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2020.10.1公開

「過去問に詳しい」人と「過去問の解法に詳しい」人は違う!

2月24日の夜19時まで校舎で単発的な質問を繰り返した彼・・・。受験生は自分を見つめ直し、「自分が他人とは違う」ことを自覚して反省するところが学習のスタートです

価値観の共有と学習方法の共有

友人の存在は受験のために心強いことがある反面、状況によってはマイナスになってしまうことがあります。もともと友人であることは何らかの絆があってそうなったはずなのですが、なぜその友人がマイナスになるかといえば、受験に際してその価値観がそのまま共有できるとは限らないことがその理由です。受験生は一人ひとりの個性や学力、学習方法、所属している塾などが違いますし、場合によっては高校のコースやクラスが違うことで、指導方針が異なることもあるでしょう。そういうことがいくつも重なってくると、日常の会話や趣味の世界、クラブ活動などは共有できても、受験生としての行動を全て同じようにするわけにはいかないことが多くなってくるのです。
同じクラスや同じコースならば、問題集の指定は普通は同じです。教科書ももちろん同じですから、手元にある教材は基本的に同じものを持っていることでしょう。試験の指定範囲も同じでしょうから、ほぼ共有できる環境に友人どうしはいることでしょう。しかし、だからといって何もかも同じような行動で良いのでしょうか。

以前、「痛い受験生」というタイトルで「痛い」人のサンプルを描きました。それは、何もかも学習方法などの環境を自分の友人たちと同じように揃えようとする受験生のことでした。友人と一緒の行動をすることで、安心感が得られるということなのでしょうね。しかし、個々の受験生の学力には差があるのですから、学習方法や学習教材も人によって使い方に差があるのは当然です。ところが、自分の状況を冷静に客観視することができなくなってしまうと、どういうわけかどのような危険な状況でも、自分に合わない教材を平気でやるようになってしまいます。成績が数字的に「アラーム」状況になっても、なぜかそれを受け入れられないのです。まさか自分が…そう思いたいのはわかります。しかし、気がつけば自分がそれと同じようなことに陥ってしまうことは本当によくあることなのです。

頑固にも程がある

ある年のこと、高卒生クラスのとある一団に一人だけ成績がそぐわない生徒が混じっていました。とても不思議に思ったのですが、多浪生にありがちな「耳年増」的な生徒で、教材やいくつかの大学の過去問に詳しいことで、その輪に入っているようでした。「過去問に詳しい」人はあくまで「過去問に詳しい」だけで、「過去問の解法に詳しい」のではありません。「過去問に詳しい」というのは、この世界では「問題はよく知っているけれども一向に解けない人」ということなのです。少し厳しい言い方ですが、何年も受験生をやっていれば、ある程度過去問に詳しくなるのは当たり前であって、何の能力でもないとさえ言えるのです。
さて、その一団をそれとなく注目していましたら、その「過去問に詳しい生徒」が何人かにいつも質問をしているのを見かけるようになりました。同じ仲間どうしですから、教え合いのようなことはよくありますし、お互いの成長のために奨励すべきことです。しかし、どう見ても一方的に「教えてもらっている」状況がずっと続いている様子で、当の本人が教えている姿には一向に出会ったことがありませんでした。皆、気が良い連中ばかりなので、特に気にせずに教えている様子でしたが、私はこれを見て「とてもまずい状況」だと思ったのです。
学習には一定程度の集中力が必要です。にもかかわらず、彼が近くに陣取って学習しているおかげで他の生徒が彼の疑問に付き合って手を止めなければならなくなっている現状は、見過ごしにできないのです。そこで、当の本人を呼び出して注意し、質問を友人にしないように指導しました。どんなに近くに友人がいても、絶対に講師かフェロー(個別質問対応の先生)のところに行くようにと言ったのです。ちょっとくらいいいじゃないかとお思いの方もおられるでしょうが、私の経験からいって、こういったことは「全か無か」の完全指導をしないと習慣になったものを抑えることは出来ないものなのです。
当の本人も少し疑問が出ただけで訊くようなスタンスから脱却できず、自分で考える習慣を付けられない状況を脱却させてあげなければいけませんから、これも指導のうちです。「考え、疑問点を整理」し、「計画的に質問を行う」ことで「自分の中に定理を作り上げる」…そして、「多くの場面で活用できる知識・技能を確立する」というサイクルを本人につけさせることは、学習マネジメントの上では重要な指導のうちだといえます。
さて、結果から言うと私が彼から切り離した友人たちは「合格」して旅立っていきましたが、当の本人は合格できませんでした。これだけ「過去問に詳しい」人であったにも関わらず、結果的に「過去問の解法に詳しい」人に彼はついになれなかったのです。受験においては「定理を身に着ける」ことが重要であって、それをいかに使える形として自分の身に付けるかが問われます。「同じ問題」が丸々出れば多くの人は確かにできるでしょうが、入試ではそんなことはそう多くありません。あれだけ自分で考え、問題に向かう姿勢を取らせようと仕向けたのですが、彼は結果的にその生き方を選択せず、とにかく「単に何でも質問して、とにかく教えてもらう」ことへの執着が取れませんでした。「考えて疑問点を整理せずに質問に行く」のですから、「自分を育てるための計画性」がありませんし、「自分の中に定理を作り上げる」という大切な次のステップに進めませんでしたから、「多くの場面で活用できる知識・技能を確立」できているはずがないのです。
彼は友人たちと「受験生をしている」という見かけだけはマネできていましたが、その「生き方」まではマネできなかったのでしょう。彼の友人と彼の合否の分かれ目は、受験生としてのこの「当たり前」のことをやったかやらなかったかだといえます。

大丈夫ですから…

彼は「分からないことを訊くばかり」で「定理を自分の中に作る」ことをしようとしない質問ばかりを繰り返していたので、ある日、彼の質問に講師が厳しく言っていた言葉が忘れられません。

「君ね、何時もずっと同じような質問ばかりしてるでしょう。」
「4月の頃だったらわかるけど、今はいつだと思ってるの。少しは問題の本質を自分で見通せるようにならないと…。」

ちょっと厳しい言い方をされていましたが、それはそれで仕方ありません。何せ彼がこう言われていたのは2月24日の夜19時頃、まさに国公立大前期試験開始が14時間後に迫った時のことですから…。
当然ながら、さすがにこの日だけはこんな時間まで校舎に生徒は残っていません。全国で一斉実施される翌日の入試に向けて、多くの友人たちは自宅や試験会場近くの宿泊施設で、その頃には最後の「心の準備」をしていることでしょう。ところが、同じように地方国公立大を受験するはずの彼は、この時点でまだ地元にたった一人で残って、いつも通りの「何の定理にもつながらない単発の質問」を先生方に続けているわけです。

「20時過ぎの特急に乗れば、今日中に受験大学近くのホテルに移動できるから、まだ十分大丈夫なんです。」

何の問題もないようにそういう彼の一体何が大丈夫なのか、私には全く理解できませんでした。彼は校舎にたった一人だけ残って質問を延々と続け…あぁ、もはや誰にも彼をとめられません。翌日の勝負は、すでにこの時点でついていたと言えるでしょう。よく出来る友人のレベルと自分を同一視して「高度な問題の質問」をすることで「見かけだけのマネ」ならほどほどにするべきです。そんなことでは、本当の内面のマネまで至らず、効果の薄い時間を過ごしてしまいます。そうなればこの彼のように、決して良い結果をもたらすことはないでしょう。
受験生は自分を見つめ直し、「自分が他人とは違う」ことを自覚して反省するところが学習のスタートです。自分に必要な教材レベルで学習し、自分にとって「定理を身につけることができる」レベルの問題を大切にしていかなければならないのです。しかし、この彼のエピソードが物語るように、環境的にそう仕向けてもらえても、当の本人が自分を省みることなくそこから逃げてしまえば、うまくいくはずのこともうまくいかなくなってしまうでしょう。
多くの人は「出来ている自分を見てみたい」、「自分は出来ると信じたい」という欲求があります。しかし、そのことでこの彼のように、自分を冷静に見つめて改める機会を失ってしまう人を私はたくさん見て来ました。自分を改めるためには「素直」に他人のアドバイスを聞くことが必要な場合もあるのです。これは、学習テクニック以前の「生き方」の問題です。

「生き方」を変えてみる

「どうしたら成績は伸びるでしょうか」というご質問をいただくと、私は時々「生き方を変えたら伸びるかもしれませんよ」とお伝えすることがあります。多くの方はただのジョークだと思っておられるようですが、実はそうではなく、この彼のような出来事を踏まえて「本気でアドバイスしている」ことがあるのです。「普段の生活習慣→学習習慣→学力の伸び」という理屈から考えれば、「普段の生活習慣」の元になっている考え方や行動など、「生き方」が変化しなければ、その先にある「学力の伸び」は期待出来ないと思いませんか。
「雨が降ったら傘をさす」…これに理屈はいりません。それと同じくらいに「やってみたらどうですか」と言われた時に実行してみる「素直」さが学力アップには必要です。自分の生活習慣への固執から、「自分に合う教材」や「自分に合う方法」を探してばかりでは、大切な時間資源を浪費してしまうでしょう。
「自分の生き方」をほんの少しだけ改めて…「やってみるかい?」「ハイ、やってみましょう」という、たったそれだけです。そのためのチャンスとアドバイスをくれる人がいたなら、素直にやってみようと一歩前進されることが、将来の自分を作ることに繋がるでしょう。今日もまた、一人ひとりの生徒たちにそれを伝える日々です。