介した、現代数学の最重要概念の一つである「同型」も、抽象数学の視点に立って初めて成り立つものです。

繰り返しになりますが、抽象化の意義は計り知れないほど大きなものであって、その実例も枚挙にいとまがありません。第8回となる今回は、これまでのいくつかの記事で個別の事例やその意義について掘り下げたのとは対照的に、そうした具体的な内容は軽く触れるに留めて、俯瞰的に、ダイジェスト的に、抽象数学の道のりを皆さんにご紹介することを試みたいと思います。筆者なりの観点から、したがって筆者の専門分野等の個人的事情も色濃く反映された形のダイジェストにはなるのですが、どうかお付き合いください。

さて、これは以前の記事でも指摘したことですが、抽象化は、現代数学という以前に、そもそも数学という学問そのものの出発点でもあります。何しろ、数というのがまず抽象的です。3個のリンゴや3羽の鳥が、「3」という抽象化によって統一的に記述されるようになるのです。整数ではない実数や、またゼロや負の数も考えるなら、更に抽象的な認識が必要になりますが、現代ではそういった数も日常生活レベルでも不可欠の存在となっていますね。

個々の数がそもそも抽象的ですが、更に抽象化を一歩進めると、文字式の概念に辿り着きます。文字を使うことで、無限に沢山存在する数たちを同時的に取り扱う/考察することが可能になります。例えば(a+b)の2乗=(aの2乗)+2ab+(bの2乗)という中学で習う関係式がありますが、これはaやbにどんな数を当てはめても正しいということになるわけです。aに7を、bに16を当てはめれば、「(7+16)の2乗=(7の2乗)+2×7×16+(16の2乗)」が具体的な計算をしなくてもわかってしまう、といった具合です。こうした取り扱いによってはじめて、すべての数に通用する普遍的な法則を見出すための枠組みが得られるのですから、その意義は明らかです。更に、文字式の計算が実生活上の問題へのアプローチにも応用可能なことは、前回記事までに話題に挙げた中学数学レベルの「方程式の文章題」の例にも見られます。

ただでさえ抽象的な個々の数を抽象化して「文字式」の概念に到達しましたが、更に俯瞰的な視点で見ると、「数たち」も「文字式たち」も、それぞれ1つの計算体系をなしています。つまりこういうことです。数どうしは足し算や掛け算ができて、計算結果も数が出てきます。当たり前のことです。そして、ここで言いたいのは、文字式たちもそういうものになっている、ということです。
ここでは本質を損ねずに議論の複雑度を下げるために、xという文字しか出てこない多項式に絞って考えてみましょう。するとそういうものは、やはり、足し算や掛け算で閉じた計算体系をなしているのです。例えば、(xの2乗)+3x+2という式と、3(xの2乗)-9x+5という式がありますが、これを足すと4(xの2乗)-6x+7という式になって、同じようにxという文字しか出てこない多項式になります。掛け算は大変なので省略しますが、ともかくxという文字しか出てこない多項式を、足したり掛けたりしても、xという文字しか出てこない多項式になるのです。これも、一見ややこしいですが、当たり前のことです。

ちなみに、ちょっと横道にそれますが、4xや-2(xの3乗)などといった単項式や、xすら出てこない定数なども、多項式と考えます。ですから例えば、多項式(xの2乗)+3xと多項式4(xの2乗)-3xを足すと5(xの2乗)になってしまって、単項式になってしまいますが、単項式も多項式の一種なので問題ありません。これは、正方形が長方形でもあり、ひし形でもあるのと同じことです。日常生活では正方形のことを長方形と言ったりひし形と言ったりしたら変な人かもしれませんが、数学という学問の上ではそれで正しいのです。日常感覚に配慮した例外規定などは設けずに、統一的に言葉遣いを定めた方が、全ての数学的議論が上手くいきます。考えてみると、言葉遣いに関するこういう態度も、抽象化の姿勢と深く関連したものかもしれません。

話を戻しましょう。上述のような。「足し算や掛け算ができる計算体系」のことを「環」と呼びます。(正確には「単位的可換環」を想定しています。)(本当は、引き算もできるとか、分配法則があるとか、厳密に書くと面倒なのですが、今回はそういったことには全部目を瞑ることにしています。)例えば、「整数たち」も環の一例です(整数と整数の和や積は整数になることに注意しましょう)。「有理数たち」も、「実数たち」も「複素数たち」も環の一例です。また、更に上で扱った「(文字xに関する)実数係数1変数多項式たち」も環の一例です。ほかにも沢山の例があります。ここで、「整数たち」という環と「有理数たち」という環は、互いに深く関連してはいるものの、独立して存在する、全く異なった環であることに注意しておきましょう。

かなりややこしいですが、ついてきてください。無限に沢山存在する数たちを同時的に考察するために文字を導入したのと似ています。様々な計算体系を同時的に取り扱う/考察するために、環という概念があるのです。例えば、「整数たち」という環では「素因数分解」という操作ができ(連載第5回をご参照ください)、「実数係数1変数多項式たち」という環では「因数分解」という操作ができます。これらは名前は似ていても違う概念ですが、環論の枠組みでは「既約分解」として同時的/統一的な理解が可能です。
なお、既約分解の一意性(本質的に一通りの方法しかないこと)は環によって成り立ったり成り立たなかったりするのですが、「整数たち」「実数係数1変数多項式たち」に関して言えば、「ユークリッドの互除法」を活用することで一意性が成り立つことを証明できます。一意性の成立の背景にあるこのようなカラクリも、環論では、「ユークリッド整域は一意分解整域である」という定理として抽象化して理解することができます。これだけだと「簡単なことを難しく言っただけ」にも見えてしまいますが、そうではありません。例えば、この事実を活用することで、連載第5回に述べた「ガウス整数の環でもそのまま普通の整数論のようなことができる」という事実が明らかになるのです。

さて、環論では、個別の環を考えるだけでなく、それらの間の相互関係に着目することが非常に大切になります。ごく簡単な例ですと、「整数たち」という環と「有理数たち」という環は全く異なる別々の環ですが、「前者は後者に含まれている」という関係性があることも大切です。もっと複雑な関係性としては例えば、「実数係数1変数多項式たち」と「実数たち」の間には、「変数に特定の値を代入する」という関連付けを行うことも可能です。(きちんと厳密に扱うなら、「環準同型」という概念を用いることになります。)
この「対象の相互関係に着目する」ことの重要性は環論に限らず、数学の様々な分野について言えることです。筆者の専門性が代数学に近いこともあり、ここまで代数中心に話を進めてきましたが、例えば幾何学では、図形の抽象化として「位相空間」といったものを考えます。するとやはり、個々の位相空間を独立して考えるだけではなくて、位相空間同士の相互関係を考えるのです。このように、数学の理論がもつ典型的な構造として、「様々な対象があり、それらの間の様々な関連付け方がある」という構造が見いだされます。

これを抽象化すると、「圏」という概念に至ります。先ほど、計算体系の抽象化として環に至ったわけですが、今度は数学の理論体系を抽象化して圏に辿り着くのです。実に大胆なことだと思います。こうして、圏の具体例として、群論の理論体系を反映した「群の圏」、環論の理論体系を反映した「環の圏」、そして位相空間論の理論体系を反映した「位相空間の圏」などが生じるわけです。もちろん、圏論の理論体系を反映した「圏の圏」を考えることも可能で、このような一見冗談のようにも見えそうな考察は(筆者は専門外ですが)「高次圏論」といった話題へとつながってゆき、段々と最先端の話題になってきます。そこではトポロジー(図形の連続変形を扱う幾何学)に端を発する、ホモトピーの考え方が非常に重要になるようです。数学理論の構造を抽象化した枠組みを考えると、それ自体が幾何学的な考察対象になるのは、興味深い展開だと思います。

さて、「環の圏」と圏同値な圏としては「アフィンスキームの圏」が挙げられます。「圏同値」というのは非常に大まかには「圏の同型」のようなもので(同型については第3回記事をご参照ください)、つまり大雑把に言えば、環論とアフィンスキームの理論は大体等価だということです。実は、アフィンスキームの概念はこの圏同値が成り立つように定義するので、この圏同値そのものは特に驚くべきことではないのですが、大切なのはアフィンスキームは位相空間などとも関連が深く、十分に幾何学的に理解が可能な対象だということです。
多くの人は、例えば整数の考察をするときに、図形を思い浮かべたりはしないと思います。しかし筆者の場合、環の考察をするときには対応するアフィンスキームの幾何描像を思い浮かべることはしばしばあり、「整数たち」の環でも例外ではありません。流石に大学入試の整数問題のような場面ですとこれが直接役に立つことはほぼありません。しかし例えば「中国剰余定理」と呼ばれる重要な定理(補足参照)がほとんど当たり前になってしまったりと、アフィンスキームの幾何学は実に晴れやかな眺望をもたらしてくれる、ひとつの視座として非常に優れたものなのです。
アフィンスキームの幾何学の観点からは、中国剰余定理は、まるで「図形Cが交わらない2つのパーツAとBに分けられるとき、AとBを並べたものが図形Cだ」と言っているかのような感じで、直感的にはほとんど同義反復のようになります。直感で処理した部分を更に厳密に証明しようとすると、流石に少し考えるべきことは出てくるのですが、それは簡単にクリアできて、結局よく知られた証明が自然に現れます。つまりどういうことかというと、よく知られた証明に、自然と幾何学的な意味が付くのです。そして、どんな環でも、なんと「整数たち」の環すらも幾何学的にみることができるという事実は、まさに筆者の専門分野である数論幾何学の1つの出発点ともなります。

まだまだどんどん書き進めてゆきたいところなのですが、字数がずいぶん多くなってしまいました。ちょっと唐突な終わり方ですが、今回はここまでにしておきましょう。蛇足ながら、数論幾何学にも色々ありまして、その中でも筆者の専門に当たる遠アーベル幾何学については第4回記事で平易な解説を試みていますので、そちらも併せてぜひご覧いただけましたら幸いです。


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(補足)中国剰余定理

2つの整数mとnの素因数分解に共通の素数が全く現れないとき、mとnは互いに素であると言います。例えば、12と21は互いに素ではありません。なぜなら、素因数分解してみると12=2×2×3、21=3×7で、どちらにも3という共通の素数が現れてしまうからです。これに対して、25の素因数分解は25=5×5なので、12と25や21と25は互いに素です。また、素数は最初から素因数分解されていると考えるので、異なる素数同士は互いに素です。

実は、mとnが互いに素だと、「mで割った余り」と「nで割った余り」の情報から、「積mnで割った余り」の情報が確定します。これが中国剰余定理です。例えば、m=12, n=25で考えると(12と25が互いに素であることに注意しましょう)、積mnは300なので、「12で割った余り」と「25で割った余り」の情報から「300で割った余り」の情報が確定する、ということです。しかし、「確定する」というのは少し不正確な言葉遣いなので、以下に具体例を通じてもう少し正確に説明しましょう。

まず、中国剰余定理の前に、もっと当たり前の前提を確認します。例えば、ある整数を300で割った余りが39だとしましょう。つまり、その数は300×整数+39と表せるということです。300というのは(もともと12×25として計算したのですから当たり前のことですが)12で割り切れます。ですから300×整数+39の形に表せる数を12で割った余りは、39を12で割った余りと一緒で、3になります。同じように考えると、300×整数+37の形で表せる数を25で割った余りは14になります。

まとめると、300で割って39余る整数は、12で割ると3余り、25で割ると14余るということです。同じようにして、「300で割った余り」の情報から、「12で割った余り」の情報と、「25で割った余り」の情報を確定させることができます。更に同じように考えれば、「mnを割った余り」の情報からは「mで割った余り」の情報と「nで割った余り」の情報が確定するのです。ここまでは、特別な工夫は必要ないことで、整数の計算に慣れている人にとっては当たり前のことです。何しろ、ここまでは、mとnが互いに素でなくても問題ありません。

当たり前でないことは何かというと、mとnが互いに素のときに限っては、逆方向もできるということです。これが中国剰余定理です。つまりどういうことかというと、「12で割った余りが3」で「25で割った余りが14」という情報から、「300で割った余りが39」ということが完全に確定してしまうのです。「300で割った余りが77の数も、39の場合と同じく、12で割ると3余って25で割ると14余る」のような事故は決しておきない、ということです。それだけではありません。必ず対応する「300で割った余り」が存在するということも言えます。「12で割った余りがa」「25で割った余りがb」このaに読者は好きなように0以上11以下の値を当てはめてください。更にbにも0以上24以下の値も当てはめてください。読者がどんなふうにaとbに値を当てはめても、それに対応する300で割った余りが必ずただひとつあるのです。読者がaに11を当てはめてbに7を当てはめたなら、対応する300で割った余りは107になります(確かめてみてください)。

実は中国剰余定理の対応は具体的に計算することができます。上で「a=11, b=7なら、107が対応する」と述べましたが、0から299までしらみつぶしに調べたりしなくても、ちょっとした計算手続きで11と7から107を導くことができるのです。実は、中国剰余定理のスタンダードな証明を深く理解していれば、その証明に計算手続きが含まれていることがわかります。なお、当記事の本文との関連で言うと、この証明中の計算手続きのところに、「1の分割」と呼ばれる幾何的な解釈が付くのです。「1の分割」は多様体論などで重要な役割を果たす幾何の概念ですが、そのアフィンスキームにおけるある類似が、中国剰余定理の証明に幾何学的な理解を提供してくれるのです。

ちなみに、中国剰余定理は、「整数たち」の環に限らず、あらゆる単位的可換環で定式化して証明することができます。それにも全く同様に、アフィンスキーム上の1の分割による幾何学的な意味がつきます。素晴らしいことです。なお。K会現代数学コース『集合と代数系』における中国剰余定理の証明は、アフィンスキームは出てきませんが、この幾何学的な理解を反映して整理したものになっています。

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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)

補足の内容に関する問題です。中国剰余定理の証明を調べてよく検討し、そこから「計算手続き」を抽出してみてください。それを使って、いろいろなaとbに対して、12で割った余りがaで25で割った余りがbの数を300で割った余りを求めてみてください。(ヒント:まず「a=1でb=0の場合」と「a=0でb=1の場合」に求める。それを上手く使えば他の場合もすぐに計算できる。)

★本日から冬期講習のお申し込み受け付けがスタートします★

2025年10月21日 更新

みなさんこんにちは。K会事務局です!

本日10/21(火)13:00から冬期講習の受付がはじまります!
設置講座は数学・英語・情報・物理・化学・生物・地理・天文学・言語学の全19講座!
講座の詳細は下記URLよりご確認ください。
https://www.kawai-juku.ac.jp/winter/kkai/curriculum/

この冬は天文学オリンピック直前対策講座が初開講します!
講座では過去問題を使いながら天文学特有の計算に慣れる練習や、データ解析の要素がある問題へのアプローチを学んでいきます。
講師は第16回国際天文学・天体物理学オリンピック日本代表の早川さんです。
試験のテクニックはもちろんですが、オリンピックの経験談や天文学の面白さなどもお伝えしていく予定ですのでお楽しみに!

また、『LaTeX入門~数学書を作ろう』という講座も初開講です!
LaTeXとは主に数式を含む本や論文を書くためのソフトウェアです。
中高生のみなさんには馴染みが無いかもしれませんが、大学で主に理工系の学部への進学を考えている方であれば知っておいて損のない知識です。
受講に際して特別な知識は必要ありません。
数式や化学式などを手書きではなく、文書作成ソフトを使って美しく書きたいという中学生の方から、理系の学部に進路が決まった高3生までどなたでも歓迎いたします!

▼講座のお申し込みは下記URLから
https://www.kawai-juku.ac.jp/winter/kkai/apply/


【お問合せ】
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00) ※お申し込みはWebから

★受付終了まであと3日!★

2025年10月19日 更新

イベントのお申し込みは12月21日(火)23:59まで!!

『円周率の秘密』
10月25日(土)14:00~16:00
講師:桝澤 海斗
イベント案内はこちらから

【よくあるご質問】
Q1:男女比はどれくらいですか?
A1:年によって異なりますが、2:1でやや男子生徒の方が多めです。

Q2:低学年ですが受講は可能ですか?
A2:学年で制限は設けておりません。分数・小数の計算、整数の性質(約数・倍数)図形の面積などについて理解されている方であれば学年を問わずご受講いただけます。

Q3:未就学児の弟・妹も一緒に連れていきたいのですが可能ですか。
A3:授業に参加することが難しい場合は控え室をご利用ください。教室の隣の部屋を保護者さまや小さなお子さまのための控え室としております。

Q4:当日必要なものはありますか?
A4:筆記用具をお持ちください。お持ちでない場合は貸し出しいたしますので、スタッフまでお声かけください。

Q5:申込期限を過ぎてしまいました。まだ申し込みはできますか?
A5:K会事務局までお問い合わせください。定員に余裕がある場合は、お電話でお申し込みを承ります。


イベント案内はこちらから

お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
※お申し込みはWebから

冬期講習のお申し込みについて

2025年10月14日 更新

みなさんこんにちは。K会事務局です!

来週、10/21(火)13:00から冬期講習の受付がはじまります!
設置講座は数学・英語・情報・物理・化学・生物・地理・天文学・言語学の全19講座!
詳しくは下記URLよりご確認ください。
https://www.kawai-juku.ac.jp/winter/kkai/

K会の冬期講習は、会員の方以外もお申込みいただけます。
毎年、受講いただいている生徒さんの半数以上がK会生以外の生徒さんです。
初めてK会の講座を受講するという生徒さんもたくさんいますので

「面白そう」 「学んでみたい」 「挑戦したい」

という気持ちがあれば、ぜひご受講ください!

言語学や天文学といった科学オリンピック講座をはじめ、方程式論や、化学の軌道論を扱う講座など、
学校では学ぶことのできない魅力的な講座をたくさんご用意してみなさんのお申し込みをお待ちしております。
講座は、下記お申し込みサイトにて10月21日(火)13:00よりお申し込みを承ります!
お申し込みはこちらから

【お問い合わせ】K会事務局
☎03-3813-4581 日・月除く 13:00~19:00
※日・月に加えて10月15日と12月30日~1月3日はお休み

━【「言語学をのぞいてみよう その42」(元K会英語科講師:野中大輔) 】━

2025年10月10日 更新

━【「言語学をのぞいてみよう その42」(元K会英語科講師:野中大輔) 】━
★このコラムでは、言語学を研究している筆者(元K会英語科講師)が、英語・言語学・外国語学習・比較文化などの話題をお伝えしていきます。★

「上下」「左右」「前後」「内外」のうち仲間外れは?

突然ですが、「上下」「左右」「前後」「内外」という二字熟語のうち、仲間外れはどれでしょうか? といっても、捻りのきいたなぞなぞを出題したいわけではなく、言語学の研究者である私だったら、どんなところに着目するのかをお話ししたいと思います。

まず、「上下」「左右」「前後」「内外」の構成を考えてみましょう。これらはいずれも反対の意味の漢字からなる熟語で、日本語にはこの種の熟語が多数あります(他には「大小」「貧富」「明暗」など)。「上下」「左右」「前後」「内外」はその中でも位置関係、空間関係を表すタイプであり、その点においてはよく似ています。

では、「上下」「左右」「前後」「内外」において、仲間外れがあるとすれば、どれでしょうか。私は日本語・英語の中でも特に動詞の研究を行っているので、ここでも動詞の観点から考えることにします。日本語では、名詞に分類される語に「〜する」を付けて動詞化することがよくあります(例:「料理する」「メールする」)。今回の4つの熟語に「~する」を付けてみると、「上下する」「左右する」「前後する」は自然な表現ですが、「内外する」は日本語としておかしく感じられることでしょう。中に入ったり外に出たりすることを「内外する」という表現で言い表してもよさそうですが、実際にはそのような言い方はしないわけですから、不思議なものです(一方で、「出入りする」という表現はありますね)。

今度は「上下する」「左右する」「前後する」の中で違いを探してみましょう。この3つの表現を使って例文を作ってみると、違いが見えてきます。「上下する」や「前後する」で例文を作るとすると、たとえば「値段が上下する」や「順番が前後する」などが思い浮かぶでしょう。それに対して、「左右する」の例文として自然なのは「この選択が運命を左右する」のような表現です。「上下する」と「前後する」は[Xが~する]の形で用いられるのが普通なのに対して、「左右する」は[XがYを~する]の形で使用されます。つまり、「上下する」「前後する」は自動詞(目的語を伴わない)であるのに対して、「左右する」は他動詞(目的語を伴う)なのです。「左右する」を「左に行ったり右に行ったりする」ことを表す自動詞として使うことがあってもよさそうに思えますが、試しに「風にあおられたボートが左右した」といった表現を作ってみれば、おかしいな、そんな言い方はしないなと感じられるでしょう。しかし、これは当たり前のことではなく、日本語を外国語として学習する人であれば、そのような表現を不自然だと感じずに使ってしまうかもしれません。なお、「左」と「右」を含む表現で自動詞として使うものとしては「右往左往する」があります(あわてふためくことを表す表現ですが)。

以上の内容をまとめると、「上下」「左右」「前後」「内外」のうち、動詞として使うかどうかという点では「内外」が仲間外れであり、動詞として使える3つのうち、自動詞として使うかどうかの点では、「左右(する)」が仲間外れということになります。同じような構成の表現なのに、こうした文法上の違いが見られるのは興味深いですね。

このような日本語の観察から、外国語学習についての教訓も得られます。まず、学習対象についての教訓です。日本語で「上下」「左右」「前後」「内外」のような表現を適切に使うためには、今回確認したような用法を身につけていなければなりません(そのような用法を身につけていないとおかしな表現を作ってしまう可能性があります)。同じく、外国語の表現を覚える際にも、その用法の範囲を知ることが重要です。たとえば「上下」に近い組み合わせとして、英語にはup and downという表現がありますが、単にupとdownを並べただけの表現だと思って終わらせるのではなく、どのような用法があるのかを意識的に学習することが必要です(up and downは副詞としてgo up and downのように用いられるほか、名詞としてups and downsの形にすると「(物事や気分の)浮き沈み、好不調」を表します)。

次に、「なぜ」という疑問との付き合い方について。おそらく、日本語において「内外する」とは言わない理由、「左右する」を他動詞としてしか使わない理由を考えても、納得のいく答えを見出すのは難しいと思われます。言語には〈たまたまそうなっている〉としか言いようのない側面も多々あります。それを受け入れるのも大事なことです。外国語を学んでいると様々な疑問が湧いてくるかと思いますが、「なぜ」については解消できないこともありますし、解消できなかったとしても必ずしも習得に支障はありません(たとえば、日本語を学習中の人は、「左右する」を他動詞としてしか使われない理由がわからなかったとしても、「この選択が運命を左右する」のような表現を学べるでしょう)。疑問を持つのは興味の表れですから、その気持ちは尊重しつつ、言語の実態を理解し、着実に身につけていく姿勢で外国語学習に向き合うことが大切です。

[補足]
「上下する」と「前後する」は「Xが~する]の形で用いられるのが普通であると述べましたが、「XがYを~する]の例も一部存在します。たとえば、「株価が一定の範囲を上下している」や「セミナーの出席者数が例年50人を前後しているので…」のように、Yに範囲や基準値などを表す名詞が現れる例などがあります。

★小学生対象:数学イベントのお知らせ★

2025年10月5日 更新

小学生対象の数学イベントのお知らせです!

『円周率の秘密』
10月25日(土)14:00~16:00
講師:桝澤 海斗
イベント案内はこちらから

3.141592653589793238462643383279 ……
2025年5月「最も正確な円周率の値のギネス世界記録」が樹立されました。
その記録は、なんと小数点以下第300兆桁目まで求めたというものです。

きっと、この記録を人が手で計算したものだと思う方は少ないでしょう。もちろん、これはコンピュータを使って計算された記録です。
しかし、円周率の値を正確に求めようという試みは、古代から多くの人々が挑戦してきました。

現在わかっている最も古い円周率に関する記録は、1936年に発見された粘土板に記されたもので、紀元前2000頃の古代バビロニア時代(縄文時代の終わりごろ)のものです。
日本では江戸時代の数学者、松村茂清が1663年に小数点以下第7桁までを、関孝和が1681年に小数点以下第11桁までを正確に計算したものが古い記録として残っています。
ここで少し考えて見てください。コンピュータのない時代の数学者たちはどのようにして円周率を求めてきたのでしょうか。

この講座では、そんな電卓もコンピュータもない時代にタイムスリップして、当時実際に使われていた円周率を求める計算にチャレンジしていただきます。
自分の手で正確に計算することの、大変さや意外な難しさを通して、数学者の情熱と探究心を少しでも感じて頂けたら、大変嬉しく思います。

算数好きのお子さまはもちろん、保護者のみなさんにも楽しんでいただける内容です。
お子さまと一緒にぜひ気軽にご参加ください!

イベント案内はこちらから

お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
※お申し込みはWebから

━【「音楽から見る数学14」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━

2025年9月10日 更新

━【「音楽から見る数学14」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★

― うなり ―

こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
突然ですが、みなさんは弦楽器や管楽器のチューニングをしたことはあるでしょうか?

チューニングとは、弦の張り具合や管の長さなどを調整することで、楽器どうしの音の高さを合わせることをいいます。そのチューニングの過程で、楽器の音の高さを互いに近づけていったとき、ピッタリ合う直前、少しだけ音の高さがズレているときに、「うわんうわんうわん」と、周期的に音量が大きくなったり小さくなったりしているように聞こえることがあります。この現象は「うなり」と呼ばれます。楽器のチューニングはしばしば、「うなり」を注意深く聴き取り、それを無くすように調整することで行われます。今日はこのうなりという現象について取り上げます。

次のような例で考えてみましょう。考える音は全ていわゆる「正弦波」(変動をグラフにしたものが y = sin x のグラフの形と相似になるような波)だとします。そして、波Aは1秒間に100回振動する波、波Bは1秒間に101回振動する波で、その波の高さ(振幅)は両者ともに等しいとしましょう。これらの波Aと波Bが重ね合わさったときに何が起こるのかを考えます。

とある瞬間に、波Aと波Bとが共に最も「振れている」としましょう(グラフで書いたときに一番"てっぺん"に来ているという意味です)。この瞬間、波Aと波Bとは互いに最も強め合います。そして、この瞬間のちょうど1秒後にも、波Aも波Bもまた"てっぺん"に来ますから、同じことが起こります。ですが、ちょうど0.5秒後を考えると、波Aは1秒間に100回振動する訳なので、0.5秒間にはちょうど50回振動し、また"てっぺん"に来る一方、波Bはその間に50.5回振動し、逆に"どん底"に来ます。よって0.5秒後の時点では、波Aと波Bとは互いにちょうど打ち消し合うことになります。まとめると、ある瞬間①に2つの波が最も強め合い、その0.5秒後②には打ち消し合い、さらにその0.5秒後③には①と同様にまた強め合います。また、①と②の間や②と③の間には、ちょうど打ち消し合ったり、最も強め合ったりする瞬間はありません(細かい証明は省きます)。この結果、「うわんうわんうわん」の「うわん」1個分がちょうど1秒になるようなうなりが発生します。

三角関数の加法定理をご存じであれば、次の計算をするとより明確です:sin(2π(f-a)t) + sin(2π(f+a)t) = (sin(2πft)cos(2πat) - cos(2πft)sin(2πat)) + (sin(2πft)cos(2πat) + cos(2πft)sin(2πat)) = 2sin(2πft)cos(2πat)。なお、上で挙げた例は、f = 100.5、a = 0.5 の場合に相当します。すなわち周波数がfよりaだけ小さい音とaだけ大きい音とを重ね合わせたものは、周波数fの音の振幅を、周波数aの正弦波に比例して大小させたものと等しいのです。

さて、このうなりですが、ピアノなどの楽器で異なる高さの音を同時に弾いた場合にも聞こえることがあります。

以前もこのコラムで触れましたが、一般的な楽器の音は、様々な周波数の正弦波の重ね合わせと見なすことができます。そしてそこで重ね合わさっているのは、鳴らしているメインの音の周波数がfだとすると、周波数f, 2f, 3f, 4f,・・・の正弦波です(※実際の現象はもう少し複雑です)。ですから、たとえばピアノで周波数440Hzの「ラ」の音を弾くと、周波数880Hz, 1320Hz, 1760Hz,・・・の音が同時に鳴っているような状態になります。

一方、現代の楽器は、様々な事情から、「平均律」と呼ばれる方法でそれぞれの音の高さを決めています。これは、1オクターブ(周波数比1:2)をちょうど12等分するもので、すなわち隣り合う2音の周波数比を1:2^(1/12)(=2の12乗根)とするものです。ですから、ピアノが平均律で調弦されているとすると、先ほどの「ラ」の少し上の「ミ」の音の周波数は440×2^(7/12)≒659.255Hzになります(ラとミの間の音程は半音7個分です)。そしてこの音には、その2倍の周波数である約1318.51Hzの音が含まれます。

ここで、「ラ」と「ミ」を同時に弾くことを考えてみましょう。するとここでは、1320Hzの音と、約1318.51Hzの音が同時に鳴っているような状態となり、うなりが発生します。もしピアノがいわゆる「純正律」で調弦されていて「ミ」の音がちょうど660Hzならば、このうなりは発生しません。

このようなうなりは注意深く聴かないと認識できないわずかなものですが、平均律と純正律の違いを実感できる一つの方法です。ピアノを触る機会があれば(もしくは最近ではアプリなどでもいくらでも音を出せますね)、ぜひご自分でも試してみてはいかがでしょうか。

━【「現代数学の視座と眺望7」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━

2025年8月14日 更新

━【現代数学の視座と眺望№7(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★


数学的思考における「同期化」

読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。

前回の第6回は、数学における抽象化と、それによって生じる難しさについて論じました。そして最後に第7回の予告として、「抽象化に伴う数学の学習上の難しさに対する向き合い方についてコメントする」予定である旨を述べました。ただ、もちろん「学習上のアドバイス」のような内容だけの記事では面白くありませんし連載の趣旨にも即しませんので、今回もキーワードを1つ設定してみることにしました。それがタイトルにもある「同期化」という単語です。「同期化」は数学的思考の様々な異なったレベルにおいて、異なった形で見出すことのできる現象であり、人間の数学的思考の1つの本質だと私は思っています。その意味でも、この連載において、一度この「同期化」をテーマとした回を設定しておくことには意味があるでしょう。ただし、今回紹介する意味での「同期化」というのは私が勝手に使っている言い回しであり、他の数学関係者に対して言っても説明なしには伝わらないと思いますので、その点はご注意ください。また、「人間の数学的思考の」等と言っていますが、基本的には筆者自身の個人的な学習体験・教育体験をベースに論じるしかありませんから、また別の意見をお持ちの数学関係者の方もいらっしゃるに違いありません(むしろ、だからこそ私がこの記事を書くことに意味があると思うのです)。この点もまたご承知おきください。

それでは、この「同期化」とは一体何なのでしょうか。実はこの単語は前回の議論にも既にこっそり登場させていました。ですので、まずはそれを復習しましょう。前回は次の初等的な問題と、その2通りの解法を例にとって議論をしていました。

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問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
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この問題の1つの解法は、100-40=60という引き算によって鉛筆2本分の値段を計算して、そこから60÷2=30という計算で鉛筆1本分の値段を得るというものです。また、もう1つの解法は、鉛筆1本分の値段をx円として、(x+40)+x=100という方程式を作り、これを解いて(2x=60という式を経由して)x=30を得るというものです。これら2つの解法で行う計算の実質は同じなのですが、解いている人の思考状態としては明確な違いがあります。それは、前者は「現実の世界」と「数学の世界」を常に結び付けながら考えているが、後者は基本的にはそうではない、ということです。もう少し詳しく述べましょう。前者では、例えば100-40=60という計算をしたとき、その式に対応する現実の意味を考えて、「鉛筆2本で60円なんだ」ということを明確に意識しています。そして、そのように「現実の世界」との対応関係を把握しているからこそ、それに続く60÷2=30という計算で答えが求まっていることもわかるのです。一方、後者の解法では、ただ抽象的な数式として中間結果2x=60が得られており、ここで「xは、鉛筆1本の値段がx円、として意味付けられている」ということを意識している必要は全くありません。一旦「現実の世界」のことは忘れて方程式を解き切ってx=30まで到達してから、最後に初めて「そういえば、鉛筆1本の値段がx円でしたね」と思い出せば、答えが出てくるわけです。

この前者の解法における、「「現実の世界」と「数式の世界」を常に結び付けながら考える」という頭の働き方が、「同期化」の一例になります。「現実の世界」と「数式の世界」の2つの世界を(そうと意識するかは別として)頭の中に両方とも用意して、対応関係にある操作を常に同時実行的に、いわばシンクロさせながら考えていくのです。(同期化という単語を私は、シンクロ、つまりシンクロナイゼーション(synchronization)の和訳のつもりで用いています。)後者の解法はこれとは違って同期化が見られません。「現実の世界」と「数式の世界」の結び付き自体は確かに登場するのですが、その結び付きは最初に方程式を立てるところ、最後に「x=30」を「鉛筆1本は30円」と解釈するところ、2回しか使われません。途中の部分はずっと同期化を切って、「数式の世界」単体で完結する操作をしているのです。こういった「同期化を切った」考え方への移行が汎用性の向上をもたらし、数学の発展に寄与する一方で、しばしば学習者にとってはその習得を難しくするというのが、前回行った議論の大体の要約(を今回のキーワード「同期化」の観点で捉えなおしたもの)になります。(ただし前回は、「同期化を切る」とは階層の異なる「抽象化」をキーワードにして論じていました。詳細は前回記事をご参照ください。)

さて、それでは、この(前者の解法に見られるような)同期化的思考それ自体が、数学の発展の観点からは「無用の長物」なのでしょうか?数学を学ぶ上でも、この「同期化」的思考を、なくしていったほうがよいのでしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。むしろ「同期化」的思考は人間の数学的思考の1つの本質である、というのが私の考えです。確かに上の例では、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化を切ることが数学の発展の方向性でした。しかし、「同期化」の枠組みを用意すること自体は有益であり、数学という学問の発展のためにも、学習者が理解を深めるためにも、むしろ積極的に利活用されるべきものなのです。以下では、いくつかの具体例に触れながら、これをもう少し詳しく論じてみたいと思います。

中学校に入って方程式の考え方を勉強してゆく上で、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化にこだわり続けるのは流石にちょっと無理があります。何しろ、上の文章題の例でもわかることですが、「現実の世界」の意味とは切り離されて、純粋に抽象的な「数式の世界」で完結した枠組みに収まっていることこそ、方程式の考え方の本質的な側面です。しかし、だからといって、この同期化が全く無駄になるわけではなく、むしろこれは「勉強の土台」としてほぼ必須と言ってよいものです。例えば、「鉛筆1本の値段がx円なら、鉛筆2本の値段は2x円だよね」といった思考が呼吸のようにこなせるようになっていないと、地に足の着いた形で複雑な数式を理解することは困難でしょう。(もちろん、そのために、「鉛筆1本の値段が30円なら、鉛筆2本の値段は60円だよね」といった更に具体的な考察がこなせるようになっていることも必須です。)この例は「具体例と抽象論の同期化」の重要性を示していると言えます。様々な具体例が予めわかった上で、それらを念頭に置きながら抽象論を考えることで、地に足の着いた抽象論の理解に到達できるのです。逆説的ですが、同期化の思考回路がしっかり確立できているからこそ、同期化を切り離した抽象論の理解も盤石になるのです。いずれにしても、こういったことは中高数学の勉強でも、現代数学の進んだ勉強でも、あるいは最先端の研究の現場ですら同じことだと思います。

以上から数学を勉強していて困難を感じた際の対処のヒントも得られます。(もちろんこれは単なるヒントに過ぎず、個々人で色々な事情や個性がありますので、唯一絶対の指針はありません。)例えば、上の中学校1年生の数学で、方程式の勉強でよくわからなくなった場合、まずは小学校の算数の文章問題を沢山解く練習をするのが有効な初手になる場合がかなり多いのではないかと筆者は考えています。こうして具体例に徹底的に親しんだ後で、常に具体例を当てはめながら(つまり、具体例との同期化を図りながら)抽象的な文字式を扱うようにするのが、ひとつの妥当な方針なのではないでしょうか。現代数学でも同じことで、抽象論がよくわからないときは、必ず具体例を納得のいくまで考えるべきです。それも、1つの例ではなく、10個の、100個の例を考えるべきです。そして、その例に当てはめながら抽象論を考えてゆくのです。

前段までに論じた「具体例と抽象論の同期化」と(関係は深いのですが)別の階層にある観点として、「イメージと厳密な論理の同期化」も非常に重要です。引き続き初等的な例で考えてみましょう。方程式を解く上での1つの重要な原理に、「a=bならばa+c=b+c」という(当たり前な)含意が挙げられます。これ自体は、数学の世界に属する、厳密な含意関係です。一方、これは、等式を「左と右で釣り合っている天秤」に喩えることにすると、「釣り合っている天秤の左右に、同じ重さのおもりを乗せても、釣り合ったまま」というイメージで捉えることもできます。「イメージと厳密な論理の同期化」とは、この含意の議論をするときに、同時に、天秤の左右におもりを乗せるアニメーションを脳内再生する。といった感じの頭の使い方を指しています。この天秤の例はあくまでも説明用の例で、実際の式変形でこれをやるのは不利益の方が大きいかもしれません。(私自身、等式を変形するときに天秤のアニメーションを想像することはまずありません。)しかし、こういった思考を適切に確立できている人の場合、特に、原理的な理解ができていることになりますので、例えば(中学生のやりがちな)「移項の符号ミス」などを起こす頻度は非常に低くなるでしょう。つまり、適切なイメージの確立は、「原理がわかっていれば有り得ないエラー」に対する耐性を与えてくれるのです。また、現代数学の議論では非常に複雑な概念や対象を扱う必要に迫られるため、適切なイメージの確立による思考のショートカットは、効率の向上のためにも有益です。中高数学で言うと、「単調増加関数」と言ったときに「x≦yならばf(x)≦f(y)」のように定義通り捉えることも大切ではある(というか、数学ですから、「定義通り」が圧倒的に一番大切である)のは間違いないのですが、同時に「右肩上がりのグラフ」を視覚的に想像できていると、考察を進める上で便利でしょう。こういったことが「イメージと厳密な論理の同期化」です。

「イメージと厳密な論理の同期化」においては特に注意点もあります。例えば、上の単調増加関数の例では、定義を見直すとわかる通り、グラフが右肩上がりというよりは横ばいの定数関数(増えも減りもせず一定値の関数)や、大体右肩上がりだけど一部で横ばいになっている関数なども例になっています。(この記事では「広義単調増加関数」すなわち「非減少関数」のことを「単調増加関数」と呼ぶことにしたためです。なお。今回の趣旨とは関係のない別の話ですが、同じ語が文献によって相異なる定義で用いられることもよくありますから、知っているつもりの言葉であっても定義をしっかり確認しておくのも数学では大切なことです。)ですから、(広義)単調増加関数を考える際にこの「右肩上がり」だけを想像して、それに頼って議論してしまうと、間違った議論をしてしまう可能性があります。

こうした「不適切なイメージ」に引きずられた間違いを防ぐために大切なことが2つ思いつきます。まず、当たり前なことですが、イメージに頼りきりで考えるのではなく、むしろ言葉や式で行う厳密な議論の方を大切にすること。しつこいようですが、ポイントは、両方を大切にした上で結び付けて並行的に処理する「同期化」なのです。そして数学は論理を立脚点にしていますから、特に習得を目指す上での最初のマイルストーンとしては、(イメージの確立というよりも)厳密な議論が一通りできるようになることを目指す方が適切であることが多いでしょう。イメージはあくまでも常に仮説的・暫定的な補助具です。厳密な議論と頭の中のイメージが矛盾した時には、少なくとも学習の初期段階ではイメージの方を修正すべきです(上級者になればイメージを活用して議論の間違いを検出することができたりもするのは、先述の「移項の符号ミス」の例が示す通りです)。(ただし、このあたりのバランスは非常に難しく、適切な指導者の存在が特に望まれる部分です。私自身、独学で大学レベルの数学を学び始めたころには、厳密な議論を習得することばかりに気を取られてイメージの形成が遅れたことが原因の苦労が沢山あった気がします。)もうひとつのポイントは、多種多様な具体例を知り、意識しておくこと。特定の限定的な具体例だけを知るのではなく、なるべく多くの具体例を把握することが、適切なイメージの形成の役に立ちます。このことは上の単調増加関数の例からも想像がつくでしょう。この意味で「具体例と抽象論の同期化」と「イメージと厳密な論理の同期化」は密接な関係にあることもわかります。

前段の最初に「間違いを防ぐために」と書きましたが、数学者も人間ですから、数学の議論において多種多様な間違いを犯します。(学術論文にまとめる段階では、丁寧に考え直して間違いをつぶしてゆきます。)そして私の知る限りでは、間違いのひとつの典型は、まさに「イメージをベースとした(厳密な議論との同期化を切った・緩めた)考察をして間違える」、というものなのです。数学者と言えば物事を厳密に考えるイメージの方が強いと思いますので、これは意外に思われる読者もいるかもしれません。もちろん実際、多くの数学者は、厳密に考える能力自体は持ち合わせています(最終的に論文にまとめるときにはそれを発揮します)。しかし、クリエイティビティを発揮する段階では、完全に厳密に議論を遂行するよりも、新しいアイデアを見出すことなどの方が遥かに優先度が高く、そこにイメージ的な理解が活きてくるのです。もちろん、それと同時に厳密な議論も遂行できるに越したことはないのですが、高度に複雑化した現代数学の考察を最初から厳密な形で実行することはしばしば無理があります(脳の処理限界を超えます)。ですから、一旦はそちらをあきらめてイメージベースの考察に注力するのは、ある程度仕方がないことなのです。その結果、しばしば間違いが生じるというわけです。ただし、細かいところが間違っていても多少の努力で修復が可能だったり、あるいは完全に間違っているけれど次なる考察への第一歩にはなったりと、間違いだとしても無意味ではないこと、「ただでは倒れない」ことが強く望まれます。そして実際に数学者の失敗はそのような「ただでは倒れない」ものになっていることも多いのです。こういった「間違いを含むかもしれないけれど、そうだとしても、無意味・的外れではない」議論が効率よく生産できるようになるためには、同義反復的ですが、やはり、あてずっぽうのイメージではなくて、妥当な、適切なイメージを確立できていることが非常に重要です。そのためにも、やはり、訓練の段階では「イメージと厳密な論理の同期化」を予めしっかり確立しておくことが大切になります。

以上に「具体例と抽象論の同期化」「イメージと厳密な論理の同期化」という2種類の「同期化」の観点、そしてそこから自然に導かれる学習上の指針のヒントなどについて述べてきました。最初に述べたことの繰り返しになりますが、筆者はこういった「同期化」を、人間の数学的思考の非常に本質的な側面であると考えています。ですから、これから数学の勉強を進められる読者の方も、この「同期化」的思考回路の確立を意識して目指してみてほしいのです。もちろん、2つの異なる要素の両方をきちんと用意して、更にそれらを結び付けながら並行的に処理することが求められるため、その確立の過程では大変な負荷がかかります。しかしそれは数学をきちんと理解するためには不可避な、本質的な難しさだと筆者は思うのです。ゆっくり進めてゆくしかありません。そうして「同期化」の回路を確立してしまうことで、気づいたときには世界の見え方が一変しているのです。個人的な話にはなりますが、この「世界の見え方が一変する感覚」は、まさに筆者を次なる数学に向かわせる最大の原動力でもあるのです。


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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)

1. あなた自身の数学的思考の中にどのような「同期化」を見出すことができるか、考えてみてください。

2. 今回の記事に登場させることがかなわなかった、また別の重要な(そして、より数学的な)「同期化」の例として、「同型対応を通じた両側の議論の同期化」が挙げられます。当コラム第3回記事を参考に、そこで起きている同期化について検討してみてください。

★夏期講習2タームの締切について★

2025年7月30日 更新

みなさんこんにちは。K会事務局です!

夏期講習第2タームの講座は8月1日(金)中にお申込みください!
2ターム(8月5日~8月8日)の講座は下記6講座です。
・初等幾何(14:00~17:10)
・整数論(14:00~17:10)
・情報オリンピック予選問題に挑戦!(14:20~17:10)
・グラフ理論(17:30~20:40)
・英語で読む数学(17:30~20:40)
・物理数学(17:30~20:40)

講座の詳細はこちらから

講座を受講されたみなさんの声
●初等幾何●
知らなかった定理の証明はもちろん、知っていた定理も「何故そうなるのか」を知ることができました。(筑波大学附属・中1)
円周角の定理や内接四角形の性質を逆にすれば、色々な証明に利用できることが分かりました。(京華・中2)

●整数論●
平方乗除の相互法則の証明がすごくきれいで印象的でした。(筑波大学附属駒場・中2)
環や体などのはなしは難しかったが、新しい数学の世界に触れられた気がした。(市川学園・中2)

●情報オリンピック予選問題に挑戦!●
自分で勉強しようとすると挫折しそうなことも、先生や他の生徒がいるから頑張ろうという気持ちになれた。人から直接教えてもらうと分かりやすいし、受講してよかった。(筑波大学附属・中2)
計算量の説明がわかりやすく、オーダー記法の基本をしっかり理解することができました。競プロが強くなれるように頑張ります。(桜蔭・中2)

●グラフ理論●
一見、グラフとは関係ない問題も、グラフを用いることで簡単に解けるようになることが面白かったです。(学習院中等科・中2)
点と線だけでこんなにも楽しい定理が生み出されるということに感動しました。先生の解説もとても分かりやすかったです。(横浜雙葉・高1)

●物理数学●
先生が抽象なものに対する例を多く示してくれたり、内容を掘り下げた深い話をして下さったりしたおかげで、あきずに楽しめました。(筑波大学附属駒場・高1)
物理の基礎となる微分積分についての理解がかなり深まりました。(横浜サイエンスフロンティア・高2)

※「英語で読む数学」は2025年度夏期講習が初開講

K会の授業は河合塾本郷校で行います。大きな校舎ですが「こんにちは!」の挨拶に始まり、受講場所のご案内や、施設利用についてお一人ずつ丁寧にご案内します。
少人数授業のため講師もみなさんの様子を見ながら、授業のペースや出題する問題などをその都度変えており、質問や机間指導にもじっくりお応えしています。
塾がはじめてという方も安心してご受講下さい!

みなさんとお会いできることを講師・スタッフ一同楽しみにしております♪

お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
※お申し込みはWebから

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