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2022.5.2公開

人はモチベーションの元がしっかりしていれば困難を乗り越えられる

袖触り合うも多生の縁。直接言葉を語りかけなくてもBくんの人生に影響を与えたAくんの人生

「ちょっと、行ってきます…。」

今回は少し古い記憶を辿って、お話してみます。

ある年の日差しの強い7月初旬、ようやく前期の授業が終わりにさしかかった頃のことです。校舎の窓口に私の担当する高卒クラスのAくんがきました。私が窓口に出るや否や、彼は唐突にこういいました。

「僕ね、しばらく入院することになりました。」

いきなりのことで驚きましたが、よく聞けば、検査のための入院だと言いますから一安心です。何やら体調が良くないので、病院に行ったら、

「ちゃんと検査するので検査入院するように。」

といわれたということだったのです。当の本人はそこそこ元気なので、ちょっと困ったような顔をしていましたが、とりあえず「検査入院」は1週間くらいと言うことでした。

「ちょっと行ってきます…。」

ちょうど前期の授業が終了して夏休みに入る時でしたから、病院にテキストを持ち込んでガッチリ勉強すると宣言する彼は、検査入院なんかどこ吹く風でそそくさと帰って行ったのでした。
確かに話の内容とは裏腹に、私が見ても不思議と体調が悪そうには見えません。なるほど注意してみると、ちょっと咳き込んでいるかな…くらいのもので、まるで他人事のように本人はニコニコしていましたから気にするほどのことはなさそうです。
さて、その後入院先が決まりましたので、私は彼を訪ねることにしました。彼は大袈裟だからと辞退したのですが、検査とはいえ入院したのだからと、一応配布物や授業プリントの残りを持参したのでした。本人はテキストも病院まで持ち込んで、勉強する気満々でしたから、授業プリントの残りがないと困るでしょう。その意欲に応えてあげたかったのです。

ところが、そのお見舞いの帰り、ご両親が私を別室に呼ばれ、実は彼が本当はかなり深刻な病状だということを伝えられたのでした。見かけではそのように見えないものですから、それは本当のことなんだろうかと、とても不思議な気がしました。
いつしか1週間のはずだった「検査入院」は1カ月以上になりました。9月には新しい学期が始まりますので、テキストが一揃い必要です。そこで、8月の終わりに私は彼に新学期のテキストを渡しに行きました。「彼がこのテキストで授業に出るのは少し先になるかもしれない…」そう思っても、これを渡してあげることが、彼の全快への祈りのような気がしたのです。

しかし、それぞれの想いとは関係なく月日はあっという間に過ぎていき…、彼が世を去ったことをお家の方から知らされたのは、翌年の3月のことでした。

彼の人生/自分の人生

翌年のこと、一人の生徒が窓口にご相談にきました。開口一番、彼はこういいました。

「山口さん、僕ね、去年ここにいた”A”と高校の同級生だったんです。」

Bくんは、Aくんと高校時代の同級生だったというのですから、今年が2浪目です。もともと医学部志望なのですが、1浪では合格できず、受験がうまくいかなかったことでモチベーションを持てず、2年度の受験を逡巡していました。ところが、Aくんのことを聞いて本格的な2浪目のスタートを決意したのでした。

「1浪で医学部に合格できなかったんでモチベーションがダダ下がりだったんですけど、”A”のこと考えるとどうしてもやらなくちゃと思えてきたんです。覚悟して勉強しますので、よろしくお願いします。」

…と、いきなりの決意表明です。

さて、受験生の皆さんは医学部の「志望動機」や「志望理由」を面接試験で尋ねられたら、何とお答えになるでしょうか。そこにはある意味、正解もなければ、不正解もないでしょう。面接官が真剣に聞いてくれているとも限らず、通り一編の質問をしているだけなのかもしれません。

Bくんはお父さんが医師だそうで、これまでは自分の「医学部志望理由」は

「父が医師なので、自分もその道を志望しました。」

とお答えになっていたようです。いいかどうかはともかく、これはよくある回答です。しかし、Aくんのことがあった後、Bくんの心の内には「別のもの」が芽生えたのだといいます。

「医療の道で自分が貢献できることを探す」
「どのような形で医療に携わるか」
「他のことでもできるけれども、それが医療である必要は何か」
「社会の中で自分の役立つ方向を考える」
「世の中の人が求めるものは何か」
「自分にできることは何か」

ここに至って、彼の「医学部志望理由」は、「個人的なきっかけを通じて、自分が社会に貢献する方向を決めたから」…となりました。本当はこれまではっきりとした理由はなかったのです。父が医師だったことは、ただの「たまたま」だっただけ…ということです。

なかなか伸びない成績に苦労しながらも、Bくんは一生懸命に学習を続けました。目の前の「数学の問題1問」は、自分の目指す道に向かうために「自分にできること」です。彼が前向きに学習できたのは、これを解けるようになることが、将来の自分の活躍の場を与えられることにつながるからです。
Bくんはその後、学習には苦労しましたが、モチベーションが低下することは二度とありませんでした。学習を工夫し、「どうしたら・できるように・なるか」を念頭に自分の学習を進めていったのです。彼にとって「どうして・できなかった・のだろうか」という過去評価はひとときの反省です。むしろ、「出来なかった」ものをクヨクヨするより、「出来るように」なるための、未来に向けた自分の行動を常に考える学習へと切り替えていったといえるでしょう。
人は自分のありたい姿、モチベーションの元がしっかりしていれば、困難を乗り越えられるということが証明された出来事でもありました。そして彼は、その年の入試で医学部に合格することができたのです。

Bくんもすでに医師となって長く、とっくにベテランの域に達しています。一人の人が医師を目指すきっかけは、ほんの些細な出来事なのかもしれません。しかし、何かを行動するきっかけは、どんなことでも個人的なことから始まるものなのではないでしょうか。それが医学部志望の動機であっても同じでしょう。ただ、個人的な小さな出来事の積み重ねだったものが、社会の多くの人に思いを馳せることで、いつのまにか社会の中で自分に何が求められているかを理解するようになり、より大きな自分のモチベーションになっていくはずです。そこには「教えられて理解する」と言う、予備校の授業のようなものでは与えられない力学が存在します。それは、理屈や理論ではなく心のあり方のようなものでしょう。人は損得の計算だけに縛られない価値観で動くこともあるものです。

AくんはBくんに言葉で語りかけたのではありません。「袖触り合うも多生の縁」…そんなところです。それでも、Aくんの人生は、Bくんの人生に影響を与えました。そしてそれは、Bくんを通じてさらに多くの人の人生につながっているともいえます。
一人の人生は、いつも誰かにつながった人生であり続けるものです。言い換えれば、この世の中は知らない間に、多くの人が誰かに支えられて生きている…私には、そう思えてなりません。