スタッフからのお知らせK会本郷教室
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━【「現代数学の視座と眺望6」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━
2025年5月9日 更新
━【現代数学の視座と眺望№6(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学の抽象化と難しさ
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
第6回目となる今回から次回の第7回にかけては、数学という学問の重要な側面の1つである「抽象化」を話題にしてみたいと思います。大げさな話に見えるかもしれませんが、これは中学校で習う「方程式の文章題」という初等的な例を通じても観察することができるものです。その意味では、この話題は「現代数学」とは限らない(中高レベルも含めた)「数学」にも通用するものであり、連載の趣旨から外れてしまうのかもしれません。一方、筆者が今回の内容のようなことを本格的に考え出したきっかけは、もう10年近く前になりますが、現代数学の勉強を始めたころの苦労の経験であり、それゆえに筆者としては今回から次回にかけての内容が現代数学を学ぼうとする方の参考になることを願い、期待しているものです。
それでは、次のような「方程式の文章題」に対する、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の比較から、議論を始めましょう。なお、誤解を防ぐために先に述べておきますと、ここで言いたいのは「どちらの方が良い解法だ」といった優劣比較ではありません。(ある特定の観点からの優劣比較は後に出てきますが、それは記事の主旨ではありません。)また、今回たまたま例示がこのようなものになっただけであって、筆者は「算数と数学の違い」のようなことを論じたいわけでもありません。
問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
解法1(算数的?)
100-40=60 (鉛筆2本の値段)
60÷2=30 (鉛筆1本の値段)
よって、「30円」
解法2(数学的?)
鉛筆1本の値段をx円とおくと、条件は
x+(x+40)=100
これを解くとx=30
よって、「30円」
この2つの解法の共通点と相違点を観察しましょう。まず共通点ですが、「行われている実質的な計算の内容は一緒である」ことが挙げられると思います。実際、解法2において方程式を解くプロセスを書き下すと、
2x=100-40=60
x=60÷2=30
のようになり、解法1において行われる計算の内容と一緒になります。この意味では解法1と解法2は「全く同じ解法だ」と認識する人がいてもおかしくはないでしょう。にもかかわらず筆者は、解法1と解法2には明確な相違点があると考えているのです。
では、筆者の考える2つの解法の相違点を説明しましょう。
解法1においては、途中の計算に対して、考察下の問題設定の観点からの「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付与されています。つまり例えば、途中で行った100-40=60という計算は、ただの抽象的な数の計算ではなくて、「この数値が鉛筆2本分の値段を表している」という認識、意味付けの下で行われているということです。対照的に、解法2においては、途中の計算2x=100-40=60は抽象的な数の計算です。もちろん、「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」ということを思い出せば、その情報によって、解法2におけるこの式にも「物理的な・現実的な・実体的な意味」を付与することは可能です。しかし、中学校1年生で習う「方程式の考え方を用いて文章題を解く」方法の重要な点はむしろ、途中の計算に意味を付与しないこと、途中で「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」などと思い出したりしないこと、にあるのではないでしょうか。ですから、この「途中の計算に意味を付与するかどうか」という点は、解法1と解法2の大きな違いだと言えると思います。今回は易しめの問題を選んでみましたが、どんな文章題でも、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の間には、同様の違いが見出されるはずです。
しつこいようですが、解法2で何が起きているのか、もう一度説明させてください。「ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。」という問題文は、物理的な・現実的な・実体的な状況の説明を与えるものであり、つまりこの問題文は「現実の世界」に属しています。我々はそれを「鉛筆1本の値段をx円とおく」ことでx+(x+40)=100という数式に翻訳・変換します。このx+(x+40)=100という方程式は「現実の世界」ではなく、抽象的な、「数式の世界」に住まうものです。解法2では、ひとたびこの「数式の世界」にいる(そして「現実の世界」にはいない)x+(x+40)=100を得たら、一度も「現実の世界」との関連に立ち返ることなく、純粋に「数式の世界」で完結した処理によって、x=30を導きます。そして、ここまできて、最後の最後に、初めて「鉛筆1本の値段をx円とおく」というルールを思い出し、「鉛筆1本は30円」と結論するのです。まとめましょう。「現実の世界」から「数式の世界」にひとたび移ったら、その「数式の世界」で完結する(「現実の世界」との結びつきは考えない)処理を行い、一番最後に得られた結果を再度「現実の世界」に翻訳する。これが解法2の、ひいては中学校で習う「文章題の方程式による解法」全般に見られる、論理的な構造です。
こう見ると、解法1と解法2の相違点も明確ではないでしょうか。解法1において、100-40=60といった計算そのものは「数式の世界」に属していますが、我々はそれを「現実の世界」と切り離してはいません。100-40が「現実の世界」における何に対応しているのかを、明確に意識しています。そして、その意識があるからこそ、続く60÷2=30という計算にも意味が付与され、30円が答えであることが直ちにわかるのです。ここでは常に「現実の世界」と「数式の世界」が結びついています。この結びつき、あるいは結びつけ続けたまま処理を行うことを、筆者は個人的に「同期化」と呼んでいます。解法1においては、「現実の世界」での理解と「数式の世界」での理解が常に同期化され、同時並行で進んでいるのです。解法2にはこうした同期化が見られません。
相違点がわかったところで、議論をさらに進めましょう。最初に述べた通り、解法1と解法2はどちらが優れているというわけではなく、それぞれの良いところがあります。まず、解法1の良いところは、同義反復的ですが、考察下の物理的な・現実的な・実体的な状況に対して理解が深められるところです。なにしろ、計算過程にも常に意味が付与されているのですから、当然、より多くのことを網羅的に理解でき、手持ちの情報が多くなります。また、途中経過の全ての部分に意味がつくということは、途中の議論の全てに素朴に納得感をもって、安心して答えを出せるということでもあると思います。
解法2の良いところとして、解法1と違って途中経過で保持しておかなければならない情報が少ないぶん、ひとたび抽象的な計算(=例えば、方程式の同値変形)の仕組みさえ理解してしまえば、思考負荷が非常に小さくなる、ということが挙げられると思います。また、途中経過に意味を付与する必要がないため、計算の自由度が大幅に上がります。例えば-2x=-60等といった負の数の式が出てくると、これに「物理的な・現実的な・実体的な意味」を端的にわかりやすく与えるのは少し大変になりますが、そうした困難性は方程式の計算の上では全く支障にならないわけです。更に、こうした自由度の向上が、解決可能な問題の範囲の拡張に本質的に寄与する場合もあります。実際、3次以上の方程式(が出てくるような問題)になると、最終的な解には「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付くような状況であったとしても、解法の途中では虚数(当コラム第1回および第2回を参照)まで使うはめになる、といった場合もあるのです。(というより。歴史的にはこれが虚数を導入する1つの契機になったようです。詳細を知りたい方は数学史の本をご覧ください。)
筆者は先に「2つの解法の優劣比較をしたいわけではない」と述べました。一方、しかしながら、何か特定の、限定的な観点に立てば、その観点から優劣がつくのも当たり前なことです。そして、上に見てきた通り、「計算の自由度」やそれに伴う「汎用性」といった観点からは、解法2は解法1を上回っていると考えられます。こうした抽象化(=今回の例で言えば、様々な問題解決に統一的な視座を与える「方程式を解く」という仕組み)による汎用性の向上は、数学の発展の1つの典型的な方向性であり、その意味では解法2は解法1より進んだ考え方だとみることもできます。
抽象化は「方程式の文章題」の例だけで見ても素晴らしいものだとわかりますし、また前回記事の代数的整数論の話題も、抽象化の威力を示す例となっています。一方、当たり前な話ですが、このような、より抽象化された、進んだ数学は、それだけ習得や納得のハードルが上がるという側面もあります。何しろ、抽象化というのは、まさに「それまで依拠していた具体的な文脈から離脱してしまう」ということなのですから、物事をどういう風に考えたらいいのか、見失いやすくなります。例えば「方程式の文章題」の例ですと、解法2において重要な役割を果たした方程式の同値変形の仕組みは、「現実の世界」とは切り離されて純粋に「数式の世界」に属するものであり、これについて納得して理解することは中学数学の最初の関門となるでしょう。また、そのようにして具体的な文脈から離脱した抽象的手法の適用によって、最終的に具体的な成果が得られたとしても、「狐につままれた」ような感じで納得しづらい、と思う人もいるのではないでしょうか。方程式を解いて「現実の世界」の答えが得られること、素数を平方和で表す方法の存在・非存在が複素数を使ってわかること(前回記事参照)、改めて考えてみると何だか魔法のようです。
筆者の場合、幸運にも中高数学の勉強の段階ではこのような抽象性について困難を感じずに済みましたが、大学レベル(現代数学)の勉強を始めた後は、多くの苦労を経験しました。現代数学ですと、一口に抽象化とは言っても最初から現実世界とは切り離された純粋数学の枠組内でのそれが多いので、その意味では「方程式の文章題」の例と様子が違っているのですが、それでも学習上の困難の在り方自体は上述したものと同様です。では、このような抽象性に由来する習得・納得の困難に立ち向かうためには、我々はどうすればよいのでしょうか?これは決まった答えのない難しい問題ですが、筆者なりに考えていることがいくつかあります。そこで次回は筆者の個人的な経験に基づいて、抽象的な数学の学習に関するいくつかのコメントを述べてみたいと思います。
**********
(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1.様々な「方程式の文章題」について、「解法1」のような解き方と、「解法2」のような解き方を与え、それらを比較した考察を与えてみてください。
2.次回は、抽象的な数学を学ぶ上での困難にどのように立ち向かうか、ということを話題にしたいと思います。そのトイモデルとして、解法2に出てくるような方程式の同値変形の仕組みがわからず困っている人が、どのように学習を進めたら良さそうか、考えてみてください。(もちろん、どのような方法が最適かは人によると思いますが、その方法の候補を考えてみてください、ということです。)例えば、「解き方のパターンを、理屈は気にせず丸暗記する」という方法には、どのようなメリットとデメリットがあるでしょうか?また、こういった考察から、抽象的な数学の学習全般への示唆は何か得られるでしょうか?
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学の抽象化と難しさ
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
第6回目となる今回から次回の第7回にかけては、数学という学問の重要な側面の1つである「抽象化」を話題にしてみたいと思います。大げさな話に見えるかもしれませんが、これは中学校で習う「方程式の文章題」という初等的な例を通じても観察することができるものです。その意味では、この話題は「現代数学」とは限らない(中高レベルも含めた)「数学」にも通用するものであり、連載の趣旨から外れてしまうのかもしれません。一方、筆者が今回の内容のようなことを本格的に考え出したきっかけは、もう10年近く前になりますが、現代数学の勉強を始めたころの苦労の経験であり、それゆえに筆者としては今回から次回にかけての内容が現代数学を学ぼうとする方の参考になることを願い、期待しているものです。
それでは、次のような「方程式の文章題」に対する、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の比較から、議論を始めましょう。なお、誤解を防ぐために先に述べておきますと、ここで言いたいのは「どちらの方が良い解法だ」といった優劣比較ではありません。(ある特定の観点からの優劣比較は後に出てきますが、それは記事の主旨ではありません。)また、今回たまたま例示がこのようなものになっただけであって、筆者は「算数と数学の違い」のようなことを論じたいわけでもありません。
問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
解法1(算数的?)
100-40=60 (鉛筆2本の値段)
60÷2=30 (鉛筆1本の値段)
よって、「30円」
解法2(数学的?)
鉛筆1本の値段をx円とおくと、条件は
x+(x+40)=100
これを解くとx=30
よって、「30円」
この2つの解法の共通点と相違点を観察しましょう。まず共通点ですが、「行われている実質的な計算の内容は一緒である」ことが挙げられると思います。実際、解法2において方程式を解くプロセスを書き下すと、
2x=100-40=60
x=60÷2=30
のようになり、解法1において行われる計算の内容と一緒になります。この意味では解法1と解法2は「全く同じ解法だ」と認識する人がいてもおかしくはないでしょう。にもかかわらず筆者は、解法1と解法2には明確な相違点があると考えているのです。
では、筆者の考える2つの解法の相違点を説明しましょう。
解法1においては、途中の計算に対して、考察下の問題設定の観点からの「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付与されています。つまり例えば、途中で行った100-40=60という計算は、ただの抽象的な数の計算ではなくて、「この数値が鉛筆2本分の値段を表している」という認識、意味付けの下で行われているということです。対照的に、解法2においては、途中の計算2x=100-40=60は抽象的な数の計算です。もちろん、「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」ということを思い出せば、その情報によって、解法2におけるこの式にも「物理的な・現実的な・実体的な意味」を付与することは可能です。しかし、中学校1年生で習う「方程式の考え方を用いて文章題を解く」方法の重要な点はむしろ、途中の計算に意味を付与しないこと、途中で「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」などと思い出したりしないこと、にあるのではないでしょうか。ですから、この「途中の計算に意味を付与するかどうか」という点は、解法1と解法2の大きな違いだと言えると思います。今回は易しめの問題を選んでみましたが、どんな文章題でも、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の間には、同様の違いが見出されるはずです。
しつこいようですが、解法2で何が起きているのか、もう一度説明させてください。「ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。」という問題文は、物理的な・現実的な・実体的な状況の説明を与えるものであり、つまりこの問題文は「現実の世界」に属しています。我々はそれを「鉛筆1本の値段をx円とおく」ことでx+(x+40)=100という数式に翻訳・変換します。このx+(x+40)=100という方程式は「現実の世界」ではなく、抽象的な、「数式の世界」に住まうものです。解法2では、ひとたびこの「数式の世界」にいる(そして「現実の世界」にはいない)x+(x+40)=100を得たら、一度も「現実の世界」との関連に立ち返ることなく、純粋に「数式の世界」で完結した処理によって、x=30を導きます。そして、ここまできて、最後の最後に、初めて「鉛筆1本の値段をx円とおく」というルールを思い出し、「鉛筆1本は30円」と結論するのです。まとめましょう。「現実の世界」から「数式の世界」にひとたび移ったら、その「数式の世界」で完結する(「現実の世界」との結びつきは考えない)処理を行い、一番最後に得られた結果を再度「現実の世界」に翻訳する。これが解法2の、ひいては中学校で習う「文章題の方程式による解法」全般に見られる、論理的な構造です。
こう見ると、解法1と解法2の相違点も明確ではないでしょうか。解法1において、100-40=60といった計算そのものは「数式の世界」に属していますが、我々はそれを「現実の世界」と切り離してはいません。100-40が「現実の世界」における何に対応しているのかを、明確に意識しています。そして、その意識があるからこそ、続く60÷2=30という計算にも意味が付与され、30円が答えであることが直ちにわかるのです。ここでは常に「現実の世界」と「数式の世界」が結びついています。この結びつき、あるいは結びつけ続けたまま処理を行うことを、筆者は個人的に「同期化」と呼んでいます。解法1においては、「現実の世界」での理解と「数式の世界」での理解が常に同期化され、同時並行で進んでいるのです。解法2にはこうした同期化が見られません。
相違点がわかったところで、議論をさらに進めましょう。最初に述べた通り、解法1と解法2はどちらが優れているというわけではなく、それぞれの良いところがあります。まず、解法1の良いところは、同義反復的ですが、考察下の物理的な・現実的な・実体的な状況に対して理解が深められるところです。なにしろ、計算過程にも常に意味が付与されているのですから、当然、より多くのことを網羅的に理解でき、手持ちの情報が多くなります。また、途中経過の全ての部分に意味がつくということは、途中の議論の全てに素朴に納得感をもって、安心して答えを出せるということでもあると思います。
解法2の良いところとして、解法1と違って途中経過で保持しておかなければならない情報が少ないぶん、ひとたび抽象的な計算(=例えば、方程式の同値変形)の仕組みさえ理解してしまえば、思考負荷が非常に小さくなる、ということが挙げられると思います。また、途中経過に意味を付与する必要がないため、計算の自由度が大幅に上がります。例えば-2x=-60等といった負の数の式が出てくると、これに「物理的な・現実的な・実体的な意味」を端的にわかりやすく与えるのは少し大変になりますが、そうした困難性は方程式の計算の上では全く支障にならないわけです。更に、こうした自由度の向上が、解決可能な問題の範囲の拡張に本質的に寄与する場合もあります。実際、3次以上の方程式(が出てくるような問題)になると、最終的な解には「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付くような状況であったとしても、解法の途中では虚数(当コラム第1回および第2回を参照)まで使うはめになる、といった場合もあるのです。(というより。歴史的にはこれが虚数を導入する1つの契機になったようです。詳細を知りたい方は数学史の本をご覧ください。)
筆者は先に「2つの解法の優劣比較をしたいわけではない」と述べました。一方、しかしながら、何か特定の、限定的な観点に立てば、その観点から優劣がつくのも当たり前なことです。そして、上に見てきた通り、「計算の自由度」やそれに伴う「汎用性」といった観点からは、解法2は解法1を上回っていると考えられます。こうした抽象化(=今回の例で言えば、様々な問題解決に統一的な視座を与える「方程式を解く」という仕組み)による汎用性の向上は、数学の発展の1つの典型的な方向性であり、その意味では解法2は解法1より進んだ考え方だとみることもできます。
抽象化は「方程式の文章題」の例だけで見ても素晴らしいものだとわかりますし、また前回記事の代数的整数論の話題も、抽象化の威力を示す例となっています。一方、当たり前な話ですが、このような、より抽象化された、進んだ数学は、それだけ習得や納得のハードルが上がるという側面もあります。何しろ、抽象化というのは、まさに「それまで依拠していた具体的な文脈から離脱してしまう」ということなのですから、物事をどういう風に考えたらいいのか、見失いやすくなります。例えば「方程式の文章題」の例ですと、解法2において重要な役割を果たした方程式の同値変形の仕組みは、「現実の世界」とは切り離されて純粋に「数式の世界」に属するものであり、これについて納得して理解することは中学数学の最初の関門となるでしょう。また、そのようにして具体的な文脈から離脱した抽象的手法の適用によって、最終的に具体的な成果が得られたとしても、「狐につままれた」ような感じで納得しづらい、と思う人もいるのではないでしょうか。方程式を解いて「現実の世界」の答えが得られること、素数を平方和で表す方法の存在・非存在が複素数を使ってわかること(前回記事参照)、改めて考えてみると何だか魔法のようです。
筆者の場合、幸運にも中高数学の勉強の段階ではこのような抽象性について困難を感じずに済みましたが、大学レベル(現代数学)の勉強を始めた後は、多くの苦労を経験しました。現代数学ですと、一口に抽象化とは言っても最初から現実世界とは切り離された純粋数学の枠組内でのそれが多いので、その意味では「方程式の文章題」の例と様子が違っているのですが、それでも学習上の困難の在り方自体は上述したものと同様です。では、このような抽象性に由来する習得・納得の困難に立ち向かうためには、我々はどうすればよいのでしょうか?これは決まった答えのない難しい問題ですが、筆者なりに考えていることがいくつかあります。そこで次回は筆者の個人的な経験に基づいて、抽象的な数学の学習に関するいくつかのコメントを述べてみたいと思います。
**********
(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1.様々な「方程式の文章題」について、「解法1」のような解き方と、「解法2」のような解き方を与え、それらを比較した考察を与えてみてください。
2.次回は、抽象的な数学を学ぶ上での困難にどのように立ち向かうか、ということを話題にしたいと思います。そのトイモデルとして、解法2に出てくるような方程式の同値変形の仕組みがわからず困っている人が、どのように学習を進めたら良さそうか、考えてみてください。(もちろん、どのような方法が最適かは人によると思いますが、その方法の候補を考えてみてください、ということです。)例えば、「解き方のパターンを、理屈は気にせず丸暗記する」という方法には、どのようなメリットとデメリットがあるでしょうか?また、こういった考察から、抽象的な数学の学習全般への示唆は何か得られるでしょうか?
━【「言語学をのぞいてみよう その40」(元K会英語科講師:野中大輔) 】━
2025年4月18日 更新
━【「言語学をのぞいてみよう その40」(元K会英語科講師:野中大輔) 】━
★このコラムでは、言語学を研究している筆者(元K会英語科講師)が、英語・言語学・外国語学習・比較文化などの話題をお伝えしていきます。★
たかが「カット野菜」、されど「カット野菜」
日本で最も有名な辞書と言えば『広辞苑』でしょう。2018年に『広辞苑』の第七版が出版された際は、10年ぶりの改訂ということで、各種メディアで取り上げられていました。特に注目が集まったのは新たに追加された項目で、「がっつり」や「婚活」などが収録されたことが話題になっていました。このように人の目を引きやすい項目がある一方で、特に話題にもならずひっそりと(?)追加されたものもあります。今回はそんな表現である「カット野菜」について考えてみます。
「カット野菜」なんて、わざわざ辞書に載せるほどの表現ではないように思った方もいるかもしれません。では、「カット野菜」とは何ですかと聞かれたら、うまく答えることができますか。そんなの、文字通り「カット」した「野菜」に決まっているじゃないか、と言いいたくなりそうなところですが、実は「カット野菜」の意味はそんなに単純ではありません。ここで『広辞苑』を見てみましょう。『広辞苑』は「カット野菜」の意味を(1)のように記述しています。
(1)そのまま調理でき、または食べられるように、適度な大きさに切って売られる野菜。
いかがでしょうか。意外と説明が長いと感じられた方がいるかと思います。(1)には「売られる」と書かれています。たしかに、カット野菜と言われて思い浮かぶのはお店で売られる商品です。自分で野菜を切った場合、それを「カット野菜」とは呼びませんね。そして、「そのまま調理でき、または食べられるように」の部分は、カット野菜が購入者の手間を減らすための商品であることを示す記述ですが、これはカット野菜の重要な特徴だと言えますね。
別の辞書も見てみましょう。(2)は『精選版 日本国語大辞典』における「カット野菜」の記述です。
(2)サラダとして食べたり、簡単に料理できるように、あらかじめ洗って切ってあるパック詰めの野菜。
こちらには「売られる」とは書かれていませんが、「パック詰め」となっていることから、結果的に商品であることがわかるような記述です。カット野菜はどれもビニール製の袋にパックされた状態で売られていますから、これも大事な情報です。また、「あらかじめ洗って」あるというのも、手間を省くための商品であることを伝える要素の1つですね。
「カット野菜」のように単純に思える表現でもその意味は意外と複雑であり、私たちはいつの間にかこのような複雑な知識を身につけて日々のやりとりを行っています。いつの間にか身につけている分、私たちはその複雑さに気づいていませんが、辞書は表現の意味をできる限り正確に記述しようと努めているわけです。辞書を見ることは、私たちが言語に関して身につけたものを考えるよいきっかけになります。特に、すでに知っているつもりの表現を引いてみるとおもしろいと思います。(1)と(2)のように、同じ表現でも辞書によって記述の仕方に違いがあるので、引き比べをするのもおすすめです(本記事では、『広辞苑』と『精選版 日本国語大辞典』を両方とも収録しているカシオの電子辞書Ex-word(XD-Z20000)を使用しました)。
英語講師のコラムのわりには、日本語の話を取り上げることが多いと思われるかもしれませんが、それは、普段から自分の母語を見つめ直し、言語について考える習慣をつくっておくことで、英語のような外国語を学習する場合にも気づけることが増えると思っているからです。たとえば英語のchopped cheeseという表現を聞いたときに、単にchop(切る、刻む)されたcheeseではないかもしれないから調べてみよう、と思えるようになります。外国語学習で大事なのは、そういったことの積み重ねではないでしょうか。なお、chopped cheeseが何なのか気になった方は、検索してみてください。
[おまけ]
「カット野菜」に近い英語の表現として、サラダ用のものだったらsalad kitがあります(kitは必要なものが一通りそろったセットを表す語)。たとえば、ドレッシングやクルトンが付いていて、袋を開けてすぐにシーザーサラダが作れるものはCaesar salad kitと呼ばれます。
★このコラムでは、言語学を研究している筆者(元K会英語科講師)が、英語・言語学・外国語学習・比較文化などの話題をお伝えしていきます。★
たかが「カット野菜」、されど「カット野菜」
日本で最も有名な辞書と言えば『広辞苑』でしょう。2018年に『広辞苑』の第七版が出版された際は、10年ぶりの改訂ということで、各種メディアで取り上げられていました。特に注目が集まったのは新たに追加された項目で、「がっつり」や「婚活」などが収録されたことが話題になっていました。このように人の目を引きやすい項目がある一方で、特に話題にもならずひっそりと(?)追加されたものもあります。今回はそんな表現である「カット野菜」について考えてみます。
「カット野菜」なんて、わざわざ辞書に載せるほどの表現ではないように思った方もいるかもしれません。では、「カット野菜」とは何ですかと聞かれたら、うまく答えることができますか。そんなの、文字通り「カット」した「野菜」に決まっているじゃないか、と言いいたくなりそうなところですが、実は「カット野菜」の意味はそんなに単純ではありません。ここで『広辞苑』を見てみましょう。『広辞苑』は「カット野菜」の意味を(1)のように記述しています。
(1)そのまま調理でき、または食べられるように、適度な大きさに切って売られる野菜。
いかがでしょうか。意外と説明が長いと感じられた方がいるかと思います。(1)には「売られる」と書かれています。たしかに、カット野菜と言われて思い浮かぶのはお店で売られる商品です。自分で野菜を切った場合、それを「カット野菜」とは呼びませんね。そして、「そのまま調理でき、または食べられるように」の部分は、カット野菜が購入者の手間を減らすための商品であることを示す記述ですが、これはカット野菜の重要な特徴だと言えますね。
別の辞書も見てみましょう。(2)は『精選版 日本国語大辞典』における「カット野菜」の記述です。
(2)サラダとして食べたり、簡単に料理できるように、あらかじめ洗って切ってあるパック詰めの野菜。
こちらには「売られる」とは書かれていませんが、「パック詰め」となっていることから、結果的に商品であることがわかるような記述です。カット野菜はどれもビニール製の袋にパックされた状態で売られていますから、これも大事な情報です。また、「あらかじめ洗って」あるというのも、手間を省くための商品であることを伝える要素の1つですね。
「カット野菜」のように単純に思える表現でもその意味は意外と複雑であり、私たちはいつの間にかこのような複雑な知識を身につけて日々のやりとりを行っています。いつの間にか身につけている分、私たちはその複雑さに気づいていませんが、辞書は表現の意味をできる限り正確に記述しようと努めているわけです。辞書を見ることは、私たちが言語に関して身につけたものを考えるよいきっかけになります。特に、すでに知っているつもりの表現を引いてみるとおもしろいと思います。(1)と(2)のように、同じ表現でも辞書によって記述の仕方に違いがあるので、引き比べをするのもおすすめです(本記事では、『広辞苑』と『精選版 日本国語大辞典』を両方とも収録しているカシオの電子辞書Ex-word(XD-Z20000)を使用しました)。
英語講師のコラムのわりには、日本語の話を取り上げることが多いと思われるかもしれませんが、それは、普段から自分の母語を見つめ直し、言語について考える習慣をつくっておくことで、英語のような外国語を学習する場合にも気づけることが増えると思っているからです。たとえば英語のchopped cheeseという表現を聞いたときに、単にchop(切る、刻む)されたcheeseではないかもしれないから調べてみよう、と思えるようになります。外国語学習で大事なのは、そういったことの積み重ねではないでしょうか。なお、chopped cheeseが何なのか気になった方は、検索してみてください。
[おまけ]
「カット野菜」に近い英語の表現として、サラダ用のものだったらsalad kitがあります(kitは必要なものが一通りそろったセットを表す語)。たとえば、ドレッシングやクルトンが付いていて、袋を開けてすぐにシーザーサラダが作れるものはCaesar salad kitと呼ばれます。
★夏期講習のお知らせ④★
2024年7月23日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
夏期講習の開始まで1週間を切りました!
第1ターム(7/30~8/2)の講座は7/27(土)19:00までがお申込期限です。
特に「結び目理論」「数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(対面)」は締切間近です。
✕:締切 ▼:残り3名以下 △:残り10名以下 〇:残り10名以上
※数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方の映像受講については定員は関係ございません
※講座の詳細はこちらから
また、5ターム「Pythonではじめるプログラミング入門」も締切間近となりました。
こちらの申込期限は8/17(土)となっておりますが、定員に達し次第申し込みは終了といたします。
暑い日が続いています。講習受講の際は授業中であっても適度に水分補給を心がけましょう。
お飲み物を忘れた場合は、5階にある自動販売機でご購入いただけます。
また、教室の寒い・暑いなどは遠慮なく講師へお申し出ください。空調を調整いたします。
一方で、寒い暑いの感覚はそれぞれ異なります。自由席ですので冷房が丁度良い位置に移動したり、寒い場合は一枚羽織るものを用意するなど、ご自身でも快適に過ごせるように調節をお願いします。
※マスクの着用はスタッフ・講師を含め任意としております。
それでは、夏期講習で皆さんにお会いできることを楽しみにしております♪
お申込・お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
夏期講習の開始まで1週間を切りました!
第1ターム(7/30~8/2)の講座は7/27(土)19:00までがお申込期限です。
特に「結び目理論」「数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(対面)」は締切間近です。
| ターム | 時限 | 講座名 | 空き状況 |
|---|---|---|---|
| 1 | 1 | 化学で世界を理解する | △ |
| 1 | 2 | 結び目理論 | ▼ |
| 1 | 2 | 数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方 | ▼ |
| 1 | 2 | 地理オリンピック国内予選問題研究会2024 | 〇 |
| 2 | 1 | 座標幾何 | 〇 |
| 2 | 1 | 情報オリンピック予選問題に挑戦! | △ |
| 2 | 1 | 言語学オリンピックで入門する音韻論 | △ |
| 2 | 2 | 極限 | 〇 |
| 2 | 2 | 形式言語理論と数理言語学 | △ |
| 3 | 1 | 数 | △ |
| 3 | 1 | 英語で読むNIPPON論 | 〇 |
| 3 | 2 | 整数論 | 〇 |
| 3 | 2 | 論理回路入門 | 〇 |
| 3 | 2 | 神経科学と精神医学 | 〇 |
| 4 | 1 | 初等幾何 | 〇 |
| 4 | 1 | 地質学 | 〇 |
| 4 | 1 | 古生物学 | 〇 |
| 4 | 2 | フィボナッチ数 | 〇 |
| 4 | 2 | Pythonではじめるプログラミング入門 | ▼ |
| 4 | 2 | 物理数学 | 〇 |
※数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方の映像受講については定員は関係ございません
※講座の詳細はこちらから
また、5ターム「Pythonではじめるプログラミング入門」も締切間近となりました。
こちらの申込期限は8/17(土)となっておりますが、定員に達し次第申し込みは終了といたします。
暑い日が続いています。講習受講の際は授業中であっても適度に水分補給を心がけましょう。
お飲み物を忘れた場合は、5階にある自動販売機でご購入いただけます。
また、教室の寒い・暑いなどは遠慮なく講師へお申し出ください。空調を調整いたします。
一方で、寒い暑いの感覚はそれぞれ異なります。自由席ですので冷房が丁度良い位置に移動したり、寒い場合は一枚羽織るものを用意するなど、ご自身でも快適に過ごせるように調節をお願いします。
※マスクの着用はスタッフ・講師を含め任意としております。
それでは、夏期講習で皆さんにお会いできることを楽しみにしております♪
お申込・お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)



