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━【「音楽から見る数学14」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
2025年9月10日 更新
━【「音楽から見る数学14」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★
― うなり ―
こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
突然ですが、みなさんは弦楽器や管楽器のチューニングをしたことはあるでしょうか?
チューニングとは、弦の張り具合や管の長さなどを調整することで、楽器どうしの音の高さを合わせることをいいます。そのチューニングの過程で、楽器の音の高さを互いに近づけていったとき、ピッタリ合う直前、少しだけ音の高さがズレているときに、「うわんうわんうわん」と、周期的に音量が大きくなったり小さくなったりしているように聞こえることがあります。この現象は「うなり」と呼ばれます。楽器のチューニングはしばしば、「うなり」を注意深く聴き取り、それを無くすように調整することで行われます。今日はこのうなりという現象について取り上げます。
次のような例で考えてみましょう。考える音は全ていわゆる「正弦波」(変動をグラフにしたものが y = sin x のグラフの形と相似になるような波)だとします。そして、波Aは1秒間に100回振動する波、波Bは1秒間に101回振動する波で、その波の高さ(振幅)は両者ともに等しいとしましょう。これらの波Aと波Bが重ね合わさったときに何が起こるのかを考えます。
とある瞬間に、波Aと波Bとが共に最も「振れている」としましょう(グラフで書いたときに一番"てっぺん"に来ているという意味です)。この瞬間、波Aと波Bとは互いに最も強め合います。そして、この瞬間のちょうど1秒後にも、波Aも波Bもまた"てっぺん"に来ますから、同じことが起こります。ですが、ちょうど0.5秒後を考えると、波Aは1秒間に100回振動する訳なので、0.5秒間にはちょうど50回振動し、また"てっぺん"に来る一方、波Bはその間に50.5回振動し、逆に"どん底"に来ます。よって0.5秒後の時点では、波Aと波Bとは互いにちょうど打ち消し合うことになります。まとめると、ある瞬間①に2つの波が最も強め合い、その0.5秒後②には打ち消し合い、さらにその0.5秒後③には①と同様にまた強め合います。また、①と②の間や②と③の間には、ちょうど打ち消し合ったり、最も強め合ったりする瞬間はありません(細かい証明は省きます)。この結果、「うわんうわんうわん」の「うわん」1個分がちょうど1秒になるようなうなりが発生します。
三角関数の加法定理をご存じであれば、次の計算をするとより明確です:sin(2π(f-a)t) + sin(2π(f+a)t) = (sin(2πft)cos(2πat) - cos(2πft)sin(2πat)) + (sin(2πft)cos(2πat) + cos(2πft)sin(2πat)) = 2sin(2πft)cos(2πat)。なお、上で挙げた例は、f = 100.5、a = 0.5 の場合に相当します。すなわち周波数がfよりaだけ小さい音とaだけ大きい音とを重ね合わせたものは、周波数fの音の振幅を、周波数aの正弦波に比例して大小させたものと等しいのです。
さて、このうなりですが、ピアノなどの楽器で異なる高さの音を同時に弾いた場合にも聞こえることがあります。
以前もこのコラムで触れましたが、一般的な楽器の音は、様々な周波数の正弦波の重ね合わせと見なすことができます。そしてそこで重ね合わさっているのは、鳴らしているメインの音の周波数がfだとすると、周波数f, 2f, 3f, 4f,・・・の正弦波です(※実際の現象はもう少し複雑です)。ですから、たとえばピアノで周波数440Hzの「ラ」の音を弾くと、周波数880Hz, 1320Hz, 1760Hz,・・・の音が同時に鳴っているような状態になります。
一方、現代の楽器は、様々な事情から、「平均律」と呼ばれる方法でそれぞれの音の高さを決めています。これは、1オクターブ(周波数比1:2)をちょうど12等分するもので、すなわち隣り合う2音の周波数比を1:2^(1/12)(=2の12乗根)とするものです。ですから、ピアノが平均律で調弦されているとすると、先ほどの「ラ」の少し上の「ミ」の音の周波数は440×2^(7/12)≒659.255Hzになります(ラとミの間の音程は半音7個分です)。そしてこの音には、その2倍の周波数である約1318.51Hzの音が含まれます。
ここで、「ラ」と「ミ」を同時に弾くことを考えてみましょう。するとここでは、1320Hzの音と、約1318.51Hzの音が同時に鳴っているような状態となり、うなりが発生します。もしピアノがいわゆる「純正律」で調弦されていて「ミ」の音がちょうど660Hzならば、このうなりは発生しません。
このようなうなりは注意深く聴かないと認識できないわずかなものですが、平均律と純正律の違いを実感できる一つの方法です。ピアノを触る機会があれば(もしくは最近ではアプリなどでもいくらでも音を出せますね)、ぜひご自分でも試してみてはいかがでしょうか。
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★
― うなり ―
こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
突然ですが、みなさんは弦楽器や管楽器のチューニングをしたことはあるでしょうか?
チューニングとは、弦の張り具合や管の長さなどを調整することで、楽器どうしの音の高さを合わせることをいいます。そのチューニングの過程で、楽器の音の高さを互いに近づけていったとき、ピッタリ合う直前、少しだけ音の高さがズレているときに、「うわんうわんうわん」と、周期的に音量が大きくなったり小さくなったりしているように聞こえることがあります。この現象は「うなり」と呼ばれます。楽器のチューニングはしばしば、「うなり」を注意深く聴き取り、それを無くすように調整することで行われます。今日はこのうなりという現象について取り上げます。
次のような例で考えてみましょう。考える音は全ていわゆる「正弦波」(変動をグラフにしたものが y = sin x のグラフの形と相似になるような波)だとします。そして、波Aは1秒間に100回振動する波、波Bは1秒間に101回振動する波で、その波の高さ(振幅)は両者ともに等しいとしましょう。これらの波Aと波Bが重ね合わさったときに何が起こるのかを考えます。
とある瞬間に、波Aと波Bとが共に最も「振れている」としましょう(グラフで書いたときに一番"てっぺん"に来ているという意味です)。この瞬間、波Aと波Bとは互いに最も強め合います。そして、この瞬間のちょうど1秒後にも、波Aも波Bもまた"てっぺん"に来ますから、同じことが起こります。ですが、ちょうど0.5秒後を考えると、波Aは1秒間に100回振動する訳なので、0.5秒間にはちょうど50回振動し、また"てっぺん"に来る一方、波Bはその間に50.5回振動し、逆に"どん底"に来ます。よって0.5秒後の時点では、波Aと波Bとは互いにちょうど打ち消し合うことになります。まとめると、ある瞬間①に2つの波が最も強め合い、その0.5秒後②には打ち消し合い、さらにその0.5秒後③には①と同様にまた強め合います。また、①と②の間や②と③の間には、ちょうど打ち消し合ったり、最も強め合ったりする瞬間はありません(細かい証明は省きます)。この結果、「うわんうわんうわん」の「うわん」1個分がちょうど1秒になるようなうなりが発生します。
三角関数の加法定理をご存じであれば、次の計算をするとより明確です:sin(2π(f-a)t) + sin(2π(f+a)t) = (sin(2πft)cos(2πat) - cos(2πft)sin(2πat)) + (sin(2πft)cos(2πat) + cos(2πft)sin(2πat)) = 2sin(2πft)cos(2πat)。なお、上で挙げた例は、f = 100.5、a = 0.5 の場合に相当します。すなわち周波数がfよりaだけ小さい音とaだけ大きい音とを重ね合わせたものは、周波数fの音の振幅を、周波数aの正弦波に比例して大小させたものと等しいのです。
さて、このうなりですが、ピアノなどの楽器で異なる高さの音を同時に弾いた場合にも聞こえることがあります。
以前もこのコラムで触れましたが、一般的な楽器の音は、様々な周波数の正弦波の重ね合わせと見なすことができます。そしてそこで重ね合わさっているのは、鳴らしているメインの音の周波数がfだとすると、周波数f, 2f, 3f, 4f,・・・の正弦波です(※実際の現象はもう少し複雑です)。ですから、たとえばピアノで周波数440Hzの「ラ」の音を弾くと、周波数880Hz, 1320Hz, 1760Hz,・・・の音が同時に鳴っているような状態になります。
一方、現代の楽器は、様々な事情から、「平均律」と呼ばれる方法でそれぞれの音の高さを決めています。これは、1オクターブ(周波数比1:2)をちょうど12等分するもので、すなわち隣り合う2音の周波数比を1:2^(1/12)(=2の12乗根)とするものです。ですから、ピアノが平均律で調弦されているとすると、先ほどの「ラ」の少し上の「ミ」の音の周波数は440×2^(7/12)≒659.255Hzになります(ラとミの間の音程は半音7個分です)。そしてこの音には、その2倍の周波数である約1318.51Hzの音が含まれます。
ここで、「ラ」と「ミ」を同時に弾くことを考えてみましょう。するとここでは、1320Hzの音と、約1318.51Hzの音が同時に鳴っているような状態となり、うなりが発生します。もしピアノがいわゆる「純正律」で調弦されていて「ミ」の音がちょうど660Hzならば、このうなりは発生しません。
このようなうなりは注意深く聴かないと認識できないわずかなものですが、平均律と純正律の違いを実感できる一つの方法です。ピアノを触る機会があれば(もしくは最近ではアプリなどでもいくらでも音を出せますね)、ぜひご自分でも試してみてはいかがでしょうか。
━【「現代数学の視座と眺望7」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━
2025年8月14日 更新
━【現代数学の視座と眺望№7(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学的思考における「同期化」
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
前回の第6回は、数学における抽象化と、それによって生じる難しさについて論じました。そして最後に第7回の予告として、「抽象化に伴う数学の学習上の難しさに対する向き合い方についてコメントする」予定である旨を述べました。ただ、もちろん「学習上のアドバイス」のような内容だけの記事では面白くありませんし連載の趣旨にも即しませんので、今回もキーワードを1つ設定してみることにしました。それがタイトルにもある「同期化」という単語です。「同期化」は数学的思考の様々な異なったレベルにおいて、異なった形で見出すことのできる現象であり、人間の数学的思考の1つの本質だと私は思っています。その意味でも、この連載において、一度この「同期化」をテーマとした回を設定しておくことには意味があるでしょう。ただし、今回紹介する意味での「同期化」というのは私が勝手に使っている言い回しであり、他の数学関係者に対して言っても説明なしには伝わらないと思いますので、その点はご注意ください。また、「人間の数学的思考の」等と言っていますが、基本的には筆者自身の個人的な学習体験・教育体験をベースに論じるしかありませんから、また別の意見をお持ちの数学関係者の方もいらっしゃるに違いありません(むしろ、だからこそ私がこの記事を書くことに意味があると思うのです)。この点もまたご承知おきください。
それでは、この「同期化」とは一体何なのでしょうか。実はこの単語は前回の議論にも既にこっそり登場させていました。ですので、まずはそれを復習しましょう。前回は次の初等的な問題と、その2通りの解法を例にとって議論をしていました。
=====
問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
=====
この問題の1つの解法は、100-40=60という引き算によって鉛筆2本分の値段を計算して、そこから60÷2=30という計算で鉛筆1本分の値段を得るというものです。また、もう1つの解法は、鉛筆1本分の値段をx円として、(x+40)+x=100という方程式を作り、これを解いて(2x=60という式を経由して)x=30を得るというものです。これら2つの解法で行う計算の実質は同じなのですが、解いている人の思考状態としては明確な違いがあります。それは、前者は「現実の世界」と「数学の世界」を常に結び付けながら考えているが、後者は基本的にはそうではない、ということです。もう少し詳しく述べましょう。前者では、例えば100-40=60という計算をしたとき、その式に対応する現実の意味を考えて、「鉛筆2本で60円なんだ」ということを明確に意識しています。そして、そのように「現実の世界」との対応関係を把握しているからこそ、それに続く60÷2=30という計算で答えが求まっていることもわかるのです。一方、後者の解法では、ただ抽象的な数式として中間結果2x=60が得られており、ここで「xは、鉛筆1本の値段がx円、として意味付けられている」ということを意識している必要は全くありません。一旦「現実の世界」のことは忘れて方程式を解き切ってx=30まで到達してから、最後に初めて「そういえば、鉛筆1本の値段がx円でしたね」と思い出せば、答えが出てくるわけです。
この前者の解法における、「「現実の世界」と「数式の世界」を常に結び付けながら考える」という頭の働き方が、「同期化」の一例になります。「現実の世界」と「数式の世界」の2つの世界を(そうと意識するかは別として)頭の中に両方とも用意して、対応関係にある操作を常に同時実行的に、いわばシンクロさせながら考えていくのです。(同期化という単語を私は、シンクロ、つまりシンクロナイゼーション(synchronization)の和訳のつもりで用いています。)後者の解法はこれとは違って同期化が見られません。「現実の世界」と「数式の世界」の結び付き自体は確かに登場するのですが、その結び付きは最初に方程式を立てるところ、最後に「x=30」を「鉛筆1本は30円」と解釈するところ、2回しか使われません。途中の部分はずっと同期化を切って、「数式の世界」単体で完結する操作をしているのです。こういった「同期化を切った」考え方への移行が汎用性の向上をもたらし、数学の発展に寄与する一方で、しばしば学習者にとってはその習得を難しくするというのが、前回行った議論の大体の要約(を今回のキーワード「同期化」の観点で捉えなおしたもの)になります。(ただし前回は、「同期化を切る」とは階層の異なる「抽象化」をキーワードにして論じていました。詳細は前回記事をご参照ください。)
さて、それでは、この(前者の解法に見られるような)同期化的思考それ自体が、数学の発展の観点からは「無用の長物」なのでしょうか?数学を学ぶ上でも、この「同期化」的思考を、なくしていったほうがよいのでしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。むしろ「同期化」的思考は人間の数学的思考の1つの本質である、というのが私の考えです。確かに上の例では、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化を切ることが数学の発展の方向性でした。しかし、「同期化」の枠組みを用意すること自体は有益であり、数学という学問の発展のためにも、学習者が理解を深めるためにも、むしろ積極的に利活用されるべきものなのです。以下では、いくつかの具体例に触れながら、これをもう少し詳しく論じてみたいと思います。
中学校に入って方程式の考え方を勉強してゆく上で、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化にこだわり続けるのは流石にちょっと無理があります。何しろ、上の文章題の例でもわかることですが、「現実の世界」の意味とは切り離されて、純粋に抽象的な「数式の世界」で完結した枠組みに収まっていることこそ、方程式の考え方の本質的な側面です。しかし、だからといって、この同期化が全く無駄になるわけではなく、むしろこれは「勉強の土台」としてほぼ必須と言ってよいものです。例えば、「鉛筆1本の値段がx円なら、鉛筆2本の値段は2x円だよね」といった思考が呼吸のようにこなせるようになっていないと、地に足の着いた形で複雑な数式を理解することは困難でしょう。(もちろん、そのために、「鉛筆1本の値段が30円なら、鉛筆2本の値段は60円だよね」といった更に具体的な考察がこなせるようになっていることも必須です。)この例は「具体例と抽象論の同期化」の重要性を示していると言えます。様々な具体例が予めわかった上で、それらを念頭に置きながら抽象論を考えることで、地に足の着いた抽象論の理解に到達できるのです。逆説的ですが、同期化の思考回路がしっかり確立できているからこそ、同期化を切り離した抽象論の理解も盤石になるのです。いずれにしても、こういったことは中高数学の勉強でも、現代数学の進んだ勉強でも、あるいは最先端の研究の現場ですら同じことだと思います。
以上から数学を勉強していて困難を感じた際の対処のヒントも得られます。(もちろんこれは単なるヒントに過ぎず、個々人で色々な事情や個性がありますので、唯一絶対の指針はありません。)例えば、上の中学校1年生の数学で、方程式の勉強でよくわからなくなった場合、まずは小学校の算数の文章問題を沢山解く練習をするのが有効な初手になる場合がかなり多いのではないかと筆者は考えています。こうして具体例に徹底的に親しんだ後で、常に具体例を当てはめながら(つまり、具体例との同期化を図りながら)抽象的な文字式を扱うようにするのが、ひとつの妥当な方針なのではないでしょうか。現代数学でも同じことで、抽象論がよくわからないときは、必ず具体例を納得のいくまで考えるべきです。それも、1つの例ではなく、10個の、100個の例を考えるべきです。そして、その例に当てはめながら抽象論を考えてゆくのです。
前段までに論じた「具体例と抽象論の同期化」と(関係は深いのですが)別の階層にある観点として、「イメージと厳密な論理の同期化」も非常に重要です。引き続き初等的な例で考えてみましょう。方程式を解く上での1つの重要な原理に、「a=bならばa+c=b+c」という(当たり前な)含意が挙げられます。これ自体は、数学の世界に属する、厳密な含意関係です。一方、これは、等式を「左と右で釣り合っている天秤」に喩えることにすると、「釣り合っている天秤の左右に、同じ重さのおもりを乗せても、釣り合ったまま」というイメージで捉えることもできます。「イメージと厳密な論理の同期化」とは、この含意の議論をするときに、同時に、天秤の左右におもりを乗せるアニメーションを脳内再生する。といった感じの頭の使い方を指しています。この天秤の例はあくまでも説明用の例で、実際の式変形でこれをやるのは不利益の方が大きいかもしれません。(私自身、等式を変形するときに天秤のアニメーションを想像することはまずありません。)しかし、こういった思考を適切に確立できている人の場合、特に、原理的な理解ができていることになりますので、例えば(中学生のやりがちな)「移項の符号ミス」などを起こす頻度は非常に低くなるでしょう。つまり、適切なイメージの確立は、「原理がわかっていれば有り得ないエラー」に対する耐性を与えてくれるのです。また、現代数学の議論では非常に複雑な概念や対象を扱う必要に迫られるため、適切なイメージの確立による思考のショートカットは、効率の向上のためにも有益です。中高数学で言うと、「単調増加関数」と言ったときに「x≦yならばf(x)≦f(y)」のように定義通り捉えることも大切ではある(というか、数学ですから、「定義通り」が圧倒的に一番大切である)のは間違いないのですが、同時に「右肩上がりのグラフ」を視覚的に想像できていると、考察を進める上で便利でしょう。こういったことが「イメージと厳密な論理の同期化」です。
「イメージと厳密な論理の同期化」においては特に注意点もあります。例えば、上の単調増加関数の例では、定義を見直すとわかる通り、グラフが右肩上がりというよりは横ばいの定数関数(増えも減りもせず一定値の関数)や、大体右肩上がりだけど一部で横ばいになっている関数なども例になっています。(この記事では「広義単調増加関数」すなわち「非減少関数」のことを「単調増加関数」と呼ぶことにしたためです。なお。今回の趣旨とは関係のない別の話ですが、同じ語が文献によって相異なる定義で用いられることもよくありますから、知っているつもりの言葉であっても定義をしっかり確認しておくのも数学では大切なことです。)ですから、(広義)単調増加関数を考える際にこの「右肩上がり」だけを想像して、それに頼って議論してしまうと、間違った議論をしてしまう可能性があります。
こうした「不適切なイメージ」に引きずられた間違いを防ぐために大切なことが2つ思いつきます。まず、当たり前なことですが、イメージに頼りきりで考えるのではなく、むしろ言葉や式で行う厳密な議論の方を大切にすること。しつこいようですが、ポイントは、両方を大切にした上で結び付けて並行的に処理する「同期化」なのです。そして数学は論理を立脚点にしていますから、特に習得を目指す上での最初のマイルストーンとしては、(イメージの確立というよりも)厳密な議論が一通りできるようになることを目指す方が適切であることが多いでしょう。イメージはあくまでも常に仮説的・暫定的な補助具です。厳密な議論と頭の中のイメージが矛盾した時には、少なくとも学習の初期段階ではイメージの方を修正すべきです(上級者になればイメージを活用して議論の間違いを検出することができたりもするのは、先述の「移項の符号ミス」の例が示す通りです)。(ただし、このあたりのバランスは非常に難しく、適切な指導者の存在が特に望まれる部分です。私自身、独学で大学レベルの数学を学び始めたころには、厳密な議論を習得することばかりに気を取られてイメージの形成が遅れたことが原因の苦労が沢山あった気がします。)もうひとつのポイントは、多種多様な具体例を知り、意識しておくこと。特定の限定的な具体例だけを知るのではなく、なるべく多くの具体例を把握することが、適切なイメージの形成の役に立ちます。このことは上の単調増加関数の例からも想像がつくでしょう。この意味で「具体例と抽象論の同期化」と「イメージと厳密な論理の同期化」は密接な関係にあることもわかります。
前段の最初に「間違いを防ぐために」と書きましたが、数学者も人間ですから、数学の議論において多種多様な間違いを犯します。(学術論文にまとめる段階では、丁寧に考え直して間違いをつぶしてゆきます。)そして私の知る限りでは、間違いのひとつの典型は、まさに「イメージをベースとした(厳密な議論との同期化を切った・緩めた)考察をして間違える」、というものなのです。数学者と言えば物事を厳密に考えるイメージの方が強いと思いますので、これは意外に思われる読者もいるかもしれません。もちろん実際、多くの数学者は、厳密に考える能力自体は持ち合わせています(最終的に論文にまとめるときにはそれを発揮します)。しかし、クリエイティビティを発揮する段階では、完全に厳密に議論を遂行するよりも、新しいアイデアを見出すことなどの方が遥かに優先度が高く、そこにイメージ的な理解が活きてくるのです。もちろん、それと同時に厳密な議論も遂行できるに越したことはないのですが、高度に複雑化した現代数学の考察を最初から厳密な形で実行することはしばしば無理があります(脳の処理限界を超えます)。ですから、一旦はそちらをあきらめてイメージベースの考察に注力するのは、ある程度仕方がないことなのです。その結果、しばしば間違いが生じるというわけです。ただし、細かいところが間違っていても多少の努力で修復が可能だったり、あるいは完全に間違っているけれど次なる考察への第一歩にはなったりと、間違いだとしても無意味ではないこと、「ただでは倒れない」ことが強く望まれます。そして実際に数学者の失敗はそのような「ただでは倒れない」ものになっていることも多いのです。こういった「間違いを含むかもしれないけれど、そうだとしても、無意味・的外れではない」議論が効率よく生産できるようになるためには、同義反復的ですが、やはり、あてずっぽうのイメージではなくて、妥当な、適切なイメージを確立できていることが非常に重要です。そのためにも、やはり、訓練の段階では「イメージと厳密な論理の同期化」を予めしっかり確立しておくことが大切になります。
以上に「具体例と抽象論の同期化」「イメージと厳密な論理の同期化」という2種類の「同期化」の観点、そしてそこから自然に導かれる学習上の指針のヒントなどについて述べてきました。最初に述べたことの繰り返しになりますが、筆者はこういった「同期化」を、人間の数学的思考の非常に本質的な側面であると考えています。ですから、これから数学の勉強を進められる読者の方も、この「同期化」的思考回路の確立を意識して目指してみてほしいのです。もちろん、2つの異なる要素の両方をきちんと用意して、更にそれらを結び付けながら並行的に処理することが求められるため、その確立の過程では大変な負荷がかかります。しかしそれは数学をきちんと理解するためには不可避な、本質的な難しさだと筆者は思うのです。ゆっくり進めてゆくしかありません。そうして「同期化」の回路を確立してしまうことで、気づいたときには世界の見え方が一変しているのです。個人的な話にはなりますが、この「世界の見え方が一変する感覚」は、まさに筆者を次なる数学に向かわせる最大の原動力でもあるのです。
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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1. あなた自身の数学的思考の中にどのような「同期化」を見出すことができるか、考えてみてください。
2. 今回の記事に登場させることがかなわなかった、また別の重要な(そして、より数学的な)「同期化」の例として、「同型対応を通じた両側の議論の同期化」が挙げられます。当コラム第3回記事を参考に、そこで起きている同期化について検討してみてください。
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学的思考における「同期化」
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
前回の第6回は、数学における抽象化と、それによって生じる難しさについて論じました。そして最後に第7回の予告として、「抽象化に伴う数学の学習上の難しさに対する向き合い方についてコメントする」予定である旨を述べました。ただ、もちろん「学習上のアドバイス」のような内容だけの記事では面白くありませんし連載の趣旨にも即しませんので、今回もキーワードを1つ設定してみることにしました。それがタイトルにもある「同期化」という単語です。「同期化」は数学的思考の様々な異なったレベルにおいて、異なった形で見出すことのできる現象であり、人間の数学的思考の1つの本質だと私は思っています。その意味でも、この連載において、一度この「同期化」をテーマとした回を設定しておくことには意味があるでしょう。ただし、今回紹介する意味での「同期化」というのは私が勝手に使っている言い回しであり、他の数学関係者に対して言っても説明なしには伝わらないと思いますので、その点はご注意ください。また、「人間の数学的思考の」等と言っていますが、基本的には筆者自身の個人的な学習体験・教育体験をベースに論じるしかありませんから、また別の意見をお持ちの数学関係者の方もいらっしゃるに違いありません(むしろ、だからこそ私がこの記事を書くことに意味があると思うのです)。この点もまたご承知おきください。
それでは、この「同期化」とは一体何なのでしょうか。実はこの単語は前回の議論にも既にこっそり登場させていました。ですので、まずはそれを復習しましょう。前回は次の初等的な問題と、その2通りの解法を例にとって議論をしていました。
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問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
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この問題の1つの解法は、100-40=60という引き算によって鉛筆2本分の値段を計算して、そこから60÷2=30という計算で鉛筆1本分の値段を得るというものです。また、もう1つの解法は、鉛筆1本分の値段をx円として、(x+40)+x=100という方程式を作り、これを解いて(2x=60という式を経由して)x=30を得るというものです。これら2つの解法で行う計算の実質は同じなのですが、解いている人の思考状態としては明確な違いがあります。それは、前者は「現実の世界」と「数学の世界」を常に結び付けながら考えているが、後者は基本的にはそうではない、ということです。もう少し詳しく述べましょう。前者では、例えば100-40=60という計算をしたとき、その式に対応する現実の意味を考えて、「鉛筆2本で60円なんだ」ということを明確に意識しています。そして、そのように「現実の世界」との対応関係を把握しているからこそ、それに続く60÷2=30という計算で答えが求まっていることもわかるのです。一方、後者の解法では、ただ抽象的な数式として中間結果2x=60が得られており、ここで「xは、鉛筆1本の値段がx円、として意味付けられている」ということを意識している必要は全くありません。一旦「現実の世界」のことは忘れて方程式を解き切ってx=30まで到達してから、最後に初めて「そういえば、鉛筆1本の値段がx円でしたね」と思い出せば、答えが出てくるわけです。
この前者の解法における、「「現実の世界」と「数式の世界」を常に結び付けながら考える」という頭の働き方が、「同期化」の一例になります。「現実の世界」と「数式の世界」の2つの世界を(そうと意識するかは別として)頭の中に両方とも用意して、対応関係にある操作を常に同時実行的に、いわばシンクロさせながら考えていくのです。(同期化という単語を私は、シンクロ、つまりシンクロナイゼーション(synchronization)の和訳のつもりで用いています。)後者の解法はこれとは違って同期化が見られません。「現実の世界」と「数式の世界」の結び付き自体は確かに登場するのですが、その結び付きは最初に方程式を立てるところ、最後に「x=30」を「鉛筆1本は30円」と解釈するところ、2回しか使われません。途中の部分はずっと同期化を切って、「数式の世界」単体で完結する操作をしているのです。こういった「同期化を切った」考え方への移行が汎用性の向上をもたらし、数学の発展に寄与する一方で、しばしば学習者にとってはその習得を難しくするというのが、前回行った議論の大体の要約(を今回のキーワード「同期化」の観点で捉えなおしたもの)になります。(ただし前回は、「同期化を切る」とは階層の異なる「抽象化」をキーワードにして論じていました。詳細は前回記事をご参照ください。)
さて、それでは、この(前者の解法に見られるような)同期化的思考それ自体が、数学の発展の観点からは「無用の長物」なのでしょうか?数学を学ぶ上でも、この「同期化」的思考を、なくしていったほうがよいのでしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。むしろ「同期化」的思考は人間の数学的思考の1つの本質である、というのが私の考えです。確かに上の例では、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化を切ることが数学の発展の方向性でした。しかし、「同期化」の枠組みを用意すること自体は有益であり、数学という学問の発展のためにも、学習者が理解を深めるためにも、むしろ積極的に利活用されるべきものなのです。以下では、いくつかの具体例に触れながら、これをもう少し詳しく論じてみたいと思います。
中学校に入って方程式の考え方を勉強してゆく上で、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化にこだわり続けるのは流石にちょっと無理があります。何しろ、上の文章題の例でもわかることですが、「現実の世界」の意味とは切り離されて、純粋に抽象的な「数式の世界」で完結した枠組みに収まっていることこそ、方程式の考え方の本質的な側面です。しかし、だからといって、この同期化が全く無駄になるわけではなく、むしろこれは「勉強の土台」としてほぼ必須と言ってよいものです。例えば、「鉛筆1本の値段がx円なら、鉛筆2本の値段は2x円だよね」といった思考が呼吸のようにこなせるようになっていないと、地に足の着いた形で複雑な数式を理解することは困難でしょう。(もちろん、そのために、「鉛筆1本の値段が30円なら、鉛筆2本の値段は60円だよね」といった更に具体的な考察がこなせるようになっていることも必須です。)この例は「具体例と抽象論の同期化」の重要性を示していると言えます。様々な具体例が予めわかった上で、それらを念頭に置きながら抽象論を考えることで、地に足の着いた抽象論の理解に到達できるのです。逆説的ですが、同期化の思考回路がしっかり確立できているからこそ、同期化を切り離した抽象論の理解も盤石になるのです。いずれにしても、こういったことは中高数学の勉強でも、現代数学の進んだ勉強でも、あるいは最先端の研究の現場ですら同じことだと思います。
以上から数学を勉強していて困難を感じた際の対処のヒントも得られます。(もちろんこれは単なるヒントに過ぎず、個々人で色々な事情や個性がありますので、唯一絶対の指針はありません。)例えば、上の中学校1年生の数学で、方程式の勉強でよくわからなくなった場合、まずは小学校の算数の文章問題を沢山解く練習をするのが有効な初手になる場合がかなり多いのではないかと筆者は考えています。こうして具体例に徹底的に親しんだ後で、常に具体例を当てはめながら(つまり、具体例との同期化を図りながら)抽象的な文字式を扱うようにするのが、ひとつの妥当な方針なのではないでしょうか。現代数学でも同じことで、抽象論がよくわからないときは、必ず具体例を納得のいくまで考えるべきです。それも、1つの例ではなく、10個の、100個の例を考えるべきです。そして、その例に当てはめながら抽象論を考えてゆくのです。
前段までに論じた「具体例と抽象論の同期化」と(関係は深いのですが)別の階層にある観点として、「イメージと厳密な論理の同期化」も非常に重要です。引き続き初等的な例で考えてみましょう。方程式を解く上での1つの重要な原理に、「a=bならばa+c=b+c」という(当たり前な)含意が挙げられます。これ自体は、数学の世界に属する、厳密な含意関係です。一方、これは、等式を「左と右で釣り合っている天秤」に喩えることにすると、「釣り合っている天秤の左右に、同じ重さのおもりを乗せても、釣り合ったまま」というイメージで捉えることもできます。「イメージと厳密な論理の同期化」とは、この含意の議論をするときに、同時に、天秤の左右におもりを乗せるアニメーションを脳内再生する。といった感じの頭の使い方を指しています。この天秤の例はあくまでも説明用の例で、実際の式変形でこれをやるのは不利益の方が大きいかもしれません。(私自身、等式を変形するときに天秤のアニメーションを想像することはまずありません。)しかし、こういった思考を適切に確立できている人の場合、特に、原理的な理解ができていることになりますので、例えば(中学生のやりがちな)「移項の符号ミス」などを起こす頻度は非常に低くなるでしょう。つまり、適切なイメージの確立は、「原理がわかっていれば有り得ないエラー」に対する耐性を与えてくれるのです。また、現代数学の議論では非常に複雑な概念や対象を扱う必要に迫られるため、適切なイメージの確立による思考のショートカットは、効率の向上のためにも有益です。中高数学で言うと、「単調増加関数」と言ったときに「x≦yならばf(x)≦f(y)」のように定義通り捉えることも大切ではある(というか、数学ですから、「定義通り」が圧倒的に一番大切である)のは間違いないのですが、同時に「右肩上がりのグラフ」を視覚的に想像できていると、考察を進める上で便利でしょう。こういったことが「イメージと厳密な論理の同期化」です。
「イメージと厳密な論理の同期化」においては特に注意点もあります。例えば、上の単調増加関数の例では、定義を見直すとわかる通り、グラフが右肩上がりというよりは横ばいの定数関数(増えも減りもせず一定値の関数)や、大体右肩上がりだけど一部で横ばいになっている関数なども例になっています。(この記事では「広義単調増加関数」すなわち「非減少関数」のことを「単調増加関数」と呼ぶことにしたためです。なお。今回の趣旨とは関係のない別の話ですが、同じ語が文献によって相異なる定義で用いられることもよくありますから、知っているつもりの言葉であっても定義をしっかり確認しておくのも数学では大切なことです。)ですから、(広義)単調増加関数を考える際にこの「右肩上がり」だけを想像して、それに頼って議論してしまうと、間違った議論をしてしまう可能性があります。
こうした「不適切なイメージ」に引きずられた間違いを防ぐために大切なことが2つ思いつきます。まず、当たり前なことですが、イメージに頼りきりで考えるのではなく、むしろ言葉や式で行う厳密な議論の方を大切にすること。しつこいようですが、ポイントは、両方を大切にした上で結び付けて並行的に処理する「同期化」なのです。そして数学は論理を立脚点にしていますから、特に習得を目指す上での最初のマイルストーンとしては、(イメージの確立というよりも)厳密な議論が一通りできるようになることを目指す方が適切であることが多いでしょう。イメージはあくまでも常に仮説的・暫定的な補助具です。厳密な議論と頭の中のイメージが矛盾した時には、少なくとも学習の初期段階ではイメージの方を修正すべきです(上級者になればイメージを活用して議論の間違いを検出することができたりもするのは、先述の「移項の符号ミス」の例が示す通りです)。(ただし、このあたりのバランスは非常に難しく、適切な指導者の存在が特に望まれる部分です。私自身、独学で大学レベルの数学を学び始めたころには、厳密な議論を習得することばかりに気を取られてイメージの形成が遅れたことが原因の苦労が沢山あった気がします。)もうひとつのポイントは、多種多様な具体例を知り、意識しておくこと。特定の限定的な具体例だけを知るのではなく、なるべく多くの具体例を把握することが、適切なイメージの形成の役に立ちます。このことは上の単調増加関数の例からも想像がつくでしょう。この意味で「具体例と抽象論の同期化」と「イメージと厳密な論理の同期化」は密接な関係にあることもわかります。
前段の最初に「間違いを防ぐために」と書きましたが、数学者も人間ですから、数学の議論において多種多様な間違いを犯します。(学術論文にまとめる段階では、丁寧に考え直して間違いをつぶしてゆきます。)そして私の知る限りでは、間違いのひとつの典型は、まさに「イメージをベースとした(厳密な議論との同期化を切った・緩めた)考察をして間違える」、というものなのです。数学者と言えば物事を厳密に考えるイメージの方が強いと思いますので、これは意外に思われる読者もいるかもしれません。もちろん実際、多くの数学者は、厳密に考える能力自体は持ち合わせています(最終的に論文にまとめるときにはそれを発揮します)。しかし、クリエイティビティを発揮する段階では、完全に厳密に議論を遂行するよりも、新しいアイデアを見出すことなどの方が遥かに優先度が高く、そこにイメージ的な理解が活きてくるのです。もちろん、それと同時に厳密な議論も遂行できるに越したことはないのですが、高度に複雑化した現代数学の考察を最初から厳密な形で実行することはしばしば無理があります(脳の処理限界を超えます)。ですから、一旦はそちらをあきらめてイメージベースの考察に注力するのは、ある程度仕方がないことなのです。その結果、しばしば間違いが生じるというわけです。ただし、細かいところが間違っていても多少の努力で修復が可能だったり、あるいは完全に間違っているけれど次なる考察への第一歩にはなったりと、間違いだとしても無意味ではないこと、「ただでは倒れない」ことが強く望まれます。そして実際に数学者の失敗はそのような「ただでは倒れない」ものになっていることも多いのです。こういった「間違いを含むかもしれないけれど、そうだとしても、無意味・的外れではない」議論が効率よく生産できるようになるためには、同義反復的ですが、やはり、あてずっぽうのイメージではなくて、妥当な、適切なイメージを確立できていることが非常に重要です。そのためにも、やはり、訓練の段階では「イメージと厳密な論理の同期化」を予めしっかり確立しておくことが大切になります。
以上に「具体例と抽象論の同期化」「イメージと厳密な論理の同期化」という2種類の「同期化」の観点、そしてそこから自然に導かれる学習上の指針のヒントなどについて述べてきました。最初に述べたことの繰り返しになりますが、筆者はこういった「同期化」を、人間の数学的思考の非常に本質的な側面であると考えています。ですから、これから数学の勉強を進められる読者の方も、この「同期化」的思考回路の確立を意識して目指してみてほしいのです。もちろん、2つの異なる要素の両方をきちんと用意して、更にそれらを結び付けながら並行的に処理することが求められるため、その確立の過程では大変な負荷がかかります。しかしそれは数学をきちんと理解するためには不可避な、本質的な難しさだと筆者は思うのです。ゆっくり進めてゆくしかありません。そうして「同期化」の回路を確立してしまうことで、気づいたときには世界の見え方が一変しているのです。個人的な話にはなりますが、この「世界の見え方が一変する感覚」は、まさに筆者を次なる数学に向かわせる最大の原動力でもあるのです。
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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1. あなた自身の数学的思考の中にどのような「同期化」を見出すことができるか、考えてみてください。
2. 今回の記事に登場させることがかなわなかった、また別の重要な(そして、より数学的な)「同期化」の例として、「同型対応を通じた両側の議論の同期化」が挙げられます。当コラム第3回記事を参考に、そこで起きている同期化について検討してみてください。
★夏期講習のお知らせ④★
2024年7月23日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
夏期講習の開始まで1週間を切りました!
第1ターム(7/30~8/2)の講座は7/27(土)19:00までがお申込期限です。
特に「結び目理論」「数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(対面)」は締切間近です。
✕:締切 ▼:残り3名以下 △:残り10名以下 〇:残り10名以上
※数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方の映像受講については定員は関係ございません
※講座の詳細はこちらから
また、5ターム「Pythonではじめるプログラミング入門」も締切間近となりました。
こちらの申込期限は8/17(土)となっておりますが、定員に達し次第申し込みは終了といたします。
暑い日が続いています。講習受講の際は授業中であっても適度に水分補給を心がけましょう。
お飲み物を忘れた場合は、5階にある自動販売機でご購入いただけます。
また、教室の寒い・暑いなどは遠慮なく講師へお申し出ください。空調を調整いたします。
一方で、寒い暑いの感覚はそれぞれ異なります。自由席ですので冷房が丁度良い位置に移動したり、寒い場合は一枚羽織るものを用意するなど、ご自身でも快適に過ごせるように調節をお願いします。
※マスクの着用はスタッフ・講師を含め任意としております。
それでは、夏期講習で皆さんにお会いできることを楽しみにしております♪
お申込・お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
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| ターム | 時限 | 講座名 | 空き状況 |
|---|---|---|---|
| 1 | 1 | 化学で世界を理解する | △ |
| 1 | 2 | 結び目理論 | ▼ |
| 1 | 2 | 数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方 | ▼ |
| 1 | 2 | 地理オリンピック国内予選問題研究会2024 | 〇 |
| 2 | 1 | 座標幾何 | 〇 |
| 2 | 1 | 情報オリンピック予選問題に挑戦! | △ |
| 2 | 1 | 言語学オリンピックで入門する音韻論 | △ |
| 2 | 2 | 極限 | 〇 |
| 2 | 2 | 形式言語理論と数理言語学 | △ |
| 3 | 1 | 数 | △ |
| 3 | 1 | 英語で読むNIPPON論 | 〇 |
| 3 | 2 | 整数論 | 〇 |
| 3 | 2 | 論理回路入門 | 〇 |
| 3 | 2 | 神経科学と精神医学 | 〇 |
| 4 | 1 | 初等幾何 | 〇 |
| 4 | 1 | 地質学 | 〇 |
| 4 | 1 | 古生物学 | 〇 |
| 4 | 2 | フィボナッチ数 | 〇 |
| 4 | 2 | Pythonではじめるプログラミング入門 | ▼ |
| 4 | 2 | 物理数学 | 〇 |
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