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━【「現代数学の視座と眺望7」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━
2025年8月14日 更新
━【現代数学の視座と眺望№7(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学的思考における「同期化」
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
前回の第6回は、数学における抽象化と、それによって生じる難しさについて論じました。そして最後に第7回の予告として、「抽象化に伴う数学の学習上の難しさに対する向き合い方についてコメントする」予定である旨を述べました。ただ、もちろん「学習上のアドバイス」のような内容だけの記事では面白くありませんし連載の趣旨にも即しませんので、今回もキーワードを1つ設定してみることにしました。それがタイトルにもある「同期化」という単語です。「同期化」は数学的思考の様々な異なったレベルにおいて、異なった形で見出すことのできる現象であり、人間の数学的思考の1つの本質だと私は思っています。その意味でも、この連載において、一度この「同期化」をテーマとした回を設定しておくことには意味があるでしょう。ただし、今回紹介する意味での「同期化」というのは私が勝手に使っている言い回しであり、他の数学関係者に対して言っても説明なしには伝わらないと思いますので、その点はご注意ください。また、「人間の数学的思考の」等と言っていますが、基本的には筆者自身の個人的な学習体験・教育体験をベースに論じるしかありませんから、また別の意見をお持ちの数学関係者の方もいらっしゃるに違いありません(むしろ、だからこそ私がこの記事を書くことに意味があると思うのです)。この点もまたご承知おきください。
それでは、この「同期化」とは一体何なのでしょうか。実はこの単語は前回の議論にも既にこっそり登場させていました。ですので、まずはそれを復習しましょう。前回は次の初等的な問題と、その2通りの解法を例にとって議論をしていました。
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問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
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この問題の1つの解法は、100-40=60という引き算によって鉛筆2本分の値段を計算して、そこから60÷2=30という計算で鉛筆1本分の値段を得るというものです。また、もう1つの解法は、鉛筆1本分の値段をx円として、(x+40)+x=100という方程式を作り、これを解いて(2x=60という式を経由して)x=30を得るというものです。これら2つの解法で行う計算の実質は同じなのですが、解いている人の思考状態としては明確な違いがあります。それは、前者は「現実の世界」と「数学の世界」を常に結び付けながら考えているが、後者は基本的にはそうではない、ということです。もう少し詳しく述べましょう。前者では、例えば100-40=60という計算をしたとき、その式に対応する現実の意味を考えて、「鉛筆2本で60円なんだ」ということを明確に意識しています。そして、そのように「現実の世界」との対応関係を把握しているからこそ、それに続く60÷2=30という計算で答えが求まっていることもわかるのです。一方、後者の解法では、ただ抽象的な数式として中間結果2x=60が得られており、ここで「xは、鉛筆1本の値段がx円、として意味付けられている」ということを意識している必要は全くありません。一旦「現実の世界」のことは忘れて方程式を解き切ってx=30まで到達してから、最後に初めて「そういえば、鉛筆1本の値段がx円でしたね」と思い出せば、答えが出てくるわけです。
この前者の解法における、「「現実の世界」と「数式の世界」を常に結び付けながら考える」という頭の働き方が、「同期化」の一例になります。「現実の世界」と「数式の世界」の2つの世界を(そうと意識するかは別として)頭の中に両方とも用意して、対応関係にある操作を常に同時実行的に、いわばシンクロさせながら考えていくのです。(同期化という単語を私は、シンクロ、つまりシンクロナイゼーション(synchronization)の和訳のつもりで用いています。)後者の解法はこれとは違って同期化が見られません。「現実の世界」と「数式の世界」の結び付き自体は確かに登場するのですが、その結び付きは最初に方程式を立てるところ、最後に「x=30」を「鉛筆1本は30円」と解釈するところ、2回しか使われません。途中の部分はずっと同期化を切って、「数式の世界」単体で完結する操作をしているのです。こういった「同期化を切った」考え方への移行が汎用性の向上をもたらし、数学の発展に寄与する一方で、しばしば学習者にとってはその習得を難しくするというのが、前回行った議論の大体の要約(を今回のキーワード「同期化」の観点で捉えなおしたもの)になります。(ただし前回は、「同期化を切る」とは階層の異なる「抽象化」をキーワードにして論じていました。詳細は前回記事をご参照ください。)
さて、それでは、この(前者の解法に見られるような)同期化的思考それ自体が、数学の発展の観点からは「無用の長物」なのでしょうか?数学を学ぶ上でも、この「同期化」的思考を、なくしていったほうがよいのでしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。むしろ「同期化」的思考は人間の数学的思考の1つの本質である、というのが私の考えです。確かに上の例では、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化を切ることが数学の発展の方向性でした。しかし、「同期化」の枠組みを用意すること自体は有益であり、数学という学問の発展のためにも、学習者が理解を深めるためにも、むしろ積極的に利活用されるべきものなのです。以下では、いくつかの具体例に触れながら、これをもう少し詳しく論じてみたいと思います。
中学校に入って方程式の考え方を勉強してゆく上で、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化にこだわり続けるのは流石にちょっと無理があります。何しろ、上の文章題の例でもわかることですが、「現実の世界」の意味とは切り離されて、純粋に抽象的な「数式の世界」で完結した枠組みに収まっていることこそ、方程式の考え方の本質的な側面です。しかし、だからといって、この同期化が全く無駄になるわけではなく、むしろこれは「勉強の土台」としてほぼ必須と言ってよいものです。例えば、「鉛筆1本の値段がx円なら、鉛筆2本の値段は2x円だよね」といった思考が呼吸のようにこなせるようになっていないと、地に足の着いた形で複雑な数式を理解することは困難でしょう。(もちろん、そのために、「鉛筆1本の値段が30円なら、鉛筆2本の値段は60円だよね」といった更に具体的な考察がこなせるようになっていることも必須です。)この例は「具体例と抽象論の同期化」の重要性を示していると言えます。様々な具体例が予めわかった上で、それらを念頭に置きながら抽象論を考えることで、地に足の着いた抽象論の理解に到達できるのです。逆説的ですが、同期化の思考回路がしっかり確立できているからこそ、同期化を切り離した抽象論の理解も盤石になるのです。いずれにしても、こういったことは中高数学の勉強でも、現代数学の進んだ勉強でも、あるいは最先端の研究の現場ですら同じことだと思います。
以上から数学を勉強していて困難を感じた際の対処のヒントも得られます。(もちろんこれは単なるヒントに過ぎず、個々人で色々な事情や個性がありますので、唯一絶対の指針はありません。)例えば、上の中学校1年生の数学で、方程式の勉強でよくわからなくなった場合、まずは小学校の算数の文章問題を沢山解く練習をするのが有効な初手になる場合がかなり多いのではないかと筆者は考えています。こうして具体例に徹底的に親しんだ後で、常に具体例を当てはめながら(つまり、具体例との同期化を図りながら)抽象的な文字式を扱うようにするのが、ひとつの妥当な方針なのではないでしょうか。現代数学でも同じことで、抽象論がよくわからないときは、必ず具体例を納得のいくまで考えるべきです。それも、1つの例ではなく、10個の、100個の例を考えるべきです。そして、その例に当てはめながら抽象論を考えてゆくのです。
前段までに論じた「具体例と抽象論の同期化」と(関係は深いのですが)別の階層にある観点として、「イメージと厳密な論理の同期化」も非常に重要です。引き続き初等的な例で考えてみましょう。方程式を解く上での1つの重要な原理に、「a=bならばa+c=b+c」という(当たり前な)含意が挙げられます。これ自体は、数学の世界に属する、厳密な含意関係です。一方、これは、等式を「左と右で釣り合っている天秤」に喩えることにすると、「釣り合っている天秤の左右に、同じ重さのおもりを乗せても、釣り合ったまま」というイメージで捉えることもできます。「イメージと厳密な論理の同期化」とは、この含意の議論をするときに、同時に、天秤の左右におもりを乗せるアニメーションを脳内再生する。といった感じの頭の使い方を指しています。この天秤の例はあくまでも説明用の例で、実際の式変形でこれをやるのは不利益の方が大きいかもしれません。(私自身、等式を変形するときに天秤のアニメーションを想像することはまずありません。)しかし、こういった思考を適切に確立できている人の場合、特に、原理的な理解ができていることになりますので、例えば(中学生のやりがちな)「移項の符号ミス」などを起こす頻度は非常に低くなるでしょう。つまり、適切なイメージの確立は、「原理がわかっていれば有り得ないエラー」に対する耐性を与えてくれるのです。また、現代数学の議論では非常に複雑な概念や対象を扱う必要に迫られるため、適切なイメージの確立による思考のショートカットは、効率の向上のためにも有益です。中高数学で言うと、「単調増加関数」と言ったときに「x≦yならばf(x)≦f(y)」のように定義通り捉えることも大切ではある(というか、数学ですから、「定義通り」が圧倒的に一番大切である)のは間違いないのですが、同時に「右肩上がりのグラフ」を視覚的に想像できていると、考察を進める上で便利でしょう。こういったことが「イメージと厳密な論理の同期化」です。
「イメージと厳密な論理の同期化」においては特に注意点もあります。例えば、上の単調増加関数の例では、定義を見直すとわかる通り、グラフが右肩上がりというよりは横ばいの定数関数(増えも減りもせず一定値の関数)や、大体右肩上がりだけど一部で横ばいになっている関数なども例になっています。(この記事では「広義単調増加関数」すなわち「非減少関数」のことを「単調増加関数」と呼ぶことにしたためです。なお。今回の趣旨とは関係のない別の話ですが、同じ語が文献によって相異なる定義で用いられることもよくありますから、知っているつもりの言葉であっても定義をしっかり確認しておくのも数学では大切なことです。)ですから、(広義)単調増加関数を考える際にこの「右肩上がり」だけを想像して、それに頼って議論してしまうと、間違った議論をしてしまう可能性があります。
こうした「不適切なイメージ」に引きずられた間違いを防ぐために大切なことが2つ思いつきます。まず、当たり前なことですが、イメージに頼りきりで考えるのではなく、むしろ言葉や式で行う厳密な議論の方を大切にすること。しつこいようですが、ポイントは、両方を大切にした上で結び付けて並行的に処理する「同期化」なのです。そして数学は論理を立脚点にしていますから、特に習得を目指す上での最初のマイルストーンとしては、(イメージの確立というよりも)厳密な議論が一通りできるようになることを目指す方が適切であることが多いでしょう。イメージはあくまでも常に仮説的・暫定的な補助具です。厳密な議論と頭の中のイメージが矛盾した時には、少なくとも学習の初期段階ではイメージの方を修正すべきです(上級者になればイメージを活用して議論の間違いを検出することができたりもするのは、先述の「移項の符号ミス」の例が示す通りです)。(ただし、このあたりのバランスは非常に難しく、適切な指導者の存在が特に望まれる部分です。私自身、独学で大学レベルの数学を学び始めたころには、厳密な議論を習得することばかりに気を取られてイメージの形成が遅れたことが原因の苦労が沢山あった気がします。)もうひとつのポイントは、多種多様な具体例を知り、意識しておくこと。特定の限定的な具体例だけを知るのではなく、なるべく多くの具体例を把握することが、適切なイメージの形成の役に立ちます。このことは上の単調増加関数の例からも想像がつくでしょう。この意味で「具体例と抽象論の同期化」と「イメージと厳密な論理の同期化」は密接な関係にあることもわかります。
前段の最初に「間違いを防ぐために」と書きましたが、数学者も人間ですから、数学の議論において多種多様な間違いを犯します。(学術論文にまとめる段階では、丁寧に考え直して間違いをつぶしてゆきます。)そして私の知る限りでは、間違いのひとつの典型は、まさに「イメージをベースとした(厳密な議論との同期化を切った・緩めた)考察をして間違える」、というものなのです。数学者と言えば物事を厳密に考えるイメージの方が強いと思いますので、これは意外に思われる読者もいるかもしれません。もちろん実際、多くの数学者は、厳密に考える能力自体は持ち合わせています(最終的に論文にまとめるときにはそれを発揮します)。しかし、クリエイティビティを発揮する段階では、完全に厳密に議論を遂行するよりも、新しいアイデアを見出すことなどの方が遥かに優先度が高く、そこにイメージ的な理解が活きてくるのです。もちろん、それと同時に厳密な議論も遂行できるに越したことはないのですが、高度に複雑化した現代数学の考察を最初から厳密な形で実行することはしばしば無理があります(脳の処理限界を超えます)。ですから、一旦はそちらをあきらめてイメージベースの考察に注力するのは、ある程度仕方がないことなのです。その結果、しばしば間違いが生じるというわけです。ただし、細かいところが間違っていても多少の努力で修復が可能だったり、あるいは完全に間違っているけれど次なる考察への第一歩にはなったりと、間違いだとしても無意味ではないこと、「ただでは倒れない」ことが強く望まれます。そして実際に数学者の失敗はそのような「ただでは倒れない」ものになっていることも多いのです。こういった「間違いを含むかもしれないけれど、そうだとしても、無意味・的外れではない」議論が効率よく生産できるようになるためには、同義反復的ですが、やはり、あてずっぽうのイメージではなくて、妥当な、適切なイメージを確立できていることが非常に重要です。そのためにも、やはり、訓練の段階では「イメージと厳密な論理の同期化」を予めしっかり確立しておくことが大切になります。
以上に「具体例と抽象論の同期化」「イメージと厳密な論理の同期化」という2種類の「同期化」の観点、そしてそこから自然に導かれる学習上の指針のヒントなどについて述べてきました。最初に述べたことの繰り返しになりますが、筆者はこういった「同期化」を、人間の数学的思考の非常に本質的な側面であると考えています。ですから、これから数学の勉強を進められる読者の方も、この「同期化」的思考回路の確立を意識して目指してみてほしいのです。もちろん、2つの異なる要素の両方をきちんと用意して、更にそれらを結び付けながら並行的に処理することが求められるため、その確立の過程では大変な負荷がかかります。しかしそれは数学をきちんと理解するためには不可避な、本質的な難しさだと筆者は思うのです。ゆっくり進めてゆくしかありません。そうして「同期化」の回路を確立してしまうことで、気づいたときには世界の見え方が一変しているのです。個人的な話にはなりますが、この「世界の見え方が一変する感覚」は、まさに筆者を次なる数学に向かわせる最大の原動力でもあるのです。
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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1. あなた自身の数学的思考の中にどのような「同期化」を見出すことができるか、考えてみてください。
2. 今回の記事に登場させることがかなわなかった、また別の重要な(そして、より数学的な)「同期化」の例として、「同型対応を通じた両側の議論の同期化」が挙げられます。当コラム第3回記事を参考に、そこで起きている同期化について検討してみてください。
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学的思考における「同期化」
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
前回の第6回は、数学における抽象化と、それによって生じる難しさについて論じました。そして最後に第7回の予告として、「抽象化に伴う数学の学習上の難しさに対する向き合い方についてコメントする」予定である旨を述べました。ただ、もちろん「学習上のアドバイス」のような内容だけの記事では面白くありませんし連載の趣旨にも即しませんので、今回もキーワードを1つ設定してみることにしました。それがタイトルにもある「同期化」という単語です。「同期化」は数学的思考の様々な異なったレベルにおいて、異なった形で見出すことのできる現象であり、人間の数学的思考の1つの本質だと私は思っています。その意味でも、この連載において、一度この「同期化」をテーマとした回を設定しておくことには意味があるでしょう。ただし、今回紹介する意味での「同期化」というのは私が勝手に使っている言い回しであり、他の数学関係者に対して言っても説明なしには伝わらないと思いますので、その点はご注意ください。また、「人間の数学的思考の」等と言っていますが、基本的には筆者自身の個人的な学習体験・教育体験をベースに論じるしかありませんから、また別の意見をお持ちの数学関係者の方もいらっしゃるに違いありません(むしろ、だからこそ私がこの記事を書くことに意味があると思うのです)。この点もまたご承知おきください。
それでは、この「同期化」とは一体何なのでしょうか。実はこの単語は前回の議論にも既にこっそり登場させていました。ですので、まずはそれを復習しましょう。前回は次の初等的な問題と、その2通りの解法を例にとって議論をしていました。
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問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
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この問題の1つの解法は、100-40=60という引き算によって鉛筆2本分の値段を計算して、そこから60÷2=30という計算で鉛筆1本分の値段を得るというものです。また、もう1つの解法は、鉛筆1本分の値段をx円として、(x+40)+x=100という方程式を作り、これを解いて(2x=60という式を経由して)x=30を得るというものです。これら2つの解法で行う計算の実質は同じなのですが、解いている人の思考状態としては明確な違いがあります。それは、前者は「現実の世界」と「数学の世界」を常に結び付けながら考えているが、後者は基本的にはそうではない、ということです。もう少し詳しく述べましょう。前者では、例えば100-40=60という計算をしたとき、その式に対応する現実の意味を考えて、「鉛筆2本で60円なんだ」ということを明確に意識しています。そして、そのように「現実の世界」との対応関係を把握しているからこそ、それに続く60÷2=30という計算で答えが求まっていることもわかるのです。一方、後者の解法では、ただ抽象的な数式として中間結果2x=60が得られており、ここで「xは、鉛筆1本の値段がx円、として意味付けられている」ということを意識している必要は全くありません。一旦「現実の世界」のことは忘れて方程式を解き切ってx=30まで到達してから、最後に初めて「そういえば、鉛筆1本の値段がx円でしたね」と思い出せば、答えが出てくるわけです。
この前者の解法における、「「現実の世界」と「数式の世界」を常に結び付けながら考える」という頭の働き方が、「同期化」の一例になります。「現実の世界」と「数式の世界」の2つの世界を(そうと意識するかは別として)頭の中に両方とも用意して、対応関係にある操作を常に同時実行的に、いわばシンクロさせながら考えていくのです。(同期化という単語を私は、シンクロ、つまりシンクロナイゼーション(synchronization)の和訳のつもりで用いています。)後者の解法はこれとは違って同期化が見られません。「現実の世界」と「数式の世界」の結び付き自体は確かに登場するのですが、その結び付きは最初に方程式を立てるところ、最後に「x=30」を「鉛筆1本は30円」と解釈するところ、2回しか使われません。途中の部分はずっと同期化を切って、「数式の世界」単体で完結する操作をしているのです。こういった「同期化を切った」考え方への移行が汎用性の向上をもたらし、数学の発展に寄与する一方で、しばしば学習者にとってはその習得を難しくするというのが、前回行った議論の大体の要約(を今回のキーワード「同期化」の観点で捉えなおしたもの)になります。(ただし前回は、「同期化を切る」とは階層の異なる「抽象化」をキーワードにして論じていました。詳細は前回記事をご参照ください。)
さて、それでは、この(前者の解法に見られるような)同期化的思考それ自体が、数学の発展の観点からは「無用の長物」なのでしょうか?数学を学ぶ上でも、この「同期化」的思考を、なくしていったほうがよいのでしょうか?いいえ、決してそんなことはありません。むしろ「同期化」的思考は人間の数学的思考の1つの本質である、というのが私の考えです。確かに上の例では、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化を切ることが数学の発展の方向性でした。しかし、「同期化」の枠組みを用意すること自体は有益であり、数学という学問の発展のためにも、学習者が理解を深めるためにも、むしろ積極的に利活用されるべきものなのです。以下では、いくつかの具体例に触れながら、これをもう少し詳しく論じてみたいと思います。
中学校に入って方程式の考え方を勉強してゆく上で、「現実の世界」と「数式の世界」の同期化にこだわり続けるのは流石にちょっと無理があります。何しろ、上の文章題の例でもわかることですが、「現実の世界」の意味とは切り離されて、純粋に抽象的な「数式の世界」で完結した枠組みに収まっていることこそ、方程式の考え方の本質的な側面です。しかし、だからといって、この同期化が全く無駄になるわけではなく、むしろこれは「勉強の土台」としてほぼ必須と言ってよいものです。例えば、「鉛筆1本の値段がx円なら、鉛筆2本の値段は2x円だよね」といった思考が呼吸のようにこなせるようになっていないと、地に足の着いた形で複雑な数式を理解することは困難でしょう。(もちろん、そのために、「鉛筆1本の値段が30円なら、鉛筆2本の値段は60円だよね」といった更に具体的な考察がこなせるようになっていることも必須です。)この例は「具体例と抽象論の同期化」の重要性を示していると言えます。様々な具体例が予めわかった上で、それらを念頭に置きながら抽象論を考えることで、地に足の着いた抽象論の理解に到達できるのです。逆説的ですが、同期化の思考回路がしっかり確立できているからこそ、同期化を切り離した抽象論の理解も盤石になるのです。いずれにしても、こういったことは中高数学の勉強でも、現代数学の進んだ勉強でも、あるいは最先端の研究の現場ですら同じことだと思います。
以上から数学を勉強していて困難を感じた際の対処のヒントも得られます。(もちろんこれは単なるヒントに過ぎず、個々人で色々な事情や個性がありますので、唯一絶対の指針はありません。)例えば、上の中学校1年生の数学で、方程式の勉強でよくわからなくなった場合、まずは小学校の算数の文章問題を沢山解く練習をするのが有効な初手になる場合がかなり多いのではないかと筆者は考えています。こうして具体例に徹底的に親しんだ後で、常に具体例を当てはめながら(つまり、具体例との同期化を図りながら)抽象的な文字式を扱うようにするのが、ひとつの妥当な方針なのではないでしょうか。現代数学でも同じことで、抽象論がよくわからないときは、必ず具体例を納得のいくまで考えるべきです。それも、1つの例ではなく、10個の、100個の例を考えるべきです。そして、その例に当てはめながら抽象論を考えてゆくのです。
前段までに論じた「具体例と抽象論の同期化」と(関係は深いのですが)別の階層にある観点として、「イメージと厳密な論理の同期化」も非常に重要です。引き続き初等的な例で考えてみましょう。方程式を解く上での1つの重要な原理に、「a=bならばa+c=b+c」という(当たり前な)含意が挙げられます。これ自体は、数学の世界に属する、厳密な含意関係です。一方、これは、等式を「左と右で釣り合っている天秤」に喩えることにすると、「釣り合っている天秤の左右に、同じ重さのおもりを乗せても、釣り合ったまま」というイメージで捉えることもできます。「イメージと厳密な論理の同期化」とは、この含意の議論をするときに、同時に、天秤の左右におもりを乗せるアニメーションを脳内再生する。といった感じの頭の使い方を指しています。この天秤の例はあくまでも説明用の例で、実際の式変形でこれをやるのは不利益の方が大きいかもしれません。(私自身、等式を変形するときに天秤のアニメーションを想像することはまずありません。)しかし、こういった思考を適切に確立できている人の場合、特に、原理的な理解ができていることになりますので、例えば(中学生のやりがちな)「移項の符号ミス」などを起こす頻度は非常に低くなるでしょう。つまり、適切なイメージの確立は、「原理がわかっていれば有り得ないエラー」に対する耐性を与えてくれるのです。また、現代数学の議論では非常に複雑な概念や対象を扱う必要に迫られるため、適切なイメージの確立による思考のショートカットは、効率の向上のためにも有益です。中高数学で言うと、「単調増加関数」と言ったときに「x≦yならばf(x)≦f(y)」のように定義通り捉えることも大切ではある(というか、数学ですから、「定義通り」が圧倒的に一番大切である)のは間違いないのですが、同時に「右肩上がりのグラフ」を視覚的に想像できていると、考察を進める上で便利でしょう。こういったことが「イメージと厳密な論理の同期化」です。
「イメージと厳密な論理の同期化」においては特に注意点もあります。例えば、上の単調増加関数の例では、定義を見直すとわかる通り、グラフが右肩上がりというよりは横ばいの定数関数(増えも減りもせず一定値の関数)や、大体右肩上がりだけど一部で横ばいになっている関数なども例になっています。(この記事では「広義単調増加関数」すなわち「非減少関数」のことを「単調増加関数」と呼ぶことにしたためです。なお。今回の趣旨とは関係のない別の話ですが、同じ語が文献によって相異なる定義で用いられることもよくありますから、知っているつもりの言葉であっても定義をしっかり確認しておくのも数学では大切なことです。)ですから、(広義)単調増加関数を考える際にこの「右肩上がり」だけを想像して、それに頼って議論してしまうと、間違った議論をしてしまう可能性があります。
こうした「不適切なイメージ」に引きずられた間違いを防ぐために大切なことが2つ思いつきます。まず、当たり前なことですが、イメージに頼りきりで考えるのではなく、むしろ言葉や式で行う厳密な議論の方を大切にすること。しつこいようですが、ポイントは、両方を大切にした上で結び付けて並行的に処理する「同期化」なのです。そして数学は論理を立脚点にしていますから、特に習得を目指す上での最初のマイルストーンとしては、(イメージの確立というよりも)厳密な議論が一通りできるようになることを目指す方が適切であることが多いでしょう。イメージはあくまでも常に仮説的・暫定的な補助具です。厳密な議論と頭の中のイメージが矛盾した時には、少なくとも学習の初期段階ではイメージの方を修正すべきです(上級者になればイメージを活用して議論の間違いを検出することができたりもするのは、先述の「移項の符号ミス」の例が示す通りです)。(ただし、このあたりのバランスは非常に難しく、適切な指導者の存在が特に望まれる部分です。私自身、独学で大学レベルの数学を学び始めたころには、厳密な議論を習得することばかりに気を取られてイメージの形成が遅れたことが原因の苦労が沢山あった気がします。)もうひとつのポイントは、多種多様な具体例を知り、意識しておくこと。特定の限定的な具体例だけを知るのではなく、なるべく多くの具体例を把握することが、適切なイメージの形成の役に立ちます。このことは上の単調増加関数の例からも想像がつくでしょう。この意味で「具体例と抽象論の同期化」と「イメージと厳密な論理の同期化」は密接な関係にあることもわかります。
前段の最初に「間違いを防ぐために」と書きましたが、数学者も人間ですから、数学の議論において多種多様な間違いを犯します。(学術論文にまとめる段階では、丁寧に考え直して間違いをつぶしてゆきます。)そして私の知る限りでは、間違いのひとつの典型は、まさに「イメージをベースとした(厳密な議論との同期化を切った・緩めた)考察をして間違える」、というものなのです。数学者と言えば物事を厳密に考えるイメージの方が強いと思いますので、これは意外に思われる読者もいるかもしれません。もちろん実際、多くの数学者は、厳密に考える能力自体は持ち合わせています(最終的に論文にまとめるときにはそれを発揮します)。しかし、クリエイティビティを発揮する段階では、完全に厳密に議論を遂行するよりも、新しいアイデアを見出すことなどの方が遥かに優先度が高く、そこにイメージ的な理解が活きてくるのです。もちろん、それと同時に厳密な議論も遂行できるに越したことはないのですが、高度に複雑化した現代数学の考察を最初から厳密な形で実行することはしばしば無理があります(脳の処理限界を超えます)。ですから、一旦はそちらをあきらめてイメージベースの考察に注力するのは、ある程度仕方がないことなのです。その結果、しばしば間違いが生じるというわけです。ただし、細かいところが間違っていても多少の努力で修復が可能だったり、あるいは完全に間違っているけれど次なる考察への第一歩にはなったりと、間違いだとしても無意味ではないこと、「ただでは倒れない」ことが強く望まれます。そして実際に数学者の失敗はそのような「ただでは倒れない」ものになっていることも多いのです。こういった「間違いを含むかもしれないけれど、そうだとしても、無意味・的外れではない」議論が効率よく生産できるようになるためには、同義反復的ですが、やはり、あてずっぽうのイメージではなくて、妥当な、適切なイメージを確立できていることが非常に重要です。そのためにも、やはり、訓練の段階では「イメージと厳密な論理の同期化」を予めしっかり確立しておくことが大切になります。
以上に「具体例と抽象論の同期化」「イメージと厳密な論理の同期化」という2種類の「同期化」の観点、そしてそこから自然に導かれる学習上の指針のヒントなどについて述べてきました。最初に述べたことの繰り返しになりますが、筆者はこういった「同期化」を、人間の数学的思考の非常に本質的な側面であると考えています。ですから、これから数学の勉強を進められる読者の方も、この「同期化」的思考回路の確立を意識して目指してみてほしいのです。もちろん、2つの異なる要素の両方をきちんと用意して、更にそれらを結び付けながら並行的に処理することが求められるため、その確立の過程では大変な負荷がかかります。しかしそれは数学をきちんと理解するためには不可避な、本質的な難しさだと筆者は思うのです。ゆっくり進めてゆくしかありません。そうして「同期化」の回路を確立してしまうことで、気づいたときには世界の見え方が一変しているのです。個人的な話にはなりますが、この「世界の見え方が一変する感覚」は、まさに筆者を次なる数学に向かわせる最大の原動力でもあるのです。
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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1. あなた自身の数学的思考の中にどのような「同期化」を見出すことができるか、考えてみてください。
2. 今回の記事に登場させることがかなわなかった、また別の重要な(そして、より数学的な)「同期化」の例として、「同型対応を通じた両側の議論の同期化」が挙げられます。当コラム第3回記事を参考に、そこで起きている同期化について検討してみてください。
★夏期講習2タームの締切について★
2025年7月30日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
夏期講習第2タームの講座は8月1日(金)中にお申込みください!
2ターム(8月5日~8月8日)の講座は下記6講座です。
・初等幾何(14:00~17:10)
・整数論(14:00~17:10)
・情報オリンピック予選問題に挑戦!(14:20~17:10)
・グラフ理論(17:30~20:40)
・英語で読む数学(17:30~20:40)
・物理数学(17:30~20:40)
講座の詳細はこちらから
講座を受講されたみなさんの声
●初等幾何●
知らなかった定理の証明はもちろん、知っていた定理も「何故そうなるのか」を知ることができました。(筑波大学附属・中1)
円周角の定理や内接四角形の性質を逆にすれば、色々な証明に利用できることが分かりました。(京華・中2)
●整数論●
平方乗除の相互法則の証明がすごくきれいで印象的でした。(筑波大学附属駒場・中2)
環や体などのはなしは難しかったが、新しい数学の世界に触れられた気がした。(市川学園・中2)
●情報オリンピック予選問題に挑戦!●
自分で勉強しようとすると挫折しそうなことも、先生や他の生徒がいるから頑張ろうという気持ちになれた。人から直接教えてもらうと分かりやすいし、受講してよかった。(筑波大学附属・中2)
計算量の説明がわかりやすく、オーダー記法の基本をしっかり理解することができました。競プロが強くなれるように頑張ります。(桜蔭・中2)
●グラフ理論●
一見、グラフとは関係ない問題も、グラフを用いることで簡単に解けるようになることが面白かったです。(学習院中等科・中2)
点と線だけでこんなにも楽しい定理が生み出されるということに感動しました。先生の解説もとても分かりやすかったです。(横浜雙葉・高1)
●物理数学●
先生が抽象なものに対する例を多く示してくれたり、内容を掘り下げた深い話をして下さったりしたおかげで、あきずに楽しめました。(筑波大学附属駒場・高1)
物理の基礎となる微分積分についての理解がかなり深まりました。(横浜サイエンスフロンティア・高2)
※「英語で読む数学」は2025年度夏期講習が初開講
K会の授業は河合塾本郷校で行います。大きな校舎ですが「こんにちは!」の挨拶に始まり、受講場所のご案内や、施設利用についてお一人ずつ丁寧にご案内します。
少人数授業のため講師もみなさんの様子を見ながら、授業のペースや出題する問題などをその都度変えており、質問や机間指導にもじっくりお応えしています。
塾がはじめてという方も安心してご受講下さい!
みなさんとお会いできることを講師・スタッフ一同楽しみにしております♪
お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
※お申し込みはWebから
夏期講習第2タームの講座は8月1日(金)中にお申込みください!
2ターム(8月5日~8月8日)の講座は下記6講座です。
・初等幾何(14:00~17:10)
・整数論(14:00~17:10)
・情報オリンピック予選問題に挑戦!(14:20~17:10)
・グラフ理論(17:30~20:40)
・英語で読む数学(17:30~20:40)
・物理数学(17:30~20:40)
講座の詳細はこちらから
講座を受講されたみなさんの声
●初等幾何●
知らなかった定理の証明はもちろん、知っていた定理も「何故そうなるのか」を知ることができました。(筑波大学附属・中1)
円周角の定理や内接四角形の性質を逆にすれば、色々な証明に利用できることが分かりました。(京華・中2)
●整数論●
平方乗除の相互法則の証明がすごくきれいで印象的でした。(筑波大学附属駒場・中2)
環や体などのはなしは難しかったが、新しい数学の世界に触れられた気がした。(市川学園・中2)
●情報オリンピック予選問題に挑戦!●
自分で勉強しようとすると挫折しそうなことも、先生や他の生徒がいるから頑張ろうという気持ちになれた。人から直接教えてもらうと分かりやすいし、受講してよかった。(筑波大学附属・中2)
計算量の説明がわかりやすく、オーダー記法の基本をしっかり理解することができました。競プロが強くなれるように頑張ります。(桜蔭・中2)
●グラフ理論●
一見、グラフとは関係ない問題も、グラフを用いることで簡単に解けるようになることが面白かったです。(学習院中等科・中2)
点と線だけでこんなにも楽しい定理が生み出されるということに感動しました。先生の解説もとても分かりやすかったです。(横浜雙葉・高1)
●物理数学●
先生が抽象なものに対する例を多く示してくれたり、内容を掘り下げた深い話をして下さったりしたおかげで、あきずに楽しめました。(筑波大学附属駒場・高1)
物理の基礎となる微分積分についての理解がかなり深まりました。(横浜サイエンスフロンティア・高2)
※「英語で読む数学」は2025年度夏期講習が初開講
K会の授業は河合塾本郷校で行います。大きな校舎ですが「こんにちは!」の挨拶に始まり、受講場所のご案内や、施設利用についてお一人ずつ丁寧にご案内します。
少人数授業のため講師もみなさんの様子を見ながら、授業のペースや出題する問題などをその都度変えており、質問や机間指導にもじっくりお応えしています。
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受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
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★夏期講習1タームの締切について★
2025年7月17日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
夏期講習第1タームの講座は7月25日(金)中にお申込みください!
1ターム(7月29日~8月1日)の講座は下記4講座です。
・数(14:00~17:10)
・Pythonではじめるプログラミング入門(14:00~17:10)
・【対面】数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(17:30~20:40)
・【映像】数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(配信:8月12日~9月16日)
講座の詳細はこちらから
講座を受講されたみなさんの声
●数●
複素数、二重根号、行列など知らなかったことをたくさん学ぶことができた。複素数の偏角など説明がとても分かりやすかったです。(渋谷教育学園幕張・中1)
複素数などまだ聞いたことないことを分かりやすく説明してもらえ、中1の自分でもある程度理解できるようになったことが印象的でした。(公立・中1)
●Pythonではじめるプログラミング入門●
先生の教えも教材もとてもわかりやすかったです。(桜蔭・中1)
わずか4日間で簡単なコードを自分で考えて書くことができるようになりました。新しいことを1つずつしっかり学べて楽しかったです。(暁星・高1)
●数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方●
今ままで問題を解くことに重点を置いてきて、必要な取り組み方を意識したことがなかったので勉強になりました。(桜蔭・高1)
一見すると複雑そうに見える式や図形から重要な要素を取り出すことで、簡単に解けるようになるということにおどろきました。(明治大学附属中野・高1)
K会は無学年制のため、講座によっては中学1年生から高校3年生までの方が同じ授業を受けています。
受講目安に書かれた知識をお持ちであれば、学年は問いません。
内容に不安がある場合は校舎にてテキスト閲覧や、事前にZoomなどを用いた個別受講相談が可能です。
不安な方はお気軽にご連絡ください!
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1ターム(7月29日~8月1日)の講座は下記4講座です。
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・Pythonではじめるプログラミング入門(14:00~17:10)
・【対面】数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(17:30~20:40)
・【映像】数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方(配信:8月12日~9月16日)
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●数●
複素数、二重根号、行列など知らなかったことをたくさん学ぶことができた。複素数の偏角など説明がとても分かりやすかったです。(渋谷教育学園幕張・中1)
複素数などまだ聞いたことないことを分かりやすく説明してもらえ、中1の自分でもある程度理解できるようになったことが印象的でした。(公立・中1)
●Pythonではじめるプログラミング入門●
先生の教えも教材もとてもわかりやすかったです。(桜蔭・中1)
わずか4日間で簡単なコードを自分で考えて書くことができるようになりました。新しいことを1つずつしっかり学べて楽しかったです。(暁星・高1)
●数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方●
今ままで問題を解くことに重点を置いてきて、必要な取り組み方を意識したことがなかったので勉強になりました。(桜蔭・高1)
一見すると複雑そうに見える式や図形から重要な要素を取り出すことで、簡単に解けるようになるということにおどろきました。(明治大学附属中野・高1)
K会は無学年制のため、講座によっては中学1年生から高校3年生までの方が同じ授業を受けています。
受講目安に書かれた知識をお持ちであれば、学年は問いません。
内容に不安がある場合は校舎にてテキスト閲覧や、事前にZoomなどを用いた個別受講相談が可能です。
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━【「言語学をのぞいてみよう その41」(元K会英語科講師:野中大輔) 】━
2025年7月15日 更新
━【「言語学をのぞいてみよう その41」(元K会英語科講師:野中大輔) 】━
★このコラムでは、言語学を研究している筆者(元K会英語科講師)が、英語・言語学・外国語学習・比較文化などの話題をお伝えしていきます。★
動詞と目的語を深掘りする:「穴をあける」はどう表されるか
私の専門分野は言語学で、英文法を研究しています。英文法にもいろいろなトピックがあるのですが、私の場合は特に動詞と目的語に注目しています。今回は動詞と目的語の関係について取り上げつつ、英語のちょっと変わった表現を紹介したいと思います。
日本語の「ボールを蹴る」や「りんごを食べる」といった表現でも、英語のkick a ballやeat an appleといった表現でも、目的語が表しているのは動詞が示す行為の対象です。これらの表現では、ボールやりんごがあって、それに対して蹴る、食べるという働きかけを行うことが表されています。一方、「家を建てる」やbuild a houseという表現の場合、家に対して何かを行うわけではなく、行為の結果として出来上がるのが家だと言えます。このように、目的語が行為の結果に当たるものを表す場合、結果目的語と呼ばれます。「手紙を書く」とwrite a letter、「絵を描く」とdraw a pictureなども結果目的語の例です。
動詞の中には、この2種の目的語が両方とも可能なものもあります。たとえば「掘る」とdigです。「地面を掘る」とdig the groundにおける目的語は行為の対象を表しますが、「(地面に)穴を掘る」とdig a hole (in the ground) の場合は結果目的語です。ここで「掘る」やdigという動詞がどのような行為を表すかを考えてみると、おおむね〈地面に対して土を取り除くなどの働きかけを行い、その結果として穴を作る〉のようなものだと言えるでしょう。この前半部分に着目した場合は「地面を掘る」やdig the groundという言い方になり、後半部分に着目した場合は「穴を掘る」やdig a holeという言い方になると考えることができます。
ここまでは日本語・英語に共通の例を紹介してきましたが、違いが見られるケースもあります。日本語では結果目的語として「穴」が用いられるのは基本的に「穴を掘る」という表現ぐらいで、たまに「穴をくり抜く」のような言い方も見つかりますが、いずれにせよ、意味の中に〈その結果として穴を作る〉が含まれている動詞に限られます。一方、英語の場合、〈その結果として穴を作る〉という意味が含まれていないように思われる動詞であっても、holeを結果目的語とする表現が成立します。たとえば(1)や(2)のような表現が可能です。kickやeatの目的語にholeが用いられるなんて、おもしろいですよね。
(1)He kicked a hole in the wall.(彼は壁を蹴って穴をあけた。)
(2)The mouse ate holes in the floor.(そのネズミが床をかじって穴をあけてしまった。)
先ほど見たdigの例と(1)や(2)のような例では違いもあります。dig a hole (in the ground) の場合、括弧でくくったin the groundの部分はなくても自然な表現になりますが、(1)と(2)の例でin the wallやin the floorの部分を取り除いてしまうと、おかしな文になってしまいます。〈穴を作る〉という意味が含まれていないような動詞の場合、[動詞+hole+in ...]という構文(inの他にintoやthroughも可)で用いるときのみ、holeが結果目的語として解釈されて、穴を作ることを表すと考えればよいでしょう。私はこの構文を「穴あけ構文」と呼んでいます。
私は大学生のときに穴あけ構文に興味を持ち、卒業論文ではこの構文を取り上げました。それ以来、この構文の用例を集めるようにしています。その中から、ニュース記事で用いられた例(3)を紹介します(The Independent紙より。用例の出典は本コラムの末尾にまとめて記載)。どのような意味になるかわかりますか? 英文に出てくるMr Wynnはアメリカの実業家で美術品の収集でも有名なSteve Wynn(スティーブ・ウィン)氏のことで、Le Reveはピカソの絵画です(日本語だと「夢」と呼ばれています)。
(3)Mr Wynn elbowed a hole in Picasso’s Le Reve as he showed it to guests in his office last month.
(3)でa holeの前にあるのはelbowedです。elbowは名詞だと「ひじ」ですが、ここでは-edが付いている、ということは動詞になっているのだとわかります。それが穴あけ構文で用いられているわけですね。ということで、(3)は「先月、ウィン氏はオフィスで客人にピカソの『夢』を見せていた際に、ひじをぶつけて穴をあけてしまった」といった意味になります。
(3)は2006年の記事から引用したのですが、この事件は世の中に衝撃を与えたようで、現在も語り継がれています(なお、この絵は後に修復されています)。(4)は2018年に別の問題(セクシャルハラスメント疑惑)でウィン氏を取り上げたBBCの記事ですが、ここでもピカソの絵の件が触れられていて、やはり穴あけ構文が用いられていました。
(4)He famously accidentally elbowed a hole in the middle of his Picasso painting when preparing to sell it for a record $139m (£74m) in 2006
(よく知られているように、ウィン氏は2006年に、所有するピカソの絵画を史上最高額となる1億3900万ドル(7400万ポンド)で売却する準備を進めていた際に、誤ってその絵の真ん中にひじで穴をあけてしまった。)
今回は動詞と目的語の関係に注目し、穴あけ構文について紹介しました。(1)から(4)のような表現があるなんて知らなかったという方もいるかもしれませんが、こうやって印象的な例を見たら、きっと忘れないんじゃないかと思います。
用例出典
(3)
https://www.independent.co.uk/news/uk/this-britain/london-renoir-exhibition-to-focus-on-landscapes-422581.html
(4)
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-42848795
★このコラムでは、言語学を研究している筆者(元K会英語科講師)が、英語・言語学・外国語学習・比較文化などの話題をお伝えしていきます。★
動詞と目的語を深掘りする:「穴をあける」はどう表されるか
私の専門分野は言語学で、英文法を研究しています。英文法にもいろいろなトピックがあるのですが、私の場合は特に動詞と目的語に注目しています。今回は動詞と目的語の関係について取り上げつつ、英語のちょっと変わった表現を紹介したいと思います。
日本語の「ボールを蹴る」や「りんごを食べる」といった表現でも、英語のkick a ballやeat an appleといった表現でも、目的語が表しているのは動詞が示す行為の対象です。これらの表現では、ボールやりんごがあって、それに対して蹴る、食べるという働きかけを行うことが表されています。一方、「家を建てる」やbuild a houseという表現の場合、家に対して何かを行うわけではなく、行為の結果として出来上がるのが家だと言えます。このように、目的語が行為の結果に当たるものを表す場合、結果目的語と呼ばれます。「手紙を書く」とwrite a letter、「絵を描く」とdraw a pictureなども結果目的語の例です。
動詞の中には、この2種の目的語が両方とも可能なものもあります。たとえば「掘る」とdigです。「地面を掘る」とdig the groundにおける目的語は行為の対象を表しますが、「(地面に)穴を掘る」とdig a hole (in the ground) の場合は結果目的語です。ここで「掘る」やdigという動詞がどのような行為を表すかを考えてみると、おおむね〈地面に対して土を取り除くなどの働きかけを行い、その結果として穴を作る〉のようなものだと言えるでしょう。この前半部分に着目した場合は「地面を掘る」やdig the groundという言い方になり、後半部分に着目した場合は「穴を掘る」やdig a holeという言い方になると考えることができます。
ここまでは日本語・英語に共通の例を紹介してきましたが、違いが見られるケースもあります。日本語では結果目的語として「穴」が用いられるのは基本的に「穴を掘る」という表現ぐらいで、たまに「穴をくり抜く」のような言い方も見つかりますが、いずれにせよ、意味の中に〈その結果として穴を作る〉が含まれている動詞に限られます。一方、英語の場合、〈その結果として穴を作る〉という意味が含まれていないように思われる動詞であっても、holeを結果目的語とする表現が成立します。たとえば(1)や(2)のような表現が可能です。kickやeatの目的語にholeが用いられるなんて、おもしろいですよね。
(1)He kicked a hole in the wall.(彼は壁を蹴って穴をあけた。)
(2)The mouse ate holes in the floor.(そのネズミが床をかじって穴をあけてしまった。)
先ほど見たdigの例と(1)や(2)のような例では違いもあります。dig a hole (in the ground) の場合、括弧でくくったin the groundの部分はなくても自然な表現になりますが、(1)と(2)の例でin the wallやin the floorの部分を取り除いてしまうと、おかしな文になってしまいます。〈穴を作る〉という意味が含まれていないような動詞の場合、[動詞+hole+in ...]という構文(inの他にintoやthroughも可)で用いるときのみ、holeが結果目的語として解釈されて、穴を作ることを表すと考えればよいでしょう。私はこの構文を「穴あけ構文」と呼んでいます。
私は大学生のときに穴あけ構文に興味を持ち、卒業論文ではこの構文を取り上げました。それ以来、この構文の用例を集めるようにしています。その中から、ニュース記事で用いられた例(3)を紹介します(The Independent紙より。用例の出典は本コラムの末尾にまとめて記載)。どのような意味になるかわかりますか? 英文に出てくるMr Wynnはアメリカの実業家で美術品の収集でも有名なSteve Wynn(スティーブ・ウィン)氏のことで、Le Reveはピカソの絵画です(日本語だと「夢」と呼ばれています)。
(3)Mr Wynn elbowed a hole in Picasso’s Le Reve as he showed it to guests in his office last month.
(3)でa holeの前にあるのはelbowedです。elbowは名詞だと「ひじ」ですが、ここでは-edが付いている、ということは動詞になっているのだとわかります。それが穴あけ構文で用いられているわけですね。ということで、(3)は「先月、ウィン氏はオフィスで客人にピカソの『夢』を見せていた際に、ひじをぶつけて穴をあけてしまった」といった意味になります。
(3)は2006年の記事から引用したのですが、この事件は世の中に衝撃を与えたようで、現在も語り継がれています(なお、この絵は後に修復されています)。(4)は2018年に別の問題(セクシャルハラスメント疑惑)でウィン氏を取り上げたBBCの記事ですが、ここでもピカソの絵の件が触れられていて、やはり穴あけ構文が用いられていました。
(4)He famously accidentally elbowed a hole in the middle of his Picasso painting when preparing to sell it for a record $139m (£74m) in 2006
(よく知られているように、ウィン氏は2006年に、所有するピカソの絵画を史上最高額となる1億3900万ドル(7400万ポンド)で売却する準備を進めていた際に、誤ってその絵の真ん中にひじで穴をあけてしまった。)
今回は動詞と目的語の関係に注目し、穴あけ構文について紹介しました。(1)から(4)のような表現があるなんて知らなかったという方もいるかもしれませんが、こうやって印象的な例を見たら、きっと忘れないんじゃないかと思います。
用例出典
(3)
https://www.independent.co.uk/news/uk/this-britain/london-renoir-exhibition-to-focus-on-landscapes-422581.html
(4)
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-42848795
★夏期講習のお知らせ②★
2025年7月8日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
夏期講習の開始まで3週間を切りました!
近頃よく、「夏期講習の〇〇〇講座はまだ申し込めますか?」というお問合せをいただきます。
定期テストも終わり、夏の予定を考え始めた方も多いのではないでしょうか。現時点での申し込み状況は下表の通りになっております。
✕:締切 ▼:残り5名以下 △:残り10名以下 〇:残り10名以上
※数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方の映像受講については定員はございません
※講座の詳細はこちらから
初めてのご受講は不安かもしれませんが、講習初日に1階の受付カウンターで教室や施設のご案内をいたします。
また、忘れ物や先生への質問など、困ったことや自分一人では緊張することがあれば、
いつでもK会スタッフがサポートいたします!
「敷居が高い」「近寄りがたい」イメージがあるかもしれませんが、実はK会はとてもアットホームな場所です。
講師はもちろん、スタッフも優しく丁寧な方ばかりなので安心してくださいね。
夏期講習で皆さんとお会いできることを楽しみにしております♪
お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
※お申し込みはWebから
夏期講習の開始まで3週間を切りました!
近頃よく、「夏期講習の〇〇〇講座はまだ申し込めますか?」というお問合せをいただきます。
定期テストも終わり、夏の予定を考え始めた方も多いのではないでしょうか。現時点での申し込み状況は下表の通りになっております。
ターム | 時限 | 講座名 | 空き状況 |
---|---|---|---|
1 | 1 | 数 | ○ |
1 | 1 | Pythonではじめるプログラミング入門 | △ |
1 | 2 | 数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方 | ○ |
2 | 1 | 初等幾何 | ○ |
2 | 1 | 整数論 | ○ |
2 | 1 | 情報オリンピック予選問題に挑戦! | ○ |
2 | 2 | グラフ理論 | ○ |
2 | 2 | 英語で読む数学 | ○ |
2 | 2 | 物理数学 | ○ |
3 | 1 | サイバーセキュリテイ入門 | ▼ |
3 | 1 | 病理学入門 | ○ |
3 | 2 | 放射化学・核化学入門 | ○ |
3 | 2 | 地質学 | ○ |
3 | 2 | 古生物学 | ○ |
3 | 2 | 言語学オリンピックで入門する音韻論 | ○ |
4 | 1 | 座標幾何 | ○ |
4 | 1 | 形式言語理論と数理言語学 | ○ |
4 | 2 | 極限 | ○ |
4 | 2 | 楕円曲線上の有理点 | ○ |
4 | 2 | 地理オリンピック国内予選問題研究会2025 | △ |
※数学オリンピックに学ぶ証明問題の考え方の映像受講については定員はございません
※講座の詳細はこちらから
初めてのご受講は不安かもしれませんが、講習初日に1階の受付カウンターで教室や施設のご案内をいたします。
また、忘れ物や先生への質問など、困ったことや自分一人では緊張することがあれば、
いつでもK会スタッフがサポートいたします!
「敷居が高い」「近寄りがたい」イメージがあるかもしれませんが、実はK会はとてもアットホームな場所です。
講師はもちろん、スタッフも優しく丁寧な方ばかりなので安心してくださいね。
夏期講習で皆さんとお会いできることを楽しみにしております♪
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受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
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★夏期セミナーのご案内★
2025年7月4日 更新
本日は中高生とその保護者の方を対象とした夏期セミナーのお知らせです!
『数学を通して学ぶ音楽~音楽と数学の不思議な調和~』
7月26日(土)13:00~15:00
講演者:布施音人
講演案内はこちらから
数学と音楽の共通点は?
と問われたらみなさんは何か思いつくでしょうか。
論理的な数学と、感性に訴える音楽。全く違うように見える二つではありますが、人類は古くからこの2つに共通点を見出してきました。
例えば数学者として有名なピタゴラスもそのひとりです。ピタゴラス音律という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
ピタゴラス音律は音と音の周波数の比が1:2、2:3、3:4など特定の整数比のときに美しいハーモー二―になるというものです。
音楽に詳しい方はオクターブ、完全五度といった音程をイメージしてください。
ピタゴラスがこの音の性質に気づいたきっかけは、鍛冶屋(最近のみなさんは刀鍛冶といったら分かりやすいでしょうか。とあるアニメに刀を叩いて鍛えるシーンがありますよね。)の前を通りかかった時に響いていたハンマーの音だったそうです。
複数のハンマーの音が、美しく響くときとそうでないとき、その違いを調べたところハンマーの重さに違いがあることがわかりました。
そのハンマーとハンマーの重さの比が音の響きの美しさに関係しているというのが、ピタゴラス音律の発見のもとになったと言われています。
このピタゴラスように音の美しさを突き詰めて調べていくと、そこに数学的な法則が隠れていることがあります。
今回のセミナーではそんな音楽と数学のつながりを実際に楽器を使った演奏を交えながら分かりやすくご紹介していきます。
講師はK会数学科の元講師であり、ジャズピアニストとしても活躍されている布施音人さんです。
数学が好きな方も、音楽が好きな方も、ご家族やお友達をお誘いのうえお気軽にご参加下さい!
お申込・お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
『数学を通して学ぶ音楽~音楽と数学の不思議な調和~』
7月26日(土)13:00~15:00
講演者:布施音人
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数学と音楽の共通点は?
と問われたらみなさんは何か思いつくでしょうか。
論理的な数学と、感性に訴える音楽。全く違うように見える二つではありますが、人類は古くからこの2つに共通点を見出してきました。
例えば数学者として有名なピタゴラスもそのひとりです。ピタゴラス音律という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
ピタゴラス音律は音と音の周波数の比が1:2、2:3、3:4など特定の整数比のときに美しいハーモー二―になるというものです。
音楽に詳しい方はオクターブ、完全五度といった音程をイメージしてください。
ピタゴラスがこの音の性質に気づいたきっかけは、鍛冶屋(最近のみなさんは刀鍛冶といったら分かりやすいでしょうか。とあるアニメに刀を叩いて鍛えるシーンがありますよね。)の前を通りかかった時に響いていたハンマーの音だったそうです。
複数のハンマーの音が、美しく響くときとそうでないとき、その違いを調べたところハンマーの重さに違いがあることがわかりました。
そのハンマーとハンマーの重さの比が音の響きの美しさに関係しているというのが、ピタゴラス音律の発見のもとになったと言われています。
このピタゴラスように音の美しさを突き詰めて調べていくと、そこに数学的な法則が隠れていることがあります。
今回のセミナーではそんな音楽と数学のつながりを実際に楽器を使った演奏を交えながら分かりやすくご紹介していきます。
講師はK会数学科の元講師であり、ジャズピアニストとしても活躍されている布施音人さんです。
数学が好きな方も、音楽が好きな方も、ご家族やお友達をお誘いのうえお気軽にご参加下さい!
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受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
★数学オリンピック講座のご案内★
2025年6月18日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
夏期講習の申し込みが始まり一週間が経ちました。
受付初日から、たくさんの方にお申込をいただき大変嬉しく思っております!
現時点で締切講座はございません。各講座の詳細は下記HPよりご覧いただけます。
https://www.kawai-juku.ac.jp/summer/kkai/
さて、K会と言えば、「数学オリンピック」を真っ先に思い浮かべてくださる方も多いのではないでしょうか。
今年の1月に行われた第35回日本数学オリンピックの予選通過者は207名
そのうちK会生および、K会の講習等を受けてくださった方は17名
予選通過者の8%がK会の講座を受講しています!
さらに、本選の成績優秀者でみてみると20名中7名、つまり3割以上の方がK会の利用者です!!
国際数学オリンピックでメダルを獲得した講師から直接指導を受けられるのはK会ならでは。
「今まで問題を解くことに重点を置いてきて、必要な知識や取り組み方を意識したことがなかったので勉強になりました」(高1・桜蔭)
「問題に対してのアプローチがぐっと増えました。視点を変えて見る力が付いたと思います。」(高1・開成)
次こそは!と予選突破&代表入りを目指す皆さん!!
K会で数オリ講座を受講してみませんか?
対面授業:7月29日(火)~8月1日(金)17:30-20:40
録画配信:8月12日(火)~9月16日(火)
お問合せ
K会事務局 ☎03-3813-4581
受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
★講習のお申し込みはこちらから
夏期講習の申し込みが始まり一週間が経ちました。
受付初日から、たくさんの方にお申込をいただき大変嬉しく思っております!
現時点で締切講座はございません。各講座の詳細は下記HPよりご覧いただけます。
https://www.kawai-juku.ac.jp/summer/kkai/
さて、K会と言えば、「数学オリンピック」を真っ先に思い浮かべてくださる方も多いのではないでしょうか。
今年の1月に行われた第35回日本数学オリンピックの予選通過者は207名
そのうちK会生および、K会の講習等を受けてくださった方は17名
予選通過者の8%がK会の講座を受講しています!
さらに、本選の成績優秀者でみてみると20名中7名、つまり3割以上の方がK会の利用者です!!
国際数学オリンピックでメダルを獲得した講師から直接指導を受けられるのはK会ならでは。
「今まで問題を解くことに重点を置いてきて、必要な知識や取り組み方を意識したことがなかったので勉強になりました」(高1・桜蔭)
「問題に対してのアプローチがぐっと増えました。視点を変えて見る力が付いたと思います。」(高1・開成)
次こそは!と予選突破&代表入りを目指す皆さん!!
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対面授業:7月29日(火)~8月1日(金)17:30-20:40
録画配信:8月12日(火)~9月16日(火)
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受付時間 火~土曜日(13:00-19:00)
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★夏期講習の申込が始まりました★
2025年6月10日 更新
みなさんこんにちは。K会事務局です!
本日6/10(火)13:00から夏期講習の受付がはじまります!
設置講座は数学・英語・情報・物理・化学・生物・地理・地学・言語学の全20講座!
詳しくは下記URLよりご確認ください。
https://www.kawai-juku.ac.jp/summer/kkai/
K会の夏期講習は、会員の方以外もお申込みいただけます。
毎年、受講いただいている生徒さんの半数以上がK会生以外の生徒さんです。
初めてK会の講座を受講するという生徒さんもたくさんいますので
「面白そう」 「学んでみたい」 「挑戦したい」
という気持ちがあれば、ぜひご受講ください!
科学オリンピック講座をはじめ、病理学や、地質学、古生物学など、
学校では学ぶことのできない魅力的な講座をたくさんご用意してみなさんのお申し込みをお待ちしております!!
【お問い合わせ】K会事務局
☎03-3813-4581 日・月除く 13:00~19:00
本日6/10(火)13:00から夏期講習の受付がはじまります!
設置講座は数学・英語・情報・物理・化学・生物・地理・地学・言語学の全20講座!
詳しくは下記URLよりご確認ください。
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━【「音楽から見る数学13」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
2025年6月8日 更新
━【「音楽から見る数学13」(元K会生・元K会数学科講師:布施音人) 】━
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★
― 楽式と繰り返し構造 ―
こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
今回も数学とは直接関わらない音楽の話をしたいと思います。
みなさんは「ロンド形式」「ソナタ形式」といった言葉を聞いたことがありますか?これらは楽曲の形式(=楽式)を表す言葉で、西洋クラシック音楽の多くの楽曲が(作曲者自身が意識していたか否かはさておき)これらの形式に沿って書かれています。今日はこれらをはじめとした楽曲の形式について述べたいと思います。
ところで、楽曲の形式とはなんでしょうか?あらためて言語化するのは難しいですが、楽曲を「ひとかたまり」に見える部分に分解したときの、それらの関係、と言い換えられるかもしれません。
たとえば「きらきら星」で言えば、「きらきらひかる おそらのほしよ」まででひとかたまり、「まばたきしては みんなをみてる」が次のひとかたまり、「きらきらひかる おそらのほしよ」が最後のひとかたまりと見なせます。このとき、1個目と3個目は同じメロディで、2個目だけが他のメロディになっています。このような形式は「ABA」のように書かれることがあります。一般に3つの部分に分けて捉えられる楽曲の形式を「三部形式」と呼ぶことがありますが、これはその一種と言えます。
また、現代の日本のポップスの楽曲は「Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Aメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→サビ→終結部」といった形式を取ることがありますが、これも楽曲の形式の典型例です。
これらの形式は入れ子構造になる場合も多々あります。たとえば、先ほど「ABA」のタイプの三部形式について触れましたが、そのAやB自体が更に細かく見ると同じタイプの三部形式となっているような楽曲がクラシックには多数存在します。「A」を分解すると「aba」、「B」は「cdc」のようになっていて、「aba cdc aba」のような構造をしている、ということです(複合三部形式と呼ばれたりします)。
さて、ではなぜ人間は楽曲をこういった形式に沿って作ってきたのでしょうか?明確な答えが出るものではないと思いますが、人間が楽曲を知覚するときの仕組みに深く関わっていると私は考えています。
例として「AABA」という形式の楽曲について考えましょう。20世紀アメリカのポピュラー音楽でも大変よく見られた形式で、有名な「Over The Rainbow」などもこの形式です。この形式の楽曲を聴いた人の心の動きは次のようになると思います(あくまで一例です)。まず最初のAでは、どんな曲が始まるのだろう、と注意を払いながら音楽に耳を傾けます。そして次のAは最初のAの繰り返しですから、少しリラックスして旋律の美しさを味わったり、歌詞の意味を考えたりします。そして次はAの繰り返しではなく全く別のBが訪れ、一種の驚きが生まれます。この驚きが脳へのスパイスとなり、気分が高まったり、感動を味わったりします(この部分をサビと呼んだりします)。そして最後に再びAが訪れ、家へ帰ったような安心感と、一つの旅をしてきたような充足感を味わいます。「起承転結」と言い換えれば早いかもしれません。
音楽は常に時間と共にあり、立ち止まったり巻き戻ったりすることなく流れて行ってしまうものですから、人が音楽を聴くプロセスは、フレーズなど楽曲の断片を一時的に記憶し、それと照らし合わせながら続きを聴いていくことだと言えます。そのため、人は無意識のうちに、楽曲の中に潜む繰り返し構造と、そこからのズレ(全く違うBパートが現れたり、同じAパートでも少しメロディに変化があったり、など)に着目しているのだと思います。
なお、楽曲の形式という概念は、曲全体をいくつかのブロックに分ける話にとどまりません。たとえば「かえるのうた」のような輪唱は、ひとかたまりに見えるもの(メロディー)をタイミングをずらして同時に演奏するというものですが、これもカノン形式、カノン様式と呼ばれる一つの形式です。
世の中には多数の楽曲がありますが、その形式が人の心にどういった動きをもたらすのかにも着目しながら聴いてみると、新たな発見があるかもしれません。
★このコラムでは、数学と音楽の両方に魅せられてきた筆者が、数学と音楽の共通点を考える中で見えてくる数学の魅力について、筆者なりの言葉でお伝えしていきます★
― 楽式と繰り返し構造 ―
こんにちは。元K会数学科講師の布施音人です。
今回も数学とは直接関わらない音楽の話をしたいと思います。
みなさんは「ロンド形式」「ソナタ形式」といった言葉を聞いたことがありますか?これらは楽曲の形式(=楽式)を表す言葉で、西洋クラシック音楽の多くの楽曲が(作曲者自身が意識していたか否かはさておき)これらの形式に沿って書かれています。今日はこれらをはじめとした楽曲の形式について述べたいと思います。
ところで、楽曲の形式とはなんでしょうか?あらためて言語化するのは難しいですが、楽曲を「ひとかたまり」に見える部分に分解したときの、それらの関係、と言い換えられるかもしれません。
たとえば「きらきら星」で言えば、「きらきらひかる おそらのほしよ」まででひとかたまり、「まばたきしては みんなをみてる」が次のひとかたまり、「きらきらひかる おそらのほしよ」が最後のひとかたまりと見なせます。このとき、1個目と3個目は同じメロディで、2個目だけが他のメロディになっています。このような形式は「ABA」のように書かれることがあります。一般に3つの部分に分けて捉えられる楽曲の形式を「三部形式」と呼ぶことがありますが、これはその一種と言えます。
また、現代の日本のポップスの楽曲は「Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→Aメロ→Bメロ→サビ→Cメロ→サビ→終結部」といった形式を取ることがありますが、これも楽曲の形式の典型例です。
これらの形式は入れ子構造になる場合も多々あります。たとえば、先ほど「ABA」のタイプの三部形式について触れましたが、そのAやB自体が更に細かく見ると同じタイプの三部形式となっているような楽曲がクラシックには多数存在します。「A」を分解すると「aba」、「B」は「cdc」のようになっていて、「aba cdc aba」のような構造をしている、ということです(複合三部形式と呼ばれたりします)。
さて、ではなぜ人間は楽曲をこういった形式に沿って作ってきたのでしょうか?明確な答えが出るものではないと思いますが、人間が楽曲を知覚するときの仕組みに深く関わっていると私は考えています。
例として「AABA」という形式の楽曲について考えましょう。20世紀アメリカのポピュラー音楽でも大変よく見られた形式で、有名な「Over The Rainbow」などもこの形式です。この形式の楽曲を聴いた人の心の動きは次のようになると思います(あくまで一例です)。まず最初のAでは、どんな曲が始まるのだろう、と注意を払いながら音楽に耳を傾けます。そして次のAは最初のAの繰り返しですから、少しリラックスして旋律の美しさを味わったり、歌詞の意味を考えたりします。そして次はAの繰り返しではなく全く別のBが訪れ、一種の驚きが生まれます。この驚きが脳へのスパイスとなり、気分が高まったり、感動を味わったりします(この部分をサビと呼んだりします)。そして最後に再びAが訪れ、家へ帰ったような安心感と、一つの旅をしてきたような充足感を味わいます。「起承転結」と言い換えれば早いかもしれません。
音楽は常に時間と共にあり、立ち止まったり巻き戻ったりすることなく流れて行ってしまうものですから、人が音楽を聴くプロセスは、フレーズなど楽曲の断片を一時的に記憶し、それと照らし合わせながら続きを聴いていくことだと言えます。そのため、人は無意識のうちに、楽曲の中に潜む繰り返し構造と、そこからのズレ(全く違うBパートが現れたり、同じAパートでも少しメロディに変化があったり、など)に着目しているのだと思います。
なお、楽曲の形式という概念は、曲全体をいくつかのブロックに分ける話にとどまりません。たとえば「かえるのうた」のような輪唱は、ひとかたまりに見えるもの(メロディー)をタイミングをずらして同時に演奏するというものですが、これもカノン形式、カノン様式と呼ばれる一つの形式です。
世の中には多数の楽曲がありますが、その形式が人の心にどういった動きをもたらすのかにも着目しながら聴いてみると、新たな発見があるかもしれません。
━【「現代数学の視座と眺望6」(元K会数学科講師:立原礼也) 】━
2025年5月9日 更新
━【現代数学の視座と眺望№6(K会元数学科講師:立原礼也) 】━
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学の抽象化と難しさ
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
第6回目となる今回から次回の第7回にかけては、数学という学問の重要な側面の1つである「抽象化」を話題にしてみたいと思います。大げさな話に見えるかもしれませんが、これは中学校で習う「方程式の文章題」という初等的な例を通じても観察することができるものです。その意味では、この話題は「現代数学」とは限らない(中高レベルも含めた)「数学」にも通用するものであり、連載の趣旨から外れてしまうのかもしれません。一方、筆者が今回の内容のようなことを本格的に考え出したきっかけは、もう10年近く前になりますが、現代数学の勉強を始めたころの苦労の経験であり、それゆえに筆者としては今回から次回にかけての内容が現代数学を学ぼうとする方の参考になることを願い、期待しているものです。
それでは、次のような「方程式の文章題」に対する、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の比較から、議論を始めましょう。なお、誤解を防ぐために先に述べておきますと、ここで言いたいのは「どちらの方が良い解法だ」といった優劣比較ではありません。(ある特定の観点からの優劣比較は後に出てきますが、それは記事の主旨ではありません。)また、今回たまたま例示がこのようなものになっただけであって、筆者は「算数と数学の違い」のようなことを論じたいわけでもありません。
問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
解法1(算数的?)
100-40=60 (鉛筆2本の値段)
60÷2=30 (鉛筆1本の値段)
よって、「30円」
解法2(数学的?)
鉛筆1本の値段をx円とおくと、条件は
x+(x+40)=100
これを解くとx=30
よって、「30円」
この2つの解法の共通点と相違点を観察しましょう。まず共通点ですが、「行われている実質的な計算の内容は一緒である」ことが挙げられると思います。実際、解法2において方程式を解くプロセスを書き下すと、
2x=100-40=60
x=60÷2=30
のようになり、解法1において行われる計算の内容と一緒になります。この意味では解法1と解法2は「全く同じ解法だ」と認識する人がいてもおかしくはないでしょう。にもかかわらず筆者は、解法1と解法2には明確な相違点があると考えているのです。
では、筆者の考える2つの解法の相違点を説明しましょう。
解法1においては、途中の計算に対して、考察下の問題設定の観点からの「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付与されています。つまり例えば、途中で行った100-40=60という計算は、ただの抽象的な数の計算ではなくて、「この数値が鉛筆2本分の値段を表している」という認識、意味付けの下で行われているということです。対照的に、解法2においては、途中の計算2x=100-40=60は抽象的な数の計算です。もちろん、「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」ということを思い出せば、その情報によって、解法2におけるこの式にも「物理的な・現実的な・実体的な意味」を付与することは可能です。しかし、中学校1年生で習う「方程式の考え方を用いて文章題を解く」方法の重要な点はむしろ、途中の計算に意味を付与しないこと、途中で「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」などと思い出したりしないこと、にあるのではないでしょうか。ですから、この「途中の計算に意味を付与するかどうか」という点は、解法1と解法2の大きな違いだと言えると思います。今回は易しめの問題を選んでみましたが、どんな文章題でも、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の間には、同様の違いが見出されるはずです。
しつこいようですが、解法2で何が起きているのか、もう一度説明させてください。「ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。」という問題文は、物理的な・現実的な・実体的な状況の説明を与えるものであり、つまりこの問題文は「現実の世界」に属しています。我々はそれを「鉛筆1本の値段をx円とおく」ことでx+(x+40)=100という数式に翻訳・変換します。このx+(x+40)=100という方程式は「現実の世界」ではなく、抽象的な、「数式の世界」に住まうものです。解法2では、ひとたびこの「数式の世界」にいる(そして「現実の世界」にはいない)x+(x+40)=100を得たら、一度も「現実の世界」との関連に立ち返ることなく、純粋に「数式の世界」で完結した処理によって、x=30を導きます。そして、ここまできて、最後の最後に、初めて「鉛筆1本の値段をx円とおく」というルールを思い出し、「鉛筆1本は30円」と結論するのです。まとめましょう。「現実の世界」から「数式の世界」にひとたび移ったら、その「数式の世界」で完結する(「現実の世界」との結びつきは考えない)処理を行い、一番最後に得られた結果を再度「現実の世界」に翻訳する。これが解法2の、ひいては中学校で習う「文章題の方程式による解法」全般に見られる、論理的な構造です。
こう見ると、解法1と解法2の相違点も明確ではないでしょうか。解法1において、100-40=60といった計算そのものは「数式の世界」に属していますが、我々はそれを「現実の世界」と切り離してはいません。100-40が「現実の世界」における何に対応しているのかを、明確に意識しています。そして、その意識があるからこそ、続く60÷2=30という計算にも意味が付与され、30円が答えであることが直ちにわかるのです。ここでは常に「現実の世界」と「数式の世界」が結びついています。この結びつき、あるいは結びつけ続けたまま処理を行うことを、筆者は個人的に「同期化」と呼んでいます。解法1においては、「現実の世界」での理解と「数式の世界」での理解が常に同期化され、同時並行で進んでいるのです。解法2にはこうした同期化が見られません。
相違点がわかったところで、議論をさらに進めましょう。最初に述べた通り、解法1と解法2はどちらが優れているというわけではなく、それぞれの良いところがあります。まず、解法1の良いところは、同義反復的ですが、考察下の物理的な・現実的な・実体的な状況に対して理解が深められるところです。なにしろ、計算過程にも常に意味が付与されているのですから、当然、より多くのことを網羅的に理解でき、手持ちの情報が多くなります。また、途中経過の全ての部分に意味がつくということは、途中の議論の全てに素朴に納得感をもって、安心して答えを出せるということでもあると思います。
解法2の良いところとして、解法1と違って途中経過で保持しておかなければならない情報が少ないぶん、ひとたび抽象的な計算(=例えば、方程式の同値変形)の仕組みさえ理解してしまえば、思考負荷が非常に小さくなる、ということが挙げられると思います。また、途中経過に意味を付与する必要がないため、計算の自由度が大幅に上がります。例えば-2x=-60等といった負の数の式が出てくると、これに「物理的な・現実的な・実体的な意味」を端的にわかりやすく与えるのは少し大変になりますが、そうした困難性は方程式の計算の上では全く支障にならないわけです。更に、こうした自由度の向上が、解決可能な問題の範囲の拡張に本質的に寄与する場合もあります。実際、3次以上の方程式(が出てくるような問題)になると、最終的な解には「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付くような状況であったとしても、解法の途中では虚数(当コラム第1回および第2回を参照)まで使うはめになる、といった場合もあるのです。(というより。歴史的にはこれが虚数を導入する1つの契機になったようです。詳細を知りたい方は数学史の本をご覧ください。)
筆者は先に「2つの解法の優劣比較をしたいわけではない」と述べました。一方、しかしながら、何か特定の、限定的な観点に立てば、その観点から優劣がつくのも当たり前なことです。そして、上に見てきた通り、「計算の自由度」やそれに伴う「汎用性」といった観点からは、解法2は解法1を上回っていると考えられます。こうした抽象化(=今回の例で言えば、様々な問題解決に統一的な視座を与える「方程式を解く」という仕組み)による汎用性の向上は、数学の発展の1つの典型的な方向性であり、その意味では解法2は解法1より進んだ考え方だとみることもできます。
抽象化は「方程式の文章題」の例だけで見ても素晴らしいものだとわかりますし、また前回記事の代数的整数論の話題も、抽象化の威力を示す例となっています。一方、当たり前な話ですが、このような、より抽象化された、進んだ数学は、それだけ習得や納得のハードルが上がるという側面もあります。何しろ、抽象化というのは、まさに「それまで依拠していた具体的な文脈から離脱してしまう」ということなのですから、物事をどういう風に考えたらいいのか、見失いやすくなります。例えば「方程式の文章題」の例ですと、解法2において重要な役割を果たした方程式の同値変形の仕組みは、「現実の世界」とは切り離されて純粋に「数式の世界」に属するものであり、これについて納得して理解することは中学数学の最初の関門となるでしょう。また、そのようにして具体的な文脈から離脱した抽象的手法の適用によって、最終的に具体的な成果が得られたとしても、「狐につままれた」ような感じで納得しづらい、と思う人もいるのではないでしょうか。方程式を解いて「現実の世界」の答えが得られること、素数を平方和で表す方法の存在・非存在が複素数を使ってわかること(前回記事参照)、改めて考えてみると何だか魔法のようです。
筆者の場合、幸運にも中高数学の勉強の段階ではこのような抽象性について困難を感じずに済みましたが、大学レベル(現代数学)の勉強を始めた後は、多くの苦労を経験しました。現代数学ですと、一口に抽象化とは言っても最初から現実世界とは切り離された純粋数学の枠組内でのそれが多いので、その意味では「方程式の文章題」の例と様子が違っているのですが、それでも学習上の困難の在り方自体は上述したものと同様です。では、このような抽象性に由来する習得・納得の困難に立ち向かうためには、我々はどうすればよいのでしょうか?これは決まった答えのない難しい問題ですが、筆者なりに考えていることがいくつかあります。そこで次回は筆者の個人的な経験に基づいて、抽象的な数学の学習に関するいくつかのコメントを述べてみたいと思います。
**********
(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1.様々な「方程式の文章題」について、「解法1」のような解き方と、「解法2」のような解き方を与え、それらを比較した考察を与えてみてください。
2.次回は、抽象的な数学を学ぶ上での困難にどのように立ち向かうか、ということを話題にしたいと思います。そのトイモデルとして、解法2に出てくるような方程式の同値変形の仕組みがわからず困っている人が、どのように学習を進めたら良さそうか、考えてみてください。(もちろん、どのような方法が最適かは人によると思いますが、その方法の候補を考えてみてください、ということです。)例えば、「解き方のパターンを、理屈は気にせず丸暗記する」という方法には、どのようなメリットとデメリットがあるでしょうか?また、こういった考察から、抽象的な数学の学習全般への示唆は何か得られるでしょうか?
★「現代数学」、つまり大雑把には「大学の数学科レベルの数学」は、中高で習う数学と地続きに繋がっていながらも、様々な面で、全く新しい考え方に基づくものでもあります。筆者が数学を専攻することに決めたのも、この新しくも自然な考え方の数々に魅了されてのことでした。このコラムでは、現代数学におけるものの見方=「視座」、そしてそれによるものの見え方=「眺望」の解説を通じ、現代数学の魅力の一端をお伝えしていきます★
数学の抽象化と難しさ
読者の皆さん、こんにちは。
K会数学科元講師の立原礼也と申します。
第6回目となる今回から次回の第7回にかけては、数学という学問の重要な側面の1つである「抽象化」を話題にしてみたいと思います。大げさな話に見えるかもしれませんが、これは中学校で習う「方程式の文章題」という初等的な例を通じても観察することができるものです。その意味では、この話題は「現代数学」とは限らない(中高レベルも含めた)「数学」にも通用するものであり、連載の趣旨から外れてしまうのかもしれません。一方、筆者が今回の内容のようなことを本格的に考え出したきっかけは、もう10年近く前になりますが、現代数学の勉強を始めたころの苦労の経験であり、それゆえに筆者としては今回から次回にかけての内容が現代数学を学ぼうとする方の参考になることを願い、期待しているものです。
それでは、次のような「方程式の文章題」に対する、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の比較から、議論を始めましょう。なお、誤解を防ぐために先に述べておきますと、ここで言いたいのは「どちらの方が良い解法だ」といった優劣比較ではありません。(ある特定の観点からの優劣比較は後に出てきますが、それは記事の主旨ではありません。)また、今回たまたま例示がこのようなものになっただけであって、筆者は「算数と数学の違い」のようなことを論じたいわけでもありません。
問題
ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。鉛筆は1本いくらか。
解法1(算数的?)
100-40=60 (鉛筆2本の値段)
60÷2=30 (鉛筆1本の値段)
よって、「30円」
解法2(数学的?)
鉛筆1本の値段をx円とおくと、条件は
x+(x+40)=100
これを解くとx=30
よって、「30円」
この2つの解法の共通点と相違点を観察しましょう。まず共通点ですが、「行われている実質的な計算の内容は一緒である」ことが挙げられると思います。実際、解法2において方程式を解くプロセスを書き下すと、
2x=100-40=60
x=60÷2=30
のようになり、解法1において行われる計算の内容と一緒になります。この意味では解法1と解法2は「全く同じ解法だ」と認識する人がいてもおかしくはないでしょう。にもかかわらず筆者は、解法1と解法2には明確な相違点があると考えているのです。
では、筆者の考える2つの解法の相違点を説明しましょう。
解法1においては、途中の計算に対して、考察下の問題設定の観点からの「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付与されています。つまり例えば、途中で行った100-40=60という計算は、ただの抽象的な数の計算ではなくて、「この数値が鉛筆2本分の値段を表している」という認識、意味付けの下で行われているということです。対照的に、解法2においては、途中の計算2x=100-40=60は抽象的な数の計算です。もちろん、「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」ということを思い出せば、その情報によって、解法2におけるこの式にも「物理的な・現実的な・実体的な意味」を付与することは可能です。しかし、中学校1年生で習う「方程式の考え方を用いて文章題を解く」方法の重要な点はむしろ、途中の計算に意味を付与しないこと、途中で「我々は鉛筆1本の値段をx円としていたのであった」などと思い出したりしないこと、にあるのではないでしょうか。ですから、この「途中の計算に意味を付与するかどうか」という点は、解法1と解法2の大きな違いだと言えると思います。今回は易しめの問題を選んでみましたが、どんな文章題でも、「算数的(?)解法」と「数学的(?)解法」の間には、同様の違いが見出されるはずです。
しつこいようですが、解法2で何が起きているのか、もう一度説明させてください。「ノート1冊は鉛筆1本より40円高く、ノート1冊と鉛筆1本の合計金額は100円であるとする。」という問題文は、物理的な・現実的な・実体的な状況の説明を与えるものであり、つまりこの問題文は「現実の世界」に属しています。我々はそれを「鉛筆1本の値段をx円とおく」ことでx+(x+40)=100という数式に翻訳・変換します。このx+(x+40)=100という方程式は「現実の世界」ではなく、抽象的な、「数式の世界」に住まうものです。解法2では、ひとたびこの「数式の世界」にいる(そして「現実の世界」にはいない)x+(x+40)=100を得たら、一度も「現実の世界」との関連に立ち返ることなく、純粋に「数式の世界」で完結した処理によって、x=30を導きます。そして、ここまできて、最後の最後に、初めて「鉛筆1本の値段をx円とおく」というルールを思い出し、「鉛筆1本は30円」と結論するのです。まとめましょう。「現実の世界」から「数式の世界」にひとたび移ったら、その「数式の世界」で完結する(「現実の世界」との結びつきは考えない)処理を行い、一番最後に得られた結果を再度「現実の世界」に翻訳する。これが解法2の、ひいては中学校で習う「文章題の方程式による解法」全般に見られる、論理的な構造です。
こう見ると、解法1と解法2の相違点も明確ではないでしょうか。解法1において、100-40=60といった計算そのものは「数式の世界」に属していますが、我々はそれを「現実の世界」と切り離してはいません。100-40が「現実の世界」における何に対応しているのかを、明確に意識しています。そして、その意識があるからこそ、続く60÷2=30という計算にも意味が付与され、30円が答えであることが直ちにわかるのです。ここでは常に「現実の世界」と「数式の世界」が結びついています。この結びつき、あるいは結びつけ続けたまま処理を行うことを、筆者は個人的に「同期化」と呼んでいます。解法1においては、「現実の世界」での理解と「数式の世界」での理解が常に同期化され、同時並行で進んでいるのです。解法2にはこうした同期化が見られません。
相違点がわかったところで、議論をさらに進めましょう。最初に述べた通り、解法1と解法2はどちらが優れているというわけではなく、それぞれの良いところがあります。まず、解法1の良いところは、同義反復的ですが、考察下の物理的な・現実的な・実体的な状況に対して理解が深められるところです。なにしろ、計算過程にも常に意味が付与されているのですから、当然、より多くのことを網羅的に理解でき、手持ちの情報が多くなります。また、途中経過の全ての部分に意味がつくということは、途中の議論の全てに素朴に納得感をもって、安心して答えを出せるということでもあると思います。
解法2の良いところとして、解法1と違って途中経過で保持しておかなければならない情報が少ないぶん、ひとたび抽象的な計算(=例えば、方程式の同値変形)の仕組みさえ理解してしまえば、思考負荷が非常に小さくなる、ということが挙げられると思います。また、途中経過に意味を付与する必要がないため、計算の自由度が大幅に上がります。例えば-2x=-60等といった負の数の式が出てくると、これに「物理的な・現実的な・実体的な意味」を端的にわかりやすく与えるのは少し大変になりますが、そうした困難性は方程式の計算の上では全く支障にならないわけです。更に、こうした自由度の向上が、解決可能な問題の範囲の拡張に本質的に寄与する場合もあります。実際、3次以上の方程式(が出てくるような問題)になると、最終的な解には「物理的な・現実的な・実体的な意味」が付くような状況であったとしても、解法の途中では虚数(当コラム第1回および第2回を参照)まで使うはめになる、といった場合もあるのです。(というより。歴史的にはこれが虚数を導入する1つの契機になったようです。詳細を知りたい方は数学史の本をご覧ください。)
筆者は先に「2つの解法の優劣比較をしたいわけではない」と述べました。一方、しかしながら、何か特定の、限定的な観点に立てば、その観点から優劣がつくのも当たり前なことです。そして、上に見てきた通り、「計算の自由度」やそれに伴う「汎用性」といった観点からは、解法2は解法1を上回っていると考えられます。こうした抽象化(=今回の例で言えば、様々な問題解決に統一的な視座を与える「方程式を解く」という仕組み)による汎用性の向上は、数学の発展の1つの典型的な方向性であり、その意味では解法2は解法1より進んだ考え方だとみることもできます。
抽象化は「方程式の文章題」の例だけで見ても素晴らしいものだとわかりますし、また前回記事の代数的整数論の話題も、抽象化の威力を示す例となっています。一方、当たり前な話ですが、このような、より抽象化された、進んだ数学は、それだけ習得や納得のハードルが上がるという側面もあります。何しろ、抽象化というのは、まさに「それまで依拠していた具体的な文脈から離脱してしまう」ということなのですから、物事をどういう風に考えたらいいのか、見失いやすくなります。例えば「方程式の文章題」の例ですと、解法2において重要な役割を果たした方程式の同値変形の仕組みは、「現実の世界」とは切り離されて純粋に「数式の世界」に属するものであり、これについて納得して理解することは中学数学の最初の関門となるでしょう。また、そのようにして具体的な文脈から離脱した抽象的手法の適用によって、最終的に具体的な成果が得られたとしても、「狐につままれた」ような感じで納得しづらい、と思う人もいるのではないでしょうか。方程式を解いて「現実の世界」の答えが得られること、素数を平方和で表す方法の存在・非存在が複素数を使ってわかること(前回記事参照)、改めて考えてみると何だか魔法のようです。
筆者の場合、幸運にも中高数学の勉強の段階ではこのような抽象性について困難を感じずに済みましたが、大学レベル(現代数学)の勉強を始めた後は、多くの苦労を経験しました。現代数学ですと、一口に抽象化とは言っても最初から現実世界とは切り離された純粋数学の枠組内でのそれが多いので、その意味では「方程式の文章題」の例と様子が違っているのですが、それでも学習上の困難の在り方自体は上述したものと同様です。では、このような抽象性に由来する習得・納得の困難に立ち向かうためには、我々はどうすればよいのでしょうか?これは決まった答えのない難しい問題ですが、筆者なりに考えていることがいくつかあります。そこで次回は筆者の個人的な経験に基づいて、抽象的な数学の学習に関するいくつかのコメントを述べてみたいと思います。
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(意欲ある読者に向けた、答えのない演習問題)
1.様々な「方程式の文章題」について、「解法1」のような解き方と、「解法2」のような解き方を与え、それらを比較した考察を与えてみてください。
2.次回は、抽象的な数学を学ぶ上での困難にどのように立ち向かうか、ということを話題にしたいと思います。そのトイモデルとして、解法2に出てくるような方程式の同値変形の仕組みがわからず困っている人が、どのように学習を進めたら良さそうか、考えてみてください。(もちろん、どのような方法が最適かは人によると思いますが、その方法の候補を考えてみてください、ということです。)例えば、「解き方のパターンを、理屈は気にせず丸暗記する」という方法には、どのようなメリットとデメリットがあるでしょうか?また、こういった考察から、抽象的な数学の学習全般への示唆は何か得られるでしょうか?