「ガリ勉は格好悪い」と斜に構えていた私に
周りの目を気にすることなく一生懸命に
勉強することの尊さを教えてくれました。
慶應大学大学院経営管理研究学科(慶應ビジネススクール)准教授
小幡 績さん
■「優等生」から高校入学後、いきなり成績最下位に
・・どのような少年時代を過ごされたのですか。
小幡 幼稚園に入る前から、童話を読むのが好きな子どもでした。当時はまだ珍しかった「お受験」も経験し、幼稚園の頃から池袋の塾に通いました。もっとも、当然のことながら、私自身には受験の意識はなく、帰りに西武百貨店で「お子様ランチ」を食べられることが楽しみで通っていたようなものです(笑)。
千葉大附属小学校に入学後、すぐに学力テストが行われ、トップの成績を収めることができました。この小学校は、生徒も保護者も「勉強が大切」という意識が高く、おのずとクラスの中心的な存在になっていきました。とはいえ、私の両親は、外で友だちと遊ぶことが一番大事という方針で、勉強を強制されることはありませんでした。恵まれた小学生時代だったと思いますが、家庭学習の習慣は身につかないままで、後に本格的な受験勉強をしなければならなくなってからツケを払うことになりました(笑)。
・・中学受験はされたのですか。
小幡 学校の勉強だけでは物足りなくなり、小学校4年生から学習塾に通いました。難問を解くのはとても楽しかったし、成績がトップになると、授業料が免除になり、そのお金で家族旅行に出かけることができるので、それがまた励みになって、頑張って勉強していました。でも、結局、中学受験はしませんでした。それほど深い意味はなく、クラスに好きな女の子がいたので、一緒に附属中学校に進みたいと考えたのです(笑)。 高校入試でも、開成高校にも合格したのですが、やはり共学校に行きたいという思いが強く、学芸大附属高校に決めました。
・・高校での成績はどうだったのですか。
小幡 中学から続けていたバスケット部に入部し、練習に明け暮れていましたし、ほとんど勉強していなかったので、高校の最初の定期試験で、いきなり最下位になりました。でも、それが逆に心地よかったのですね。自分で言うのも何ですが、それまでの私は明朗快活で、勉強もスポーツも得意な、いわゆる優等生でした。初めて成績下位になり、何か開放されたような気持ちがしたものです。2年生の途中までそんな状態でしたから、さすがに両親が心配して、「テストで学年の平均点をクリアできたら、好きなものを買ってあげる」と、誘い水をかけてきました。すると、次のテストでは学年で中位になりました。味をしめた両親に「ならば、今度は100番以内になったら、お小遣いをあげる」と言われ、これまたすぐにクリアしました。親からは、「お前はいったい何なんだ」と言われましたが(笑)。
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