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OB・OGインタビュー 合格実績 | 大学受験科 海外帰国生コース

後輩に教えたい!河合塾で学んで、合格できた理由。

見事、志望大学の現役合格を果たした先輩たちに、河合塾での体験を語ってもらいました。先輩たちのリアルな体験談を参考にして、現役合格に向けて走り出そう!

OBインタビュー(3)

「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.82 (2015年1月公開)

アメリカの高校生活を尊重する河合塾の方針に共感を覚えて

──どの時期から海外で生活を送られたのですか。

板垣 1993年7月から1997年6月まで、NHKの報道局経済部記者だった父のワシントン支局への転勤に伴って、アメリカ・メリーランド州ベセスダ市のウォルト・ウィットマン高校で学びました。幼い頃から、洋楽を聴くのが趣味で、英語は得意なつもりでしたが、さすがに現地校の授業内容を理解できるようになるまでに時間がかかりました。当初は、日本語で考えて、それを英語に翻訳して話すような状態で、頭を英語に切り換えるのに苦労したのです。それでも、数カ月経つと完全に慣れて、夢も英語でみるようになりました(笑)。

──そのままアメリカの大学に入学する選択肢もあったと思いますが。

板垣 ええ。高校卒業間際になって、アメリカに残るのか、日本に帰国するのか、選択を迫られ悩みました。そのとき父からアドバイスされたのが「学問は母国語で勉強した方がいい。今後、日本語と英語のどちらを自分の母国語としていくのか、それを決めた上で選択しなさい」ということです。当時から、将来の夢は国際舞台で活躍することでした。それを実現するためには、まず自分の専門の基盤は日本語で固め、その上で必要性を感じたら大学院の段階でアメリカに戻るという選択肢もあると考え、日本の大学に進むことを決断しました。そこで、1997年6月に帰国し、河合塾海外帰国生コースに通うことにしたのです。

──河合塾を選ばれた理由は何ですか。

板垣 当時ニューヨークで行われた河合塾海外帰国生コースの説明会に参加した母から、「いまはアメリカの高校生活をエンジョイしてほしい。日本の大学入試対策は、帰国してから河合塾がサポートするから、それで十分に間に合う」という河合塾の方針を聞いたことが、最大の理由です。せっかくアメリカの高校で学んでいるのに、日本の大学入試に合わせた勉強をするのはおかしい。アメリカで多様な経験を積んで、感性を広げることの方が大切なはずだと感じていたので、アメリカの高校生活を尊重する河合塾の考え方に母も私も共感を覚えたのです。

合格者の豊富な実例を通して、明確な到達目標を設定できた

──印象に残っている授業はありますか。

板垣 京都大学経済学部の外国学校出身者特別選抜では、書類審査のほかに、小論文と面接が課されます。河合塾の授業で、小論文の力を大幅に伸ばすことができたことに感謝しています。先生からよく指導されたのは「小論文とは自分を描くもの」ということです。どんな題材が与えられても、他者とは異なる、自分ならではの主張をどう組み立てるか、それにこだわる習慣を身につけることができました。「自分の主張を持つ」という姿勢は、仕事にも大いに生かされています。もっといえば、人生をどのように充実したものにするか、自己実現を果たすためには何をすべきなのか、論理的、計画的に考えられるようになったきっかけも河合塾の小論文の授業であり、今も私にとって大きな武器になっています。

──面接については、どのような対策を立てられましたか。

板垣 実は、私は計20ヶ所に出願しました。どの大学もそれぞれの良さがあるので、試験会場まで足を運び、肌でキャンパスの雰囲気を感じながら、自分がどの大学で何を学んだうえで何を将来したいのかについてのイメージをしたかったからです。また、日経新聞と朝日新聞を毎日欠かさず熟読しました。日々世の中の出来事に触れつつ、それに対する自分の考えをしっかりと持とうと努めることで、知識面・精神面でベストを尽くせるようなリズムを作っていきました。場数を踏んだ効果は絶大で、最後に臨んだ京都大学の試験では、筆記も含めあがらず、自分が話すことをあらかじめ整理したうえで、冷静に、自信を持って挑むことができました。実際、他の受験生の面接時間が5分程度なのに対して、私は面接官と会話が盛り上がり、25分間も話し込んだほどです(笑)。ちなみに、4年後の就職面接でもこの時の経験が大いに活かされました。

──英語の授業も受講されたのですね。

板垣 受験を予定していた大学の中に、英語が課される大学もあったので受講しました。英語と日本語のインタラクション(相互作用)を意識する、いい機会になったと思います。

──そのほか、河合塾に通ってよかったと感じていらっしゃることはありますか。

板垣 河合塾の強みは、入試に役立つ情報が充実していることです。たとえば、合格したOBが、どのような成績の推移を見せたのか、たくさんのデータが蓄積されています。合格者が授業で書いた小論文も閲覧することができました。おかげでどのレベルまで到達すれば、合格できるのか、実例を通して、明確な指標を設定することができました。
 受験においては、単純に学力を高める努力以上に、情報を収集して、自分の現状を把握して、不足している部分を補うためには、どれだけの時間をかける必要があるのか、きちんと分析して、それを達成するためのスケジュールを立てる力が重要になると私は考えています。河合塾には、そのベースになる情報が充実しており、しかも具体的に見える形で示されていたことが大きかったと感じています。

ユーゴ移民から紛争の最大の原因は貧困にあると聞き、経済学を志向

──京都大学経済学部を志望した理由をお聞かせください。

板垣 私がアメリカで高校生活を送った頃、国際社会は激動の時代を迎えていました。日本ではバブル経済崩壊、日米自動車交渉など、国際情勢に目を向けると、ユーゴ紛争、香港返還などが起こっていました。多感な時期の私にとって、最も衝撃的だったのがユーゴ紛争です。ボスニアで一般市民が虐殺される様子を見て、生存権さえ保障されない社会があっていいのか、それを撲滅するために日本人として何か働きかけができないか、そんな思いが募っていきました。アメリカは移民を積極的に受け入れる国ですから、私が通っていた高校にも、ユーゴからの生徒が編入してきていました。その一人から、紛争の根底には、宗教ではなく、経済・貧困の問題があったことを教えられ、経済学を学ぼうと決意しました。また、1995年の日米自動車交渉で、当時の橋本通産大臣が、カンターUSTR代表に対して、一歩も譲らずに交渉を決着させたという出来事がありました。私は海外経験を通して、英語と日本語の両方を駆使できるし、異文化への理解力も備えているのだから、こうした国際的な交渉の舞台づくりに貢献できるのではないかという夢も膨らんでいきました。そのためにも、経済学の深い専門知識が不可欠になると考えたのです。
 京都大学を志望したのは、父から「育った東京だけでなく、古都京都にも身をおいてやってみるのもいいのではないか。将来海外と接点を持ち続けるのであれば、むしろ日本人として日本の文化はあまり詳しくありませんとは言えないだろう」とアドバイスされたことが理由です。実際、学生時代は数多くの神社仏閣を巡り、京都の魅力に浸っていました。

──大学時代に力を入れたことはありますか。

板垣 将来、国際舞台で活躍したいという思いはずっと持ち続けていましたので、経済学の専門科目はしっかり勉強しました。経済学は国を豊かにするための学問ですが、経済学の世界では「国イコール人」であり、貧困で苦しんでいる人々をどれだけ豊かにできるかが最大の命題になります。その意識で貪欲に専門知識を習得しました。
 また、世界最大のインカレサークル「アイセック(国際経済商学学生協会)」にも参加し、学生同士の異文化交流事業のサポートなどを務めました。さらにバスケットで知り合った総合人間学部のブライアン・ハヤシ教授が近代日米史の研究をしており、『Democratizing the Enemy』という、なぜ戦時中米国は日本人だけ強制収容所に入れたのかを探る執筆に係る調査などの手伝いをさせてもらい、アメリカとの関係における日本をより深く掘り下げる機会や、英語力も維持・向上する機会を得ることができました。

──卒業後の経歴を紹介してください。

板垣 2002年4月、国際協力銀行に入行し、米州(メキシコほか中米諸国)・欧州(ボスニア・ヘルツェゴビナ、ルーマニア、アルバニア、スロバキア)における資源・インフラ事業に対する外国政府および本邦企業向け融資や、外国政府との政策対話のアレンジ、トルコやインドネシア向け輸送機械等の輸出に対する本邦および海外企業向け融資を担当しました。2008年には1年間、アメリカのデューク大学大学院に会社からの派遣で留学し、経済学・経営学・公共政策学を学ぶ機会も得ました。現在は、企業の海外案件取り組みを紹介する機関誌の企画や、企業の海外展開に資する講演企画や調査などを担当しています。高校時代に抱いた夢に着実につながる業務に携わっているという実感があり、幸運なことだと感じています。

帰国生には国際社会に貢献するという強い使命感を持ってほしい

──これまでの経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じていらっしゃることはありますか。

板垣 自分の思いをどうすれば実現できるのかを論理的に考える力や、自分なりの意見をとことん突き詰めて考え抜こうとする姿勢、つまり自分の色を出すということ、そのいずれもが河合塾の小論文の授業で培われたものです。それが仕事の上でも、人生の指針を立てる上でも役立っています。

──最後に、後輩へのメッセージをお願いします。

板垣 三つあります。一つ目は失敗を生かす強い心を育ててくださいということです。私は中学受験で実力を出せなかった経験がありましたので、「負けない計画」を立て、「あの時に味わった失敗から学び、挽回したい」という気持ちを強く出して受験と向き合いました。二つ目は、両親や周りで支えてくれた方々への感謝を忘れないでくださいということです。決して裕福な家庭ではなかったので、両親から中学受験に続き大学受験の費用でも多大なる迷惑をかけましたが、「大学での経験はお金では買えない、今後の人生において数倍にもなって戻ってくるはずだ。自分が行きたい大学に行くことが大事なのは、自分と同じぐらい使命感を持つ学生が集まる場所であり、様々な刺激を受けるからだ。だからお金は気にせず、悔いのないよう思う存分打ち込みなさい」と言ってもらいました。受験生には多大なる費用と両親からの愛情が注がれていることを忘れないでほしいと思います。最後に、自分は将来、どのような形で社会に貢献するのかという志を自分の中で育て、考えてほしいと思います。帰国生の皆さんは、多感な時期に、異なる価値観を持った人々と交流したという貴重な経験があるのですから、それを活かせる道が必ず見つかるはずです。そのうえで、それを実現するために、どの大学に進み、どんな学問を勉強する必要があるかを考えてほしいのです。明確な将来の目標があれば、どんな苦難にも耐えられるでしょうし、受験勉強のモチベーションも高まります。皆さんの助けを待っている人はたくさんいますから、そういう人々の役に立つという強い使命感・志を持って、受験勉強も乗り切ってほしいと思います。

OBインタビュー(2)

「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.49 (2012年7月公開)

弁護士が身近な存在のアメリカの状況に刺激を受けて、弁護士志望に

──海外で過ごされたのは、いつ頃のことですか。

福田 商社マンの父の仕事の関係で、4歳から9歳までニューヨークで過ごしました。その後、いったん帰国して、小学校高学年から中学2年生までは日本の学校に通ったのですが、再び渡米。中学3年生から高校を卒業するまでの4年間は、コネチカット州の学校で学びました。

──そのままアメリカの大学に進学するという選択肢もあったと思いますが、日本の大学を志望した理由は何だったのでしょうか。

福田 私はかなり早い時期から、日本で弁護士になりたいという夢を持っており、それを実現するためには、日本の大学に進学した方がいいと考えたからです。高校を卒業する頃、ちょうど父が海外赴任を終えて帰国することになったという現実的な事情もありました。

──弁護士をめざそうと考えたきっかけは何だったのですか。

福田 テレビドラマの主人公の弁護士にあこがれたのがきっかけですから、最初はミーハーな感覚でしたね(笑)。
 また、アメリカの高校では、バラエティーに富んだ授業が開講されており、その中で「法律」の授業に刺激を受けたことも大きかったと思います。この授業では、双方の言い分が食い違い、混沌としているように見える状況であっても、それに法律の光をあてることによって、論理的に解決策を導き出すことができることを教わりました。その思考のプロセス自体に魅力を感じたのです。
 それから、アメリカでは、高校の友人ですらも、ちょっとしたトラブルが生じたとき、「この問題はマイロイヤーに相談するから」と平然と言うことがあり、驚きました。高校生に「マイロイヤー」がいるなんて、日本では考えられません(笑)。それだけ弁護士が身近な存在になっているわけです。そこで、日本に帰って、私自身が気軽に相談してもらえるような弁護士になろうという夢を抱くようになったのです。

自分なりの考えが整理・消化できた小論文や面接の指導

──河合塾の「海外帰国生コース」を選んだ理由を教えてください。

福田 アメリカでは、比較的日本人が多い高校に通っていました。先に帰国した先輩たちに相談したところ、ほとんどが河合塾の海外帰国生コースで受験勉強をしていたということを知りました。河合塾は帰国生入試対策に長年の伝統があり、これまでの出題傾向に精通しているため、充実した指導が受けられるとアドバイスされ、私も通うことにしました。
 6月に高校を卒業して、7月から河合塾に通い、まず9月の私立大の帰国生入試に臨み、慶應義塾大学、早稲田大学などに合格しました。できれば国立大に行きたいという思いがあり、その後も受験勉強を続け、翌年2月の帰国生入試で東京大学文科一類に合格することができました。

──河合塾の授業はいかがでしたか。

福田 多くの大学の帰国生入試で課される、日本語の小論文、英語(エッセイを含む)、現代文、面接の授業を受けました。当然のことながら、帰国生入試に特化した内容です。経験豊富な講師ばかりで、志望校の過去の出題傾向を踏まえた指導を受けることができました。

──印象に残っている授業はありますか。

福田 小論文の授業ですね。帰国子女ですから、海外で見聞したことを反映させた文章にまとめることが重要なポイントになります。けれども、最初の頃は、頭の中ではたくさんの思いがあるのに、それをうまく日本語の文章として表現することができず悩みました。小論文の授業で、「具体的なエピソードを紹介すること」「海外で過ごす中で、どのようにして日本人としてのアイデンティティーをつくり上げていったのかに着目すること」といったアドバイスをいただき、自分の考えが整理・消化できるようになっていきました。
 それから、面接指導もとても役立ちました。個別の模擬面接を受けた後、先生が「模擬面接記録表」に、話すときの態度で注意すべき点、もっと掘り下げて自分の意見を話した方がいいことなど、きめ細かく記入してくださいました。入試当日も持参して、面接の直前まで見直すことで、緊張感をほぐすことができました。

──模擬面接ではどのような点を注意されたのですか。

福田 私の受け答えは、機械のような棒読みで、事前に用意した解答の原稿を覚え込んでいるのが見え見えだと指摘されました(笑)。的を射た指導だと納得して、自然な対応になるように練習を重ねました。

──帰国子女ですから、英語の授業はそれほど必要なかったのではないですか。

福田 そんなことはありません。帰国子女は「話す」「聞く」ことは大丈夫なのですが、けっこう文法がおろそかになってしまっているのです(笑)。そのため、長文読解問題を感覚で解いてしまうところがあり、ある程度までは得点できるのですが、難関大学に合格するために、より高得点をめざすとなると、限界が生じます。厳密な読解力が要求されるわけで、河合塾で文法をしっかり整理し直したことが、合格に結びついたと思っています。

──そのほか、河合塾時代の思い出を紹介してください。

福田 私立大の帰国生入試に合格した後、気持ちを緩めずに、国立大をめざして勉強を続けるのは、なかなか大変でした。何とか集中力を持続させることができたのは、「不動心」を座右の銘にして、最初の目標を貫こうと心がけたこともありますが、それ以上に、講師や周りの仲間など、支えてくれた人々の存在が大きかったと感じています。スタッフの方々は常に気さくに励ましの声をかけてくださいました。現役大学生のスタッフも多く、私は東大生のスタッフの方に、よく勉強方法などについて相談していました。ご自身の経験を踏まえたアドバイスだけに、大いに参考になりましたね。フェロー(学習指導員)による個別相談の機会も活用し、役立てることができました。また、海外帰国生コースの友人たちは、個性的なタイプが多く、廊下を歩くときは「静かに」と注意されるぐらい(笑)、にぎやかでした。海外生活が長い私にとっては、暗い顔で黙々と受験勉強に邁進するような雰囲気だったら、窮屈に感じてしまっていたかもしれません。そんな友人たちと休み時間に英語で会話を楽しんだり、明るく自由な環境のもとで、リラックスして勉強を進められたことが良かったと思っています。

ロースクールの1期生として、国際的な取引を扱う業務にやりがいを感じる日々

──東大入学後は、最初から司法試験に向けた勉強をしていたのですか。

福田 いえ、入学直後に応援部に入り、チアリーディングの練習に熱中しました。六大学野球やアメリカンフットボールの試合などで応援したことが、いい思い出になっています。大学3年生になって、「そうだ、私は弁護士になることが目標だった」と思い出し(笑)、司法試験予備校にも通うことにしました。ちょうど私が卒業する年から、法科大学院(ロースクール)がスタートすることになり、慶應義塾大学の法科大学院に第1期生として入学しました。

──慶應義塾大学の法科大学院に進学したのは、どのような理由からですか。

福田 当初は、人々にとって身近な弁護士をめざしたいと考えていたのですが、大学で学ぶうちに、英語力を生かして、国際的な企業間のクロスボーダーの取引を扱う弁護士になりたいという思いが強くなっていきました。そこで、渉外法のカリキュラムが充実している慶應義塾大学の法科大学院に進むことにしたのです。幸い、第1回の新司法試験に合格。1年間の司法修習を経て、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入りました。就職の際は、外資系の法律事務所も視野に入れていたのですが、将来、海外でも活躍できる弁護士になるためにも、まずは日本の法律についてしっかり研鑽を積むことが重要だと考えて、現在の事務所への就職を選択しました。

──現在は主にどのような業務に携わっていらっしゃるのですか。

福田 海外のクライアントも多い事務所なので、上層部にお願いして、できるだけ海外企業に関連する案件を担当させてもらっています。たとえば、海外企業が日本でビジネスを展開する場合、法律上のさまざまな規制があります。法律に則って、スムーズに業務が推進できるようにアドバイスするのが主な役割であり、とてもやりがいを感じています。
 また、今年夏から1年間、アメリカのロースクールへの留学も予定しており、アメリカの弁護士資格も取得して、活躍の場を広げたいと思っています。

河合塾の学びは単なる受験のためだけでなく、その後の思考のベースにもなっている

──これまでのご経歴の中で、河合塾で学んだことが役立っていると感じられることはありますか。

福田 帰国したとき、せっかくの貴重な海外経験をその後の人生に生かしたいという思いが強くありました。けれども、そういう漠然とした気持ちはあっても、具体的な道筋は暗中模索の状態でした。それを明確にしてくれたのが、河合塾の授業だったと感じています。小論文や面接などの指導を通して、「自分の長所・短所は何か」「将来、どんな仕事をしたいのか」「その仕事に海外経験はどのように生かすことができるのか」「海外で得た感覚、視点をそのまま持ち込むのではなく、日本の実情にあったものにするには、どんな意識が必要になるのか」などを、文章にしたり、言葉で話したりすることによって、将来の方向性が明確になっていったのです。

私は、今でも河合塾で学んだ当時の教材や、自分で書いた小論文などを大切に保管しており、時々読み返しています。そうすると、多忙な日々の業務に追われて、つい忘れがちになっている、あの頃の熱い思い、夢を再確認することができ、前向きに頑張ろうという勇気がわいてきます。私にとって、とても大切な宝物になっています。

──最後に、海外帰国生コースの後輩に向けて、アドバイスをお願いします。

福田 帰国子女の場合、海外の高校を卒業して、日本の大学の入試を受験するまでに時間が限られているのが実情です。ですから、まずは効率よく勉強を進めることが肝心です。河合塾は長年の蓄積によって、志望校に特化した指導を受けることができますから、信じて頑張ってほしいと思います。
 しかも、河合塾で学んだことは、単に受験にだけ役立つのではなく、その後の考え方のベースになることも強調しておきたいですね。さまざまなテーマで小論文や英語のエッセイを書き、面接で話す内容を整理することが、視野を広げ、自分なりの世界観を構築することにつながるということを意識して、日々の勉強に取り組むことが大切だと思います。

OBインタビュー(1)

「私と河合塾」-OB・OGが語る河合塾-: Vol.12 (2009年4月公開)

海外への憧れからカナダのインターナショナルスクールに進学

──河合塾の海外帰国生コースで学ばれたわけですが、海外で過ごされたのはいつ頃ですか。

河田 神戸出身で、地元の公立中学を卒業後の9月に、カナダ・ケベック州の全寮制の私立中高一貫校(インターナショナルスクール)に進学しました。
家族の仕事の都合ではなく、進学を決断したのは自分自身の意思です。それほど明確な目的意識があったわけではありませんが、漠然と海外への憧れがあり、また、得意だった英語力をより強化したいという思いもありました。
ところが、英語力には自信満々だったにも関わらず、海外ではまったく通用しないことに愕然としました。そのため、インターナショナルスクールの中学3年次に編入することにしました。何とか日常会話がこなせるようになるまでには1年ほどかかりました。

──そのまま海外の大学に入学するのではなく、日本の大学を選ばれた理由は何ですか。

河田 友人の多くはカナダかアメリカの大学への入学準備を進めていましたから、私も相当に悩みました。帰国を決めたのは、当時は、将来、日本の商社かメーカーで働きたいという希望を持っており、そのためには、日本の大学で学んだ方が近道なのではないかと考えたからです。
私が在籍していたインターナショナルスクールには、さまざまな国の生徒がいました。多様な文化、宗教、政治・経済情勢をバックボーンとする友人たちが集まり、自国の立場を明確に主張しあう雰囲気の中で過ごすことによって、私も日本人であることを誇りに思い、日本のことをもっと大切にしたいという気持ちが自然と芽生えていきました。そうした海外において肌で感じた体験を持ち帰って、少しでも日本の役に立てるような人間になりたい。そんな思いが強まったことが、帰国を決意した理由です。

個性的な仲間たちと濃密な人間関係を築けた

──帰国後、河合塾の海外帰国生コースを選択された理由は何でしょうか。

河田 日本の高校に通っていれば、担任や進路指導の先生から、入試に関する情報は容易に得られるはずです。けれども、私はゼロからのスタートといった感じで、何をすればいいのか、暗中模索の状態で、とても不安でした。そこでいろいろ調べたところ、当時はまだあまり設置する予備校が少なかった海外帰国生対象のコースが、河合塾に設けられていることを知り、通うことにしたのです。入試ではどんな科目が課されるのか、合格するにはどんな勉強が必要なのか、詳細な情報を得ることができたとともに、私と同じような立場の仲間がたくさんいることがわかり、大いに心強かったですね。

──印象に残っている授業はありますか。

河田 大学によって若干異なりますが、帰国生入試(文系)では、一般的に英語、小論文、面接の3科目が課されます。その対策学習を重点的に行うカリキュラムが編成されていました。とくに役立ったのが小論文指導です。それまで日本語でまとまった分量の論理的な文章を書くトレーニングをしていなかったのですが、文章の組み立て方の基本から丁寧に教えてもらうことができました。日本の現状を理解するための時事問題の授業もあり、これも小論文や面接にプラスになったと思います。また、英語に関しても、話す・聞く能力には自信がありましたが、文法は体系的に勉強していなかったので、有意義でした。

──帰国生入試に合格できたポイントは何だったと思いますか。

河田 高校時代は多感で、乾いたスポンジのようにさまざまなものを吸収できる時期です。その時期に、日本人でありながら、海外で過ごしたことによって、何をつかんだのか、明確にしておくことが重要です。私は、先ほど申し上げたように、日本人としてのナショナリティーを体得したことが、海外生活の収穫だったと考えており、その思いを核として、小論文や面接に臨んだことが、合格できたポイントだったと思っています。

──そのほか、河合塾時代の思い出をお聞かせください。

河田 私は中学3年次から高校3年次までの4年間をカナダで過ごしましたが、回りの友人たちの中には、10年以上の海外生活を経験した人も少なくありませんでした。ネイティブスピーカーに近い友人も多く、クラスでの会話は半分ぐらい英語でコミュニケーションを図っていたほどです(笑)。それだけ海外生活が長いと、考え方もどこか日本人離れしていて、とても個性的な仲間に恵まれました。授業中だけでなく、遊ぶときも含めて、いつも一緒で、濃密な人間関係を築くことができましたね。

世界を舞台とした活躍が目立つ帰国生コースの仲間たち

──立命館大学の政策科学部に進学されたのですね。

河田 政策科学部は、特定分野のスペシャリスト養成が目的ではなく、ジェネラリスト養成をめざしている学部です。私は多様な学問分野に興味を持っていたので、自分に向いた学部だと思い、受験することにしました。実際に大学では、経済、経営、政治、語学、コンピュータなど、幅広く学ぶことができました。

──アナウンサーになりたいと思われたきっかけは何ですか。

河田 就職活動を開始した当初は、大手メーカーか商社に入って、海外赴任も経験できるような仕事をしようと考えていました。そうした会社を受ける前に、テレビ局で入社試験が早めに実施されることを知り、記念受験というか、「腕試し」の意味で挑戦することにしました。本来希望していたわけではありませんから、アナウンサー学校にも通っていません。合格するはずがないという軽い気持ちだったのですが、在京キー局でカメラテストまで残り、その局は最終的には不合格でしたが、もしかすると自分には可能性があるのではないかと思うようになり、「これが最後、もしダメだったら、当初の予定通り、商社とメーカーの入社試験に専念しよう」と受験した毎日放送に合格したのです。

──アナウンサー試験というと相当な高倍率ですが、合格できた要因は何だったとお考えですか。

河田 それが未だにわかりません(笑)。大学時代にラグビー同好会に所属しており、スポーツアナウンサーをめざしたいと語ったのですが、それが当社のニーズに合致していたということなのでしょう。
入社後の3年間は、希望通り、プロ野球、高校野球、高校ラグビーなどの実況中継を担当。その後は情報番組に転じて、リポーターや、スタジオのMCなどを務めています。

──アナウンサーの仕事でやり甲斐を感じるのはどんなところですか。

河田 以前、年配の女性から、達筆な文字で励ましの手紙をいただいたことがあります。その方は寝たきりで、私が担当している情報番組をいつも見てくださっているそうで、「自分は外出できない身体だけれども、河田さんの中継を見て、一緒に外を出歩いているような気持ちになれます」と書かれていました。自分の仕事を楽しんでもらえ、役に立っているということが実感でき、意欲がわきました。

──河合塾で学んだことがその後の人生で役立っていると感じられることはありますか。

河田 海外帰国生コースの仲間たちとは、今でも連絡を取り合っているのですが、自分の経験を生かせる仕事に就いている人が多いことに驚かされます。先日、ある著名な海外アーティストの取材に行ったところ、そのアーティストの担当者が仲間の一人でした。そのほか、大手メーカーや商社の海外事務所で働いている友人もたくさんいますし、ベンチャー企業を立ち上げた友人もいます。そんな活躍ぶりを目の当たりにすると、もっと頑張らなければという刺激剤になっています。

──海外帰国生コースで学んでいる後輩たちにアドバイスを送ってください。

河田 せっかく多感な時期に海外で過ごしたという貴重な体験を有しているわけですから、その体験で得たことは何か、意識的にきちんと振り返って、咀嚼することが大切です。それが次のステップに進む糧になってくれると思います。

──最後に、保護者の方々へのメッセージをお願いします。

河田 若輩の身で偉そうなアドバイスはできませんが、自分のことを振り返って言えることは、両親が私のやりたいことを抑止することなく、積極的に応援してくれたことはとてもありがたいことだったと思っています。高校生を単身で海外に送り出すのは、かなり勇気のいることだったでしょう。そういう度量を持っていてくれたことに、とても感謝しています。

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