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大学側が教育したくなる「手紙」を書けていますか?

ありきたりの志望理由書は蔓延しています。大学の要求をしっかり吟味・咀嚼して書き進めるための心がけとは?

出願に「志望理由書」が必要なことがある

時期的に11月になってきますと、推薦入試の出願がはじまります。受験生のうち何人かは、そのための準備を必要とされるでしょう。多くの推薦入試の出願では、「志望理由書」や「志願所信書」のようなものが出願書類の中で課されることが普通ですから、その準備をしなくてはなりません。
ただし、医学科入試で「志望理由書」といえば、別に推薦入試だけとは限りません。一般入試においても志望理由書を課す大学がいくつもあるからです。昨年の例では、和歌山県立医科大では800字で「自己を語る」のテーマで出願時の提出が必要ですし、東京大、熊本大などの国立大でも志望理由書は必要です。私立大では国際医療福祉大は、横書き罫線の書類でA4用紙1枚分の志望理由書を課しています。
もちろん、大学の出願選択は、志望理由書が必要でない入試を選択することも可能です。ただし、医学科の出願先を決定する多くの場合、志望理由書が必要ないという理由で選択するわけではなく、教学内容や、場合によっては成績状況で出願できる大学を決めるのが普通です。ですから、「出願を決めたら志望理由書を必要とする大学だった」・・・ということはよくあることです。

志望理由書を書き始める前に

よく、「志望理由書」を書いた生徒が添削してほしいと、私の手元に提出にきます。小論文担当の先生方にすべて見てもらえることが理想ですが、なかなか時間をとってもらいにくいことがあり、先生方のご指導を得て、我々担任も総出で添削しています。
問題は彼らの提出してくる内容が「いいかどうか」ではなく、「ずれている」こと、もしくは「不明確な記述が多い」ことです。
デジタルに統計をとっているわけではありませんが、これまで提出されたその種の「志望理由書」の経緯を思い返すと、大体1回目の提出で「使える記述を探す」か「方針を示す」、2回目の提出で「はじめて赤入れする」、3回目の提出で全体を整えて清書の指示をする・・・という感じです。
1回目の提出でかなりの無駄があるように見える理由の多くは、彼らが「条件をよく読んで理解していない」ことにあります。生徒の多くは「志望理由書」という書式の名称に引きずられて、自分の志望理由を長々と述べることが多いものです。しかし、「書く側」から「書かせる側」に立場を変えて考える時、「書かせる側」はその人が医師を志望した過去の「きっかけ」や「エピソード」を長々と記述したものを読もうとして、それを課したのでしょうか。むしろ、関心はそれ以外のことにあるように思います。
小論文の先生方と共有していることは、「公と私」のレベルをはき違えないように指導しなくてはならないということです。書き言葉として提出する書類ですから、自分のことを述べるにしても「公の場で語る自分像」をもっているべきで、何でも自分個人の「私的経験の自分像」を絶対化して相手に投げかける書き方は避けた方がいいでしょう。
志望理由に「祖母の死をきっかけに・・・」「祖父の死に際を見て・・・」などの理由を挙げる人は多いようですが、そこから何を考え、将来のビジョンは何を目指しているかを知りたいところです。年に何人もの「志望理由書」を読むと、祖父母が死ぬと医師の志望理由が成立するといっても許されるのではないかと思えるほど、この種の志望理由は蔓延しています。
この種の「志望理由」を前面に出すだけでは、極端に「私的経験の自分像」で終わってしまいます。これはあくまで志望の「きっかけ」でしかないはずです。もちろん、書き出しは志望の「きっかけ」でもかまいません。しかし、本当はそれだけで終わってほしくないものです。
少なくとも、ここに「公の場で語る自分像」的な要素を加えて、自分が何を目指しているかが記述してあってはじめて、本当の「志望理由」なのではないでしょうか。
1回目の提出でOKになる人はほとんどいません。しかし私は、これは逆によいことだと考えています。本人たちは見えていない自分への気づきを得ることができますし、自分で自分を掘り下げ、制限字数のうちで自分を記述していくことは、明確な自分像をつくることにもつながっているはずです。

書くための条件・・・自分に何が期待されているのか

志望理由書は数学の問題を解く時のように、「条件」が出されている場合があります。ところが、多くの人がそれをちゃんと読まずに書き始めるようです。条件を見落とした数学の解答は評価されませんが、それは志望理由書でも同じに違いありません。
大学はアドミッションポリシーを示して、自分たちが入学させたい学生像を明示しています。また、ディプロマポリシーで社会にどのような人材を輩出したいかも提示しています。
わざわざ志望理由書が必要な入試には、常に「公の立場で語る自分像」が期待されているはずです。その中で自分の個性をいかに表明するか、それが課題です。
つまり、志望理由書はどんなことを書いてもいいのではなく、「書く方向性が決まっている」場合があるということです。例えば産業医科大学では、同大学の「学生募集要項と大学案内をよく読んで、本学設置の目的を十分に理解し、現時点における志望の動機・抱負を400字以内で」記述するように募集要項の説明欄に書かれています。
となれば、ここに400字以内に書かれる内容は、産業医としての自分のビジョンが入っていることが望まれることは間違いありません。
東京大学の理科三類では、入試要項に一般入試の志望理由書の「書き方」が示されています。タイトルには、「理科三類を志望する理由及び自己アピール等」をわずか200マスで述べるように示されています。
一方、同大学の推薦入試では、「東京大学医学部医学科を志望する理由、高等学校在学中の自己の活動の成果、卒業後の自己の将来像についておよそ1,300字以内(英語での記入なら500word以内)」で述べるように求められており、マスではなく罫線書式になっています。
同じ大学でも、「入試区分の違い」が「書かせたい内容の違い」に形式とともにでていることがわかります。
他の大学においてもそれは同様です。条件が要項に記載なくとも、志望理由書のタイトル横に説明として書かれていることもあります。または、和歌山県立医科大学のようにタイトルが「自己を語る」であれば、タイトルそのものが条件ということもできます。医療の諸問題をいかに論じても、自分の関わりがなければ方向性が違うことになるでしょう。
卒後に勤務などの義務が発生する入試区分や、奨学金受給が原則になっている入試区分などは、当然その入試区分そのものが「条件」づけされているわけですから、志望理由書にはその「条件」を加味したものが要求されるはずです。
医学科の入試では、卒後に特定の診療科や地域での勤務義務が生じる入試区分では、授与される奨学金が6年間で1千万を越えるケースがいくつかあります。これらの奨学金は勤務の義務年限の終了後は「返金免除」になることがありますから、それに見合うだけの志望者であることを示すのは、志望理由書では当たり前といってもいいでしょう。

「志望理由書」は自分が社会でどのように活動したいかを表明する書類であり、その大学のもっともみたいところを見せるための「手紙」です。自分を偽ることはできませんが、自分の持ち味を最大限に見せることは可能です。
それはある意味「相手への気遣い」あってこそ、成立する書類なのかもしれません。自分に何を述べることを求められているのか、常に書くためのスタートは「相手が中心」であることを理解して、書き進めてほしいところです。